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『漂流ポスト』記者会見

2021-02-28 更新

漂流ポストの管理人・赤川勇治氏、清水健斗監督

漂流ポストhyouryupost 配給:アルミード
3月5日(金)よりアップリンク渋谷にて他全国順次公開
©Kento Shimizu

 震災から10年。震災で大切な人を亡くした人の“心の復興”を描く映画『漂流ポスト』。この度、陸前高田より、実在する漂流ポストの管理人・赤川勇治氏が来京。監督・脚本・編集・プロデュースを務めた清水健斗監督と記者会見をした。


 冒頭赤川氏は、漂流ポストがいつ、どのような経緯でできたのかを詳細に説明。「私は広田半島で老後のんびりした生活がしたいと20年くらい前にセカンドハウスを作りました。震災から3年前に仕事から離れられ、広田に行ってのんびりしようと思い、震災の前の年の春に広田半島に行きました。人が入ってこないような獣道の奥にあるんです。まさかこんなところに人が来ないと思うところなのに、迷い込んできたのか、ぽちぽち人が入ってくるんです。私が表にうろうろしていると、『ここはなんの場所なのか』といろいろな方に聞かれます。『車を駐めるスペースもあるから、休んでいっていいか。せっかくだからここをみんなに解放してお茶を出してくれないか』と言われ、コーヒーと紅茶だけ出して、ここで皆さんに休んでいただけたらと、『森の小舎』という看板を掲げて、スタートしたのが始まりです。
 毎年12月の初めから3月の上旬まで寒いものだから、その間だけお休みをいただいて、自宅に帰り、2011年3月にそろそろ小舎をあけなきゃと準備が終わって、お客様をお迎えしようと思っていた矢先に東日本大震災が起こったんです。津波の被害もなかった。今まで森の小舎のカフェに遊びにおいでになっていた方たちがどうなったか不安だから、避難所回りをしていました。避難所にいる方たちが私を心配してくれて、顔を見るなり“よく無事だったね”と言ってくれる日々が続く中で、何か被災地にお手伝いできないかと支援活動を私なりにやってきたんです。そういう方たちに“森の小舎を早く開けてくれ。こんなところで耐えきれない。足を伸ばして一服したい”、そういう方たちが大勢訴えてきたんです。その悲痛な声に負けて、再開しました。
 そうしているうちに訪ねてきてくれる方たちが、”少しお話聞いてくれるかな?”と言うから“いいよ”と言って聞くと、お子さんを亡くしたお母さん、親しい方をなくした若い方たちなどが胸にしまい込んでいて、誰にも話すことができないと言うんです。“なぜ話せないの?”と聞いたら、返ってくる言葉は皆同じだと言うんです。”あなただけじゃないんだから”と。ですから、皆さんしまい込んでいる。それで、私と話をすると、私は被災地にいながら被災したわけでもないですけれど、ただ聞いてさしあげるだけで、その方たちは“来てよかった。聞いてくれてありがとう”とすっきしりた顔で帰られるんです。そうやっていくうちに、ここに来られる方は聞いてさしあげられるけれど、被災三県の遠い方たちは胸の吐き出しをどう解決つけているのか疑問に思い、3年間考えました。震災から3年が過ぎた4年目の3月11日に、ここまで来なくても文字に、手紙に1行でもいいから吐き出せるものが書けたら、その方たちが少し楽になるのではないかと思い、漂流ポストとして苦しさの手紙を受け付けることを始めました。
 カフェに遊びにいらっしゃる方は、能天気に楽しく遊びにいらっしゃる方もいらっしゃるんです。涙を必死にこらえながら来る方も一緒になってしまうので、そういう方たちに一粒の涙を流せるスペースを作ってさしあげようと何年後かに『漂流ポスト小舎』と名付けた6畳位のログハウスの小舎をひっそりしたところに設置して、手紙の閲覧をしたり、そこでお手紙を書いたり、そういう境遇の方が初めてお会いした方とお話ができる場所を作ってあります」とのこと。


