2020-01-29 更新
演奏:岩代太郎(作曲・指揮)、五嶋 龍(Vn)、長谷川陽子(Vc)、東京フィルハーモニー交響楽団、NHK東京児童合唱団
登壇者:佐藤浩市、渡辺 謙、吉岡秀隆、緒形直人、平田 満、萩原聖人、佐野史郎、安田成美、若松節朗監督
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。そして福島第一原発事故。日本人誰もが経験し、全世界が震撼した福島第一原発事故の関係者90人以上への取材をもとに綴られたジャーナリスト、門田隆将(かどたりゅうしょう)渾身のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)原作の映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)が、2020年3月6日(金)に全国公開となる。
この度、佐藤浩市、渡辺 謙、吉岡秀隆、緒方直人、平田満、荻原聖人、佐野史郎、安田成美、若松節朗監督がワールドプレミアイベントに登壇した。舞台挨拶前のオープニングアクトでは五嶋 龍、長谷川陽子、NHK東京児童合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団、そして本作の音楽をてがけた岩代太郎の指揮による生演奏も披露された!
客席にはイベント当選倍率が200倍越えの中で見事当選した幸運な1100人が会場を埋め尽くした。そして舞台挨拶を前に五嶋 龍、長谷川陽子、NHK東京児童合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団、岩代太郎によるオープニングアクトとして本作のサウンドトラックより「Chapter All Life」、「Chapter Home Country Forevermore」、「Be with Danny Boy」の3曲が披露された。満員となった客席はNHK東京児童合唱団の優しく包み込むような歌声と五嶋 龍、長谷川陽子、東京フィルハーモニー交響楽団が奏でる洗練された音によって魅了されていき演奏が終了すると客席からは大きな拍手が鳴り響いた。
そしてオープニングアクトが終了しキャスト陣、若松監督が登壇すると改めて大きな拍手が巻きおこり、キャスト陣それぞれが観客に向け感謝の想いを込めて挨拶をした。
本作を披露するにあたって心境を聞かれた佐藤は「先日キャンペーンで福島を訪れて本作を上映しました。福島から始めなければいけないだろうと思っていましたし、福島の方々に作品を観ていただくことは非常に怖いことです。公共の電波で津波の映像が流れる前には『津波の映像が流れます』というテロップを流さなければ映像を流すことができません。暗い映画館の中でとても辛い映像を観なければならないので、被災された方や被災された方をご家族・友人に持つ方々、福島の方や宮城の方に観ていただくことは恐怖でもありますけど、それを乗り越えらなければいけないんです。エンディングまで作品を観た時に 必ずこの映画は記録としても記憶としても残るだろうと思います。それをまず福島に持って行きました。そして本日東京の皆さんに観ていただいて、これから全国に持って行きます」と本作に対する強い意気込みを語った。
続けて渡辺は「郡山で当時高校生の時に被災し、TV局のアナウンサーになった方のインタビューを受けました。『最初は体の震えが止まらなくなり、それでも最後まで観なければいけないと思っていても途中で心が折れそうになりました。電気が無く携帯もパソコンも見ることが出来ない中でいろいろなニュースが飛び交っていたけれど、この映画を観ることで、当時何が起きていたのかということが分かりました。ありがとうございます』という言葉をいただいた時はこの映画を届けていける自信をいただきました」とコメントすると、若松監督も「お二人に対して思うことは福島の方に寄り添ってお話しをしてくれているので、映画が始まる前にお客さんが泣いているんです。福島の皆さんが映画を観終わった後に『このような映画を作ってくれてありがとうございました』と言ってくれたことがとても嬉しかったです」と先日行われた福島キャンペーンでの一幕を語った。
