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『羊飼いと風船』オンライントーク

2021-01-28 更新

ペマ・ツェテン監督

羊飼いと風船hitsujikai 配給:ビターズ・エンド
シネスイッチ銀座ほかにて絶賛上映中
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 アッバス・キアロスタミやウォン・カーウァイも、その才能に惚れ込み高く評価し、作家としても高い実績をもつ、チベット映画の先駆者 ペマ・ツェテン監督の待望の劇場初公開作『羊飼いと風船』が1月22日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開中。すでに本作を鑑賞した観客は、「映画史に残る素晴らしいラスト!」「夫婦を通じて、女性の決定権と宗教の対立を信じられないほど美しく詩的な映像で描いた傑作!」など絶賛!

 この度、公開を記念して本作を手掛けたペマ・ツェテン監督によるオンライントークイベントが1月23日(土)にシネスイッチ銀座にて開催され、観客からの興味深い質問に監督自ら回答した。


 オンライントークのはじめに、ペマ・ツェテン監督は「これまでの作品は、映画祭や各イベントでは上映がありましたが、長編第7作目である『羊飼いと風船』が日本でこうして初めて劇場公開されたということが本当に嬉しいです。皆さんのご支援に大変感謝いたします」と挨拶し、自身にとって初めての日本劇場公開となる本作の公開を喜び、観客へ感謝の言葉を述べた。


★ 二度目の検閲で審査が通り、ようやく映画製作に取り掛かることができたその理由とは

 中国の一人っ子政策がテーマとなる本作は、一度目の検閲では審査が通らず、何年か経て二度目の審査でようやく映画製作に取り掛かることができたという背景をもつ。一度目の検閲が引っ掛かってしまった理由を、監督は「私が最初に審査に脚本を送った時には、まだ中国の計画出産(一人っ子政策)が実施中でした。ですから、審査が通らなかったのだと思います。二度目は何年も経って送ったわけですが、その時も私は脚本上かなり調整をしましたが、ちょうど政策が廃止になり、検閲が通り許可が出ました。だからおそらく、一度目に審査が通らなかったのは、そういう理由だと思っています」と、中国の政策と大きく関わりがあるのではないかと答えた。


★ 「フェミニズムの映画ではないか」とよく言われるが、はじめから意図したわけではなかった

 事前知識なしで観に来た観客から「作品を観る限り女性監督だと思い込んでいたのでペマ監督のお姿を拝見し驚きました。この作品の原点はどういったところにあるのでしょうか?」という質問が上がった。この質問に対し監督は、「映画をご覧になった方によく、女性の視点から撮った映画で“フェミニズムの映画ではないでしょうか”というふうに言われますが、自分がはじめにこの作品を思いついた時は、女性の苦悩を強調して撮ろうと思ったわけではありません」と回答。本作の発端は、「ある時、北京の町を歩いていて夕方の空、風に吹かれて飛んでいく赤い風船をみました。そのイメージがとても強烈で、衝動的に映画に撮りたい!と思ったんです。それから舞台設定をチベットにしたいと考えました。その後、だんだんと脚本の雛形が出来ていくなかで、女性を主人公にしたわけですが、女性が今とても辛い選択を迫られている、という話を思いつきました。そこから計画出産(バース・コントロール)が行われていた90年代に設定しました。そこに、チベット人特有の信仰と伝統、それらによる矛盾に直面する女性の苦しみを脚本に落とし込んでいきました」と、空に浮かぶ赤い風船からインスピレーションを受けたこと、はじめから女性視点の話を描くつもりではなかったことを語った。


★ 設定は90年代、しかし現代でもチベット人が輪廻転生を信じていることに変わりはない

 「この物語を現代に置き換えたらどうなるのでしょうか」という質問に対し、監督は、チベットの人々が今でも輪廻転生を信じていることに変わりはない、と話す。

 「チベット人はほとんど皆、“魂は死なない”と深く信じています。ですから転生というのは今でも信じられており、どこに転生したのかを探すこともよくあることです。基本的にチベット人は今もこの生まれ変わり(=輪廻転生)を信じています。例えばこの作品のように、ある老人が亡くなると、この人はどこに転生するのか、ということはよく話題になりますし、例えば子どもが亡くなった人と関係のある発言をすると、もしかしたら生まれ変わりかもしれないと皆思います。チベットの人たちが今でも輪廻転生を信じていることに変わりはありません」とチベットの人々の信仰について語った。


★ 映画監督と小説家というふたつの顔をもつペマ監督。小説と映画、表現の違いとは

 本作『羊飼いと風船』が一度目の検閲に引っ掛かった際、小説として先に発表し、その小説をもとに改めて脚本化したという経緯がある。これまで手掛けた他の長編映画も、自身で小説として著した作品が多い。「何かを見たり聞いたりしてインスピレーションを感じるとき、これを映画にするのか、小説にするのか、という判断は自然と働きます。しかし映画をつくるには外部的な諸条件が多く、おのずと限度ができてしまうため小説は映画よりずっと自由度が高いといえます。ただ、最近はストーリー展開についても、どこかで映画的な発想をしている。長編映画を何本か作ったことで、何らかの影響が出てきているんでしょうね」と、二足の草鞋による相互作用を語った。


★ ラスト・シーンは、一人ひとり自身の経験や環境に基づいて想像してほしい

 母親・ドルカルの行く末を明確に提示しないラスト・シーンについて、監督はその意図をこう話す。「主人公・ドルカルの人物設定とラストをあのように描いたのには、大きな関係があります。ドルカルは現代的な女性のような結論は出せません。なぜなら彼女はチベットに住み、伝統的な信仰や習慣に取り囲まれているからです。その中で彼女の悩みは、ますます大きくなる。そして一体どうしたらいいのか、という大きな悩みがあるからこそ、ラストは簡単には結論付けられません。私自身も監督として、簡単に選択・結論を彼女に与えることは出来ませんでした。彼女の置かれている環境において、大きな矛盾のなか悩んでいる姿、これからどうなるのか、というのは簡単には結論は出せないと言いたかったのです。ですから、観客の皆さん一人ひとりの文化的な背景やこれまでの経験、ご自分の環境によって違うラストを想像すると思います、そしてそれでいいと私は思います」。


 トークイベントの最後には、改めて映画館へ足を運んだ観客へ感謝の言葉で締めくくった。


hitsujikai


(オフィシャル素材提供)



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