hyouryupost

 今までに受け取った手紙の数は約800通で、森の小舎に手紙関係で来る方は1日10人位だそう。

 清水監督は、東日本大震災が他人事ではないとのことで、「2011年当時CM制作会社に勤めていて、4月に岩手で撮影をしようと1月から岩手に行ったり来たりして、現地の方と交流を深めていました。3月12日にスタッフ・ロケハンを行う予定だったので、3月11日の震災の5分前まで電話をしていて、電話を切った直後に震災が起こったので、1日ずれていたら震災に遭っていたかもしれないし、幸い先方も無事だったんですけれど、もしその方が亡くなられていたら最後の電話だったなと思ったり、自分自身の命が生かされたと思いました」と想いを吐露。

 被災者の想いを風化させてはいけないと思った理由としては、「その後仕事が落ち着いた後に岩手にボランティアに行って、瓦礫の撤去などをしたんですけれど、避難所でのお手伝いがメインでした。被災者の方は仲良くなったら心情を話してくれるのですが、“明日は普通に来ると思っていたけれど来なかった”という当たり前になっていた日常の大事さを話してくれたんです。それは震災だけでなく私たちが生活していることにも繋がると思ったので、そういったことをいろいろな人が考えてくれることが震災から得た教訓を忘れないことに繋がるかと思い、被災者心理を訴えていきたいと考えました」と話した。

 漂流ポストについての映画を作りたいと思った理由を聞かれ、「被災者の方の心理を描く際に、題材選びを慎重にしなくてはいけないと思った時に、テレビのドキュメンタリーで漂流ポストについて知りました。手紙を書くということが自分と向き合うということにつながる。被災者の方は現実と向き合えない方が多いということもボランティアをして感じたことでした。過去と向き合って一歩踏み出すことは被災していない人も怖いことだと思うんですけれど、背中を押せるような映画を作りたいともともと考えていたので、そういう役割をしている漂流ポストという題材を見た時に、これだったら被災者の方の心理も考慮して作品を作れるのではないかと思いました」と回答。


hyouryupost

 会場の記者から東日本大震災から節目の10年の公開という話を聞かれると、赤川さんは、「5年、10年というのはメディアの方が作っていることで、漂流ポストは心の復興なんです。この方たちには5年も10年もなく、毎日闇から抜け出そうと必死になっています。区切りをつけるつもりはありません」と一蹴。

 清水監督も、「10年というところでの公開になりましたけれど、被災した方はこの先も現実に向き合っていかなくてはいけない。その中で被災していない人たちが震災を忘れないことが風化に繋がるのではないかと思っています。個人の意見としては、辛いことがあったら、そこから得た教訓であったりを忘れなければ忘れてもいいと思っています。被災していない東北以外で過ごしていた方たちは他人事になってしまっている部分もあると思うので、この映画を観ていただいて、3月11日の前後は、教訓を思い出していただき、外の人間が“忘れていないよ”というメッセージを伝えてあげるのが一番いいかなと思います。外から忘れられる方が怖いと聞きますので、この作品が被災していない僕らが思い出すきっかけになればと思います」と話した。

 教訓について具体的に聞かれると、震災教育だけではなく、「デジタルが進んで行く中、未曾有の震災があり、誰かのことを思って皆が協力して、“絆”と呼ばれた助け合いやつながりが生まれたと思います。1、2年はあったように思う。助け合う心や日常の美しさ、些細なことの大切さに気づいたのもあの時だったと思うので、人を思い合うところや内面的なところが大事だと思っています」と強調。

 最後に赤川氏は、「現地の人間として、忘れないでほしい。これだけの苦しさを抱えた方たちがまだまだおいでです。ですので、忘れないでいただきたい」、監督は「僕らが忘れないということが一番大事だと思うので、そういうメッセージを発信できればと思っています。コロナウィルスのことがあって、震災の時同様、人とのつながりが見直されているので、この作品を観て、心の内面の部分、感情的な部分をもう一度感じてもらって、瞬間瞬間を大切に思えるようになっていただければと思います」と訴えた。



(オフィシャル素材提供)



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