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2014-05-08 更新
エヴァ・イオネスコ監督
エヴァ・イオネスコ監督
1965年7月18日、パリ生まれ。ルーマニア系フランス人で女流写真家のイリナ・イオネスコの娘。
4歳の頃から母親の写真のモデルを務め、1977年にイリナ・イオネスコの写真集「鏡の神殿」(Temple aux miroirs)が出版された事により、ヨーロッパを代表するロリータ・スターになった。また、史上最年少「PLAYBOY」誌の表紙を飾ったことでも有名。エヴァ・イオネスコの写真として、イリナの作品以外にジャック・ブーブロン撮影による作品が知られている。写真家ピエール・コモワとジル・ブランシャールの作品「アダムとエヴァ」も有名。エヴァの少女時代の写真は世界中に熱心なファンを持ち現在まで幾度か出版されている。
11歳から役者としての活動を始めた。パトリス・シェローが経営するナンテールの演劇学校で学び、ロマン・ポランスキーの『テナント/恐怖を借りた男』(76)や『思春の森』(77)に出演後、アントワーヌ・ヴィテーズに師事して演劇の基礎を身につけ、これ以降『ガーターベルトの夜』(84)や『恋する女』(90)、『ムッシュー』(95)、『アパートメント』(95)など含め、これまでの出演作は60本以上に及ぶ。また、シェローの舞台『砂漠の復活』ほか、舞台女優としての経験もある。
2003年以来、写真家としても活躍し、フランスや海外での展示会も開催されている他、ファッション誌でも活躍。2007年に短編映画『La Loide la Foret』を発表。本作『ヴィオレッタ』は初の長編映画となる。
実の母親の被写体となった写真集が世界的にセンセーショナルを巻き起こした自身の体験を基に、芸術家である母親と“普通”に生きていきたい少女の激しくもリアルな葛藤が描かれたエヴァ・イオネスコの初監督作『ヴィオレッタ』。日本公開を前に、本作への想いを語った監督のインタビューが届いた。
この映画の原案は10年前に書いたのよ。そのときは資金を得られなかったので、数年間放置しておいたわ。それから写真を撮るようになり、中篇映画を作って、さらに脚本を書き足したの。
この映画は私が描こうとしていたストーリーの最初の部分を描いているのよ。ヴァイオレッタが経験するパリの生活、ナイトクラブ、初恋などね。自分に近しい出来事を描くことは、思ったより自由にはいかなかったわ。
母は私が4歳のときから写真を撮り始めたんだけど、まず(年齢に応じて)何人かの女の子に役を演じてもらうのは嫌だったの。初めての映画を3~4時間の長さにはできないので。ルールを厳しくする必要があって、やっと歩き始めたばかりの子どもにヌードでポーズをとらせるなんて、とてもできなかった。それに、私がずっとやってきた裸でアクセサリーをつけた少女のような、いわゆるヌードについては隠しているの。私が撮る側に回ったとき、ハイヒールをはき、ガーターベルトを身につけ、開脚するような少女を演じさせることはできなかった。暴力だってもっと酷くできたかもしれない。映画のこういった側面を頭では理解できるけれど、実際に画面には映ってはいないの。私の限界はそこだった。自分の傷とは距離を置いているのよ。
結局、この映画は私の心を揺さぶる心象に重きを置いていて、視覚的な考えとは基本的には関係ないのよ。私がジャンルのミクスチャーや華やかなものが好きだから、自然に湧き出して来るの。苦労したことは写真を映画に撮ることね。
それは確かね。物語には道徳的なところもあるけどね。でも、小さな少女にはこの道徳性が必要だとは思うの。生き延びていくためには不可欠ね。
10歳半のとても若い女優、アナマリア・ヴァルトロメイを起用しているのだけど、彼女に全てのシチュエーションをきちんと説明することがとても重要だったから、彼女を含め、役者たちと何度もリハーサルを重ねたわ。彼女には『地下鉄のザジ』を見せて、生意気さを表現できるようにしてもらったの。憎しみ、母娘関係、感情の葛藤を中心に、何度もアドリブ芝居をしたわ。女優として学んだことは役者たちと仕事をするのに本当に役に立った。
この題材は80年代でもすでにタブーだったわ。多くの芸術家にとって、この分野は犯罪だったの。これが起こったのがミッテラン時代の終焉だったということを私たちは忘れてはいけない。左翼が台頭してきたの。それは確かよ。それから、パンクもね。
確かに、私の映画はアートの限界について議論を呼ぶかもしれない。でも、それは「裸の子どもをどの程度まで使っていいのか?」という議論を呼ぶことにはならない。実際、母が撮ったような極限まで洗練された写真が少女のヌードを映し出しているという事実から、「アートかポルノか」という論争は生まれるの。そうでないと、論争なんて起こらないのよ。
今まで映画の衣装を手がけたことのなかった、キャサリン・ババが衣装デザインを担当してくれたの。私はアメリカ映画とハリウッド黄金期が大好きなの。イザベルにはそんな映画の登場人物のようになってもらいたかったから、映画の中盤にそのようなイメージの中でのお芝居を差し込んでみたのよ。奇妙な部屋の中に二人の似たようなブロンドのヒロインがいるのだけど、どちらが大人か子どもなのかわからなくなって、役割が逆転するのよ。
ベット・デイヴィスの要素も見受けられるわ。ハンナをアメリカ映画の悪女とリンクさせたかったの。キャサリン・ババは30~50年代そして80年代に極めて精通しているのよ。彼女のようなファッション業界からの人材を求めていたの。というのも映画にとても重宝するからよ。例えば、獰猛な鳥のようなイメージを作るための羽や、イザベルの目のクローズアップのためにベールを使いたかったの。ヴァイオレッタについては、50年代っぽく、ロリータみたいにしたかった。
ハンナが自分を常に見るための鏡を置くことによって、迷宮のようなセットにしたかったの。寄せ集めのガラクタでいっぱいのおんぼろの家が、照明でぱっと変わるような、そういうセットが重要だったの。死がそこにあるかのような場所でもあった。あの家は聖域であり、ハンナの墓でもあるのよ。バンパイア映画のようにね。こういったB級映画とのつながりは興味深いわ。もちろんマリオ・バーヴァやブライアン・デ・パルマの『ボディ・ダブル』についても考えたの。まあ、無意識にだけど。無声のバンパイア映画のことも頭にあった。私の登場人物たちは無声映画からひらめきを得ているから。
(オフィシャル素材提供)
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