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舞台挨拶・イベント

トップページ > 舞台挨拶・イベント > 『キャプテン・フィリップス』シンポジウム・リポート

『キャプテン・フィリップス』
シンポジウム・リポート

2013-11-10 更新

リチャード・フィリップス船長、後藤健二(インデペンデント・プレス)

キャプテン・フィリップスphillips

配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
11月29日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー!
© 2013 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

 2009年、ソマリア沖――乗組員20名の命と引き換えに、自らの命を海賊に差し出し“人質”となった船長(キャプテン)の緊迫の4日間を描く、トム・ハンクス主演の映画『キャプテン・フィリップス』。この度、体感するシンポジウム「中東・アフリカ地域における安全管理と危機管理」イベントが行われ、映画のモデルとなったリチャード・フィリップス船長が来日、貴重な体験談をレクチャーした。

phillips 近年、不安定の度を増している中東およびアフリカ諸国で邦人が被害に遭い、事件に巻き込まれるケースが増えてきている。本イベントでは、中東およびアフリカ諸国の危険や危機を想定し、そこで活動する日本企業や個人にむけて、危機回避訓練を中心に、参加者同士の討議を通じて経験や疑問を共有し合う機会を創出したいという意図でシンポジウムが実施され、第一部では横浜マリンタワーホールにて、英国の民間警備会社最大手AEGIS社から人質解放交渉の専門家を1名、危機回避訓練を提供しているTYR Solutions社からインストラクターが1名を招聘され、講義(セミナー)を実施。第二部では、横浜・山下公園内に停泊している客船「マリーンルージュ」内で、現在の中東・アフリカ諸国で起きうる事件を想定とした疑似シナリオに基づいて、上記2名の人質・誘拐事件のエキスパートによる船上体感シミュレーションが行われた。

 その後、2009年、ソマリア沖で海賊の襲撃を受けて人質となった米国貨物船(マースク・アラバマ号)のリチャード・フィリップス船長が登壇、当シンポジウムを主催したインデペンデント・プレスの後藤健二との対談形式で、映画『キャプテン・フィリップス』で描かれた実際の体験を生々しく語った。

後藤健二: ようこそいらっしゃいました。

リチャード・フィリップス船長: 今回このように重要なシンポジウムにご招待いただきありがとうございます。日本は安全かもしれませんが、今日の情報は非常に重要な情報なのではないでしょうか。最悪な状況は想定しておいたほうが良いので、危機的な状況の時に何をすべきか、ここで皆さんと話をできることを光栄に思います。改めてありがとうございます。

後藤健二: 船長はトム・ハンクスと瓜二つですね! 驚いています。

リチャード・フィリップス船長: 私のほうがちょっと太っていますが、「自分のほうがハンサムだ」ってトムには言ったんですよ(笑)。

後藤健二: 船長のお仕事を教えていただきたいのですが、乗船した時にどのようなことをチェックなさるのでしょうか?

リチャード・フィリップス船長: 私が最初に船長として乗船した時から、必要な項目は全てチェックしています。リーダーであれば数え切れない項目、1000以上はあります。慎重に全ての項目をチェックしていきますが、その中でも重要なのはよく観察すること。必ずダブルチェックします。時には1週間以上かかることもあります。優先順位や状況に応じて項目を変更したりすることもありますが、残さずチェックすることが大事ですね。

後藤健二: ソマリアでの事故が起こったあの日、いつもと違う様子はありましたか?

リチャード・フィリップス船長: 確かに映画のような展開だったかもしれません。3月31日に乗船したのですが、出発してから5万マイル地点で状況が変わった感じがしました。その時からセキュリティに関して、手を打つことを考えました。本来であれば閉めておくべきドアを閉めることや、船内で最下層の人を一番高いセキュリティーの場所にもっていきたいと思いました。

後藤健二: 方法論としてはどういう風に現場で行うんですか? 具体例を教えてください。

リチャード・フィリップス船長: 基本的なこととしては船長室に閉じこもっていないで、自身が歩きまわってチェックすること。エンジン部分のドアが開けっぱなしになっていたので、閉めたり。そこから人が入ってしまうと危険度が増すので、内部から鍵をかけました。私自身もセキュリティに関しての知識があやふやになっていたので、訓練をもう少しやっていく必要があったと思います。海賊だけでなく誰かが負傷した時など、手順が間違っていないか乗組員と同じ認識をもつことが大事です。直感で行動できることもありますが、異常が出た時ににどう対処するのかトレーニングを繰り返すことが重要です。それ以降は訓練を怠らないようになりましたし、乗組員だけでなく自分自身が異常がないかチェックすることが重要ですね。