また過酷な撮影中の雰囲気を聞かれた佐藤は「本作は時系列に沿って順撮りしているので、私含めた中央制御室のメンバーはいろいろと思いながら現場にいるんですけど、シーンを重ねていく内にみんな同じ境遇の中にいるという意識が強くなっていきました。結束感というものが普通の映画とは違うものでしたね」と撮影を重ねていく内にチームとしての結束力が生まれてきたことを述懐した。
そしてその中央制御室(中操)の一員として出演してる吉岡も「撮影が終わった後マスクを取るとみんな老けてましたね(笑)。浩市さんは『64-ロクヨン-』(16)の撮影より疲れたと言っていましたし、本当にみんな必死でした」と撮影時のことを振り返った。
そんな大変な撮影が続く中で同じく中操メンバーの平田は「真っ暗の中、防具服を着て撮影をしていると誰が誰なのかなのか分からなくなるんですけど、不思議と何日か経ってくると分かってくるんですよ。これがチームなんだなと思いました」とコメントし、荻原も「チームの結束力が高まったのはクランクイン前に浩市さんが決起集会を開いてくださったからだと思います。中操の皆はそのおかげで一つになりました」と役柄としてだけではなく主演としての佐藤の心意気に感謝を述べた。
続けて佐藤が「防護服を着て、マスクも被ってるんで台詞も明瞭には聞こえないんですけど、出来上がった映像を見てみると不明瞭でありながらもちゃんと意思が伝わるんだなと思いましたし、映画の神様はいるんだなと感じましたね」と中央制御室での撮影を振り返った。
そして当時の総理大臣役を演じた佐野は「よく今回の役をお受けになりましたねと言われるんですけど、何でそんなことを言うのだろうと思いますね(笑)。今は情報が分かっているから当時何が起きていたかを語れるんですけど、当時は何の情報も分かっていない中でどう判断するべきか、あの時の総理は東京でじっとしていたらそれはそれで責められたでしょう。けれど現場を見てみなければ判断できないというのが正直なところだと思います」と今回のオファーを受けた際の気持ちを語った。
緊急対策室(緊対)総務班のメンバーとして出演している安田は「なんとか役目を果たせたとは思います。本当に参加できて良かったと完成した作品を観て思いました。映像を通して伝える素晴らしさが感じられました。本当に観たほうが良い作品というよりも、絶対に観なければいけない作品だと思っております」と作品に対する強い思いを語った。
同じく緊対の一員として出演している緒形も「映画を撮ってるとオンとオフがありますけど、この現場はオフがなくずっと突き進んでいるような現場でした。そんな中で渡辺 謙さんを見て芝居をしていこうと決めていました」と緊対のリーダーでもある渡辺の背中を見て撮影をしていたことを明かした。
それを受けて渡辺は「中操チームが先に撮影をしてその後に僕と浩市くんの回想シーンを撮って、緊対の撮影に入ったんです。僕のクランクインは浩市くんとの回想シーンからだったんですが彼らが必死の思いで撮った想いをそのまま渡されたような気がしました。この想いを落としてもいけない、そのまま緊対の中にぶつけていかなければならないと思いましたし、最後まで完走できたという思いです」と本作の出来栄えに自信をのぞかせた。
そしてMCからキャスト・スタッフ陣が並々ならぬ想いを込めて作り上げた本作の世界73の国と地域での配給・上映が決定したことも発表された!
最後に渡辺は「なぜ作品タイトルが英語表記なのか、福島県郡山から発信したものが東京に来て、これから全国に向かって、そして世界に向かってこの映画を届けるために『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)というタイトルになったんだと思います。この映画を観ていただいたら何か素晴らしいパワーを届けられるに違いないと信じています」と挨拶をし、佐藤は「災害というものはいつも深い傷跡、爪痕を残すものです。その負の遺産を、我々のほんの少しの努力で遺産として明日へそして未来へバトンとして渡すことができるはずです。この負の遺産を明日への遺産に変えられるよう、皆さん願っていてください」と願いを込めて客席に向かって語りかけた。最後までキャスト・監督へ盛大な拍手が上がりながらイベントは幕を閉じた。
(オフィシャル素材提供)
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