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『野火』PFF×早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」

2021-08-06 更新

ゲスト:塚本晋也監督、荒木啓子氏(PFFディレクター)
聞き手:土田 環氏(早稲田大学 基幹理工学部 表現工学科)

野火nobi ©Shinya Tsukamoto/海獣シアター
配給:新日本映画社
戦後76年アンコール上映 2021年夏 渋谷・ユーロスペースほか全国順次公開

 7月17日(土)に行われたぴあフィルムフェスティバル(PFF)と早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」とのコラボレーション企画に、『電柱小僧の冒険』で「PFFアワード1988」グランプリを獲得し、7年目をむかえる毎夏の『野火』アンコール上映が控える塚本晋也監督とPFFディレクターの荒木啓子氏が登壇した。学生の皆さんは事前に『電柱小僧の冒険』『野火』と『野火』のメイキングを鑑賞の上講義に参加し、質疑応答では、作品について、映画製作について、戦争を表現することについて、多くの手が挙がり、90分間をこえて熱く語り合う有意義な時間となった。


 授業「マスターズ・オブ・シネマ 映画のすべて」は、早稲田大学基幹理工学部およびグローバルエデュケーションセンターに設置された科目。映画・テレビドラマ・アニメーションなどの映像分野を支え、活躍するゲストスピーカーを迎えて、聞き手を教員が務め、履修する学生たちとのディスカッションを交えながら、創作行為に対する姿勢やその手法について話を聞く。講義は、毎週90分間の枠組みのなかで行われ、ゲストの作品や著書をあらかじめ観ておくことや読んでおくことが学生には求められており、正規の履修者には単位が付与される。早稲田大学の全学部を対象として、今年度は選考を経たおおよそ300人の学生が対面式とオンライン形式を併用して、この授業を履修している。

 映画・映像の世界で活躍するゲストを迎え、学生からの質疑を交えて、制作にまつわるさまざまな事柄を語る早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」。年に一度のぴあフィルムフェスティバル(PFF)とのコラボレーション企画に『電柱小僧の冒険』で「PFFアワード1988」グランプリを獲得し、毎夏の『野火』のアンコール上映を控える塚本晋也監督とPFFディレクターの荒木啓子氏が登壇した。受講の学生は事前に『野火』と『野火』のメイキングである「塚本晋也解説『野火』20年の軌跡」を鑑賞し講義に臨んだが、それより以前に『野火』の鑑賞経験があったのはアンケートに回答いただいた120名のうち15名で、9割近くの学生が初めて『野火』を体験したこととなる。


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 1977年に始まり自主製作映画の紹介を続けていたぴあフィルムフェスティバルは1988年よりコンペティションで賞を出すようになり、最初のグランプリ受賞者が塚本監督。のちに映画祭に参加した荒木氏はいろいろな作品を観る中で受賞作『電柱小僧の冒険』を観たときの衝撃を「とんでもない人がいるな。自主映画ってここまで真剣にやる人たちがいるんだ、という感動に打ち震えました。そのときから私のヒーローのひとり」と語り、その後交流を重ねる中での本人の印象を「とにかく映画にかける情熱、何かをつくることにかける情熱や集中力が並外れた方。ずっと尊敬しています。石井岳龍監督と塚本さんのふたりが“自主映画ってすごい”と導いてくれる心のメンターみたいな存在」と述べた。また「『電柱小僧の冒険』は8ミリフィルムでつくった作品ですが、特撮で、自分の力でできるあらゆることをすべてつぎこんでいる、どうしても観てほしい作品。それが今回の(課題作)『野火』まで綿々と続いている。『野火』を終戦記念日に絶対上映し続けなければいけないという決意に感動しているし、この映画自体が命がけだったという体験を聞いたことが忘れられなくて」と今回塚本監督の登壇を企画提案した理由を語った。

 登壇にあたって『野火』について学生と話したいと提案した塚本監督はその理由を問われ「毎年8月の終戦記念日のあたりに『野火』という映画を映画館で上映しているんです。戦後70年、今から6年前に最初に上映してから毎年全国で30館くらいの劇場の方が手を挙げてくださってます。僕自身がこの映画をいろいろな思いでつくったわけなのですが、お客さまと一緒に映画を観てお話をしたりしながら、逆に教えてもらうような感じで自分の中で意見を固めていったりするところもあるので、もし今日も教えてくださることとか質問に答えながらまた何か発見することがあったら幸いです」と答えた。