後藤健二: 本の中で船長が「3つの間違いを犯した」と書いてらっしゃいますが、具体的には?

phillipsリチャード・フィリップス船長: まず事件が最初に起こった時には乗組員の命を最優先する方法をもっと考えるべきでした。海賊が何を持っていてどんな目的だったのか全く分からない状態でしたが、まずは最優先にすべきなのは乗組員の安全を確保することですね。
 二つ目はレスキューボードで海上に出る時。レスキューボードは装置レバーを引いた時に海に落ちるようになっていたのですが、レバーをずっと握り続けていればあのようなことにならなかったのでは、と今は思います。
 三つ目は、最終的にレスキューボードが推進力を失っていたので、その対処をすべきでした。その時は人質になっているという問題をどうやって解決するかに躍起になっていました。

後藤健二: ミスとはいえ全員が助かったのですから、素晴らしいことだと思います。

リチャード・フィリップス船長: それが一番の目標でした。乗組員の安全と物資を守ることをいつも念頭に置いていました。今回のような海賊の事件だけではなく、船長の責任はどんな時でも求められること。嵐の時も乗組員の命を守ることが一番大事です。

後藤健二: 海賊と狭い空間で過ごされたと思いますが、精神的にもうダメだと思ったときにどうしましたか?

リチャード・フィリップス船長: ライフボードに乗った時に希望は捨てないようにしていたことと、救助される時にはそれに対処する体力の維持が必要だと思いました。時々、海賊に水をくれと言ったのに、なかなかくれなくて非常に辛かったですが、最後の最後まで希望は捨てませんでした。抜け出す可能性を信じて、その時に使う体力の維持を意識していました。

phillips後藤健二: 交渉人が来た時にどんなことを期待しましたか?

リチャード・フィリップス船長: 実際は何が起こっているのか分からなかったんです。私自身は特にそこで何も思いませんでしたし、特に期待はしていませんでした。ネイビーシールズが来た時もすぐに救出してくれるとは思いませんでした。アメリカが何かしてくれようとしているのは感じていましたが、期待を持たないようにしていました。

後藤健二: 危険な海域というのはご存知でしたよね? そういう場所で仕事することは船長にとってはどういうことなのでしょうか?

リチャード・フィリップス船長: 海賊はソマリア沖だけにいるわけではありません。インドネシア、フィリピン、アフリカ沿岸など危険な場所はいくつかあります。海賊に限ったことではなく、乗組員の病気や嵐、火事、台風など危険に認識を対処する方法を予期していなければなりません。危険な状態から安全な状態に持っていく方法ですね。海賊の場合、相手も人間なのでパターンがあるわけではなく、状況は変わります。必要に応じて最適方法を選択しなければなりません。

後藤健二: 船長は家族に対してはどういう気持ちを持っていますか?

リチャード・フィリップス船長: 船に乗る仕事しているということは、通常とは違うかもしれませんね。長期間家族に会えないので、一緒にいる時間の大切さは他の人と違うかもしれません。事件が起きている時は、家族のことは一回も考えませんでした。その時は状況をどう立て直すか、混乱をどう収拾するかに集中していて、家族のことを考える余裕はありませんでした。ライフボードに乗った時には、気持ちを整理する時間を意識的に持とうとしたので、妻や息子のことなど考えました。もし何かあった時に家族は大丈夫なんだと、気持ちを整理する時間を意図的に作りました。

後藤健二: 今回の観客の方々は社員の命を預かっている方々です。ぜひメッセージをお願いします。

リチャード・フィリップス船長: 私が海賊の襲撃を受けた時、私の会社は家族に対して最善の努力を払ってくれました。悪いニュースはどうしても良いニュースにはならないので、事実の情報をきちんと伝えてくれました。情報を出したりサポートをしたりすることは企業の役目だと思います。安心、心の平穏を保つためにどういう対応をするのか、またメディアに対して家族がどう守れるかなどですね。事件が起こった時、妻にメディアから取材が殺到しました。妻にとっては耐えられないことでした。その後企業はメディアから攻撃を受けないように、違う場所に移動してくれました。
 事件後のサポートも重要です。心、金銭的なサポート継続的に行うこと。経験として、私の会社は非常に良くしてくれました。感謝しております。


(オフィシャル素材提供)


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