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『その手に触れるまで』
オフィシャル・インタビュー

2020-06-05 更新

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督


その手に触れるまでahmed
© Christine Plenus
配給:ビターズ・エンド

 第72回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督最新作『その手に触れるまで』が、6/12(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開となる。新型コロナウイルスの影響を受け自宅待機をしているダルデンヌ兄弟2人に今回はオンラインでインタビューを敢行。ベルギーにある「テロの温床」とも呼ばれる地域をイメージし、過激な思想に染まった13歳の幼い少年を描いた理由とは……?
 今までもオーディションで集まった候補の中から演技経験のない少年、少女を選出してきたダルデンヌ兄弟。本作も同様にオーディションで主人公アメッド役を抜擢。撮影時の裏話や、撮影前に1ヵ月半もの期間を設けて行なったリハーサルの様子など、盛りだくさんの内容となった。


『その手に触れるまで』は2015年から16年にかけてパリとブリュッセルのほか、ヨーロッパで数度にわたって起こったテロに着想を得ているのでしょうか。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: 最初に題材として考えたのは「過激なイスラムの純潔の理想によって急進化した若者が脱急進化して、元の人生を取り戻させられるか」です。どうしたら、急進化した状態から離れられるか、が大切だと思いました。テロそのものはきっかけではありませんが、後押しにはなりました。


本作の後半の舞台は少年院とその校正プログラムである農場です。取材などからその舞台設定を考えたのでしょうか。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: 『その手に触れるまで』の少年院のシーンは本物の少年院を使用しました。そこに少年たちが収監されていますが、その中にイスラム教過激派のテロを行った人は多くて一人か二人。多いのは暴力事件などを起こした子どもたちです。映画の中で教育官や心理士などが少年たちに見せる思いやりや共感は、取材をしたことをもとに設定したものです。

リュック・ダルデンヌ: 少年院では大体農場に行く研修があります。すべての少年ではなく、一部の少年です。私たちがインスピレーションを得たのは、友人の女性が書いたルポルタージュです。殺人を犯した少年が農場に行くことで、農場を好きになり、自分がやったこと、過去を思い出してばかりだったのに前向きになっていったそうです。アメッドは自ら人に触れたりすることがなかった。人に触ることは不浄だと考えているけれども、農場のシーンのアメッドから、実は動物に触れるのが実は嫌じゃない、むしろ好きだということが分かるのです。そのルポルタージュを反映しています。


アメッドが命を狙うイネス先生もムスリムです。彼らの住まいや学校の地域は「テロの温床」と呼ばれているムスリムが多く暮らすブリュッセル郊外のモレンベークがモデルなのでしょうか?

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: 撮影はいつも撮影している場所(リエージュ郊外のセラン)です。でも確かにモレンベークのような場所をモデルに考えて撮影しました。殉死した従兄については、具体的なテロリストではありませんが、シリアなどに行って、事件を犯した人をイメージしました。アメッドも従兄もベルギーに生まれ、ベルギーで教育を受けた人たちです。そんな人たちまでが狂信化していくことに映画を撮る動機がありました。これまでにない、新しい種類の人たちが狂信化してテロを行う、自分たちがやっていることは良いことだ、と死を崇拝する。その事実に動かされて映画を撮りました。『その手に触れるまで』の出演者の中には、テロリストになってしまった人と幼少期に関わりがあったという人もいました。


日本にとってイスラム教は遠い存在です。ベルギーにとってはなじみがあるものなのでしょうか? また、本作を観たムスリムの方々の反応はどういったものでしたか?

リュック・ダルデンヌ: ベルギーでは人口約1,100万人中、50万人がムスリムで、イスラムは二番目に多い宗教です。雇用差別は今も少しはありますが、大半のムスリムは同化しています。ベルギーで暮らしているムスリムにはマグレブ系、モロッコから来た人たちが多いです。ムスリムの高校でも『その手に触れるまで』を見せましたが良い反応でした。映画を観て、学校でも議論が起きました。宗教の議論をしていられる間は良い関係だと思います。


主人公を演じたイディル・ベン・アディ自身もモロッコからの移民3世だそうですが、彼の家族はこの映画で描かれるイスラムについて、どのように受け止めていましたか?

