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『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』外国特派員協会記者会見

2020-03-20 更新

豊島圭介監督、平野啓一郎氏(作家)

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実mishimatodai 配給:ギャガ
全国公開中
© 2020映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

 1969年5月13日東京大学駒場キャンパス900番教室で行われた作家三島由紀夫と、東大全共闘との伝説の討論会の様子を切り取り、三島由紀夫の生き様を映したドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』。3月17日(火)に、外国特派員協会にて記者会見が実施され、監督の豊島圭介監督、本編中にインタビューイーとしても登場する作家の平野啓一郎氏が登壇し、公開を間近に控えた本作への想いから、今年が没後50年でノーベル文学賞候補にもなり世界的にもその作品が評価される三島由紀夫について語った。


 会場に登場した豊島監督と平野啓一郎氏。最初にMCから「監督のキャリアを見ると、こう言ったタイプの映画を作る監督ではないという印象ですが、なぜ、どのようにこの映画を作ることになったのですか? また監督にとって驚きはなんでしたか?」という質問が飛ぶと、「この話が来た時に一番驚いたのは僕自身でした。2019年の頭にTBSから1969年の討論が見つかって、貴重なフィルムなので映画として残そうということでこのプロジェクトが動き出しました。このフィルムをドキュメンタリーの形にしようとなった時に、プロデューサーの1人が僕の東大の同級生でして。50年後の今の目線で映画を捉えると決めて、当時をあまり知らない人に頼んでもいいのではないかということになり、そのプロデューサーは思いついて、僕に声をかけてくれました。何が驚きだったということですが、1970年に市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺をしたという小説家のイメージだと思いますが、この映画に映っている三島由紀夫は自決のイメージとは全く異なるイメージで、活き活きとしていて、イメージが180度変わりました。ここの部分が一番の驚きでした」とプロジェクトの発端を語る豊島監督。


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 「三島の再来と言われている平野さんも、三島由紀夫のイメージに関して驚かれましたか?」と聞かれると、平野氏は「僕は14歳の時から三島作品をずっと読んできていて。三島の残されている肉声も聞いてきましたし、今回の対談も文字化されていたものを読んでいます。三島と生前親しかった、画家の横尾忠則さんや、作家の瀬戸内寂聴さん、美輪明宏さんから三島由紀夫に関しまして直接お話しを聞く機会がありまして、魅力的なエピソードを話してくれました。そういう意味では齟齬のない三島由紀夫でした」と答えた。


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 次に、「自決のシーンに関して監督に尋ねます。これを入れた理由、監督が伝えたかったメッセージを教えてください。全共闘の学生たちへの応答として見せたかったということなのでしょうか?」という質問が尋ねられると、豊島監督は「三島由紀夫に関わる映画を作るとなった時に、いくつかの研究書を読んでいたのですが、その多くが“三島はなぜ死んだのか”ということを扱っているものが多くて、僕は自決に関してのインパクトを直接受け取った世代ではないので、三島の死は何だったのか、というところを、他のものと同じようにまた描くことはやめようと思いました。“三島がどうやって生きたか”にフォーカスしようと思ったのが最初のとっかかりでした。この最後のシーンを入れたのは、一つは対比が面白かったということですね。この討論会にいた1000人の学生には言葉が伝わったように見える。ただ、市ヶ谷の駐屯地でも1000人ほどいましたが、言葉が通じていないように見えます。この対比が面白いなと思いました。もう一つは、ドキュメンタリーを作ったきっかけに結果的になるのですが、いろいろな方に話を聞いていくうちに、三島に出会ってしまった人たちが、出会ったことによって、人生が規定されてしまったように見受けられました。“三島の死”、というよりは現場にいた楯の会の人や、全共闘の人が(三島の死を)どう受け止めたかを描きたいと思いました」と映画の全体像を解説した。

 「三島由紀夫さんが天皇の名の元に、日本を改めようとしていたことに関して」の質問が平野氏にされると、平野氏は「非常に難しい質問ですが、三島は日本の戦後社会を非常に厳しく批判していました。自由民主党のことも否定していて、三島は、戦中に教育を受けていた“天皇を中心とした日本”というのがあるべき日本だとしていました。それでも三島は戦後社会に適用して、生きようとしていました。でもどうしても戦後社会に違和感を感じてしまいます。戦後民主社会ではなく、戦後日本社会の大衆世界に生きようとしたわけですが、だんだん嫌気がさしてきています。どうしても耐えられなくなっていく。本来日本があるべきイメージとして、戦前にあった天皇の名にあって、文化的に長い歴史を持った日本に立ち返るべきではなかったのかという意識でいます」と、三島由紀夫と天皇について持論を展開した。豊島監督は「僕は映画の中で同じ質問を平野さんにしていたので、それを思い出しました。僕は、解説はできないですが面白いなと思ったのが、三島由紀夫さんが全共闘に向かって『一言“天皇”とおっしゃってくれれば、共闘するだろう』とお話ししていて、そのことを全共闘の方に聞きたいなと思いました。護憲の側に回ったのが平成天皇だと思います。今は左翼の人が天皇を擁護するような動きになっているわけですが、今その動きを三島さんが見たらどんな反応をするのかなという興味があります」と、撮影を振り返りながら話した。

 「討論会は“ジェントルマン”な対応で、お互いがお互いの意見を聞き、建設的な会話がされていたと思うんですが、こういった建設的な会話は政治的なものでも可能でしょうか?」という質問には、平野氏が「僕は当時の三島と今同い年くらいですが、今自分が大学生と向かい合って話すとなると、“大学生と話す”と思って話すと思います。三島の態度も同じ立場の論敵と話す、というよりも、どこかの大学生と話すという部分もあったと思います。“有名作家が来た”という空気感は会場にも、全共闘側にもあったと思います。それが“ジェントルマン”な空気にしたと思います。インターネット上ではお互いの論議ができないと言われていますが、今でも場所の設定さえあれば、対話は可能だと思っています。場所の設定ということが何よりも大切なのだと思います」と話し、豊島監督も「平野さんがおっしゃったことに通じると思いますが、三島は討論会の冒頭で“言葉の有効性”を確かめに来たんだと言うんですね。そのことが実現されるさまが映っているんじゃないかなと思いました。名乗りあったもの同士が同じ壇上に上がって、体温を感じあう距離で、丁寧に議論を交換するというのが映っていて、観客にインパクトがあるんじゃないかなと思います。“言葉の有効性”を僕自身が信じてみたいなと思うのが、今回この映画を作る上で思ったことでした」と自身の思いを交えながら話し、イベントは幕を閉じた。




(オフィシャル素材提供)



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