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: イディルの家族は祖父母の代にベルギーにやってきました。イスラムの信仰はありますが、寛容です。イディル自身もイスラム教の儀式や禊などについてそんなに詳しくなかったので、私たちの友人でイスラムについての専門家が撮影現場でも説明して指示をしました。ご両親もシナリオを読んですぐに出演を許可してくれました。イディルのお母さんは、この映画が公開されたら、イディルをテロリストのような人だと周りの人に思われるんじゃないかと少し心配していましたが、最終的にOKしてくれました。イディル自身は実はこの映画で初めて演技に挑戦したのですが、いい人じゃない役をやってみたいと思っていたそうです。熟練俳優が悪人を演じたい、他の人が出来ない役を演じたい、という気持ちで役に向き合っていました。


イディルにはどのような演出をしましたか?

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: 若くても若くなくても俳優と仕事をするとき、まず舞台美術と小道具を使って1ヵ月半ほどかけてリハーサルを行い、準備したものが合わなければ変えていきます。リハーサルでは、一つひとつすべてのシーンをやってみます。イディルはリハーサルにすべてのセリフを覚えてきました。どんな話なのか理解してリハーサルに来ているので、彼は少しずつ役を覚えていく、という感じでした。動きもやるしセリフも読んでもらいます。前もって何かをお願いすることはありません。まずは動作を覚えてアクションに入って、セリフを言って、と体を通して覚えていってもらいます。特に「こうしてほしい」と具体的な演技指導はあまりしません。


本作に限らず、いつも具体的な台詞の指導などはしないのでしょうか。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ: リハーサルを少しずつ進めるにつれて、役者の演技は良くなっていきます。動作をやってみて、小道具の使い方にも慣れてきて、リズムも徐々に完璧になり、台詞も自然にぴったりと合ったものになっていきます。セリフについて「こう言ってほしい」と指導することは稀ですが、イディルは若くエネルギーに満ち、感情的・表現的になりやすいので、そういう時は「もう少し抑えて」と伝えました。セリフを言う間を変えたい場合、「もう少しゆっくり」とか「もう少し早く」とか、「ここで台詞を言って、それから何歩歩いて」などと伝えます。一番大切なのはリズムです。


農場の娘ルイーズを演じたヴィクトリア・ブルックも非常に目を引くキャストでした。

リュック・ダルデンヌ: ヴィクトリアはキャスティングで見つけた少女です。アスリートであり、競歩が得意だそうです。映画に出るのは『その手に触れるまで』が初めてでしたが、この作品の後に別の作品で声が掛かっているそうで、演技も続けながら、競歩も続けているそうです。


エンディング曲はどのように決めたのでしょうか? これまでの作品でもアルフレッド・ブレンデルを使用していますが、彼のピアノの魅力はどのようなところですか?

リュック・ダルデンヌ: ブレンデルのいいところはあえて表現をそんなにしないところです。演奏の仕方が客観的なところ。それが映画にちょうどいい。個人として、何かを表現しようとする感じがない、緩やかなリズムが続くのです。でも、それは、あくまでも、この映画に表現が合うと思ってのことで、情感豊かな演奏が好きな場合もあります。


新型コロナウイルスが世界に蔓延してしまいました。ベルギーも例外ではなく、非常に厳しい状況が続いています。

リュック・ダルデンヌ: まず、家にいること、ひとに近づかないこと。家族であっても、異物が入ったら手を洗うことが重要です。それが蔓延を防ぐ方法だと思います。はじめのうちは年配の人だけが死ぬ、と言われていましたが、いまや若者も死んでいます。誰も避けることはできない病気です。持病があるひと、糖尿病や肺にわずらいがある人は気をつけてほしいですね。
 今の社会において、健康、文化は公益でなくてはいけません。民営化してはいけない。アメリカの黒人たちを見ると、今の健康危機の犠牲になっています。貧民街では他の地域の人たちの2倍の確率の人が亡くなっています。治療も受けられず、栄養のある食事も採れない弱者です。私はこの機会に世界が変わることを期待しています。


ahmed


(オフィシャル素材提供)




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