 土田氏は「学生の皆さんは塚本監督にまず最初に俳優として出会ってることが多いのではないか」と推察し、「監督として映画を演出されることと役者として映画に出演されることと全然違うと思うのですが、自分の映画で自作自演されるときというのは、どういう頭のすみ分け方をされてるんですか?」と質問。塚本監督は「8ミリ映画をつくっていたので撮影したり出演したり、大概のことは自分たちでやっている。最初のきっかけはそこ。お芝居に関してはすごく恥ずかしがり屋だった子ども時代に学芸会で演じた後、空が真っ青に見えてうれしい気持ちが溢れてきたんです。映画つくりとお芝居とはそれぞれ同じように大事なものでずっとありました。自分の映画に出るときは説明しなくても分かっているので、便利ということもあれば好きでやってることでもあります。ただ他の監督さんの作品に出してもらうときは、監督目線で行くことは絶対にないです。あくまでもひとつのコマとなって、好きな監督の映画のつくりかたを見られたり、その世界の住人になれる喜びを味わいに行くような感じです」と答えた。

 重ねて「体験した感覚」という『野火』に関しては「自分が出ることは当初まったく考えておらず、いつか潤沢な予算が入るようになったら著名な俳優さんに出ていただき撮ろうと思っていた。ただ先延ばしにしているうちに、時期を外してしまうような、映画そのものが腐り落ちてしまうような危機感を感じて、今つくらなければとなったとき、お金が全くなかった。本当に頓智みたいなことをいろいろ考えて、ひとりカメラを持ってフィリピンに行き自撮りで撮ろうというところから始めた。この映画に関しては監督とか出演とか脚本ではなく、『野火』という大岡昇平さんの素晴らしい小説をとにかく全霊でかたちにする、そのことにすべての力を注ぐ、芝居をするのもそのひとつ、という感覚でした」と答えた。


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 またラスト・シーンや〈野火〉の解釈、主人公が〈猿の肉〉を口にするかどうかなど、「市川崑版の『野火』(59)との違いを意識したか」については、「大岡昇平さんの原作をなるべく厳密に尊重しながら映画的表現に置き換えるという基本の向き合う姿勢は同じだと思いますが、一つひとつの描き方はかなり違ってくる。それはそのときの倫理観、映画的解釈、時代の違いでもあると思う」と述べた。

 続いて荒木氏より「戦争映画というとぱっと何を思い浮かべるか?」との質問には『地獄の黙示録』と『プラトーン』を挙げ、「ヴェトナム戦争を描いた当時の映画は相当影響を受けた。本当に自分が戦争に行って戦争を体験しているような感覚が刷り込みとしてあり、やっぱりこの2作に戦争というものがきれいごとや大義名分じゃないという真実味を感じました」と答えた。荒木氏は塚本監督が戦争映画をつくったことについて「結構びっくりするぐらいの出来事だったと思う。(戦争映画は)出資者が見つからないし企画がまず通らない。深作欣二さんや岡本喜八さんくらいの戦争を知ってる世代が最後な気がします」と振り返り、戦争映画を撮ることの困難さが改めて浮き彫りになった。


【質疑応答】

戦争に対して訴えかけることを意識されてるのかなと思いました。「映画の力」「映画の意義」という言葉に関してご意見お聞かせください。

塚本晋也監督: 物語の中にテーマ性はあっても、論理的に脚本の構造的に結論に導くようにつくるのはちょっと違うかなという気がします。映画というのは観ていただいてお客様に感じていただくものなので、自分の考えに誘導するようなかたちがはっきりあらわれたものだと昔からプロパガンダと言われますが、芸術というよりコマーシャルのようなメッセージになってしまいます。あくまでも自分の考えを押し付けるのではなく、いろいろなふうに考えられるようなものとして提供しないといけないのかなとは思います。『野火』は大岡昇平さんの素晴らしい小説が原作なのでいつ描いても普遍的なテーマであると思い、つくることにそんなに焦っていなかったのですが、実はつくったときにはものすごく焦りがありました。戦争に兵隊さんとして行かれた方、肉体の痛みを知る方がいらっしゃらなくなると世の中どうなってしまうのだろうという危機感があり、なるべくその痛みをリアルなかたちで残すことが必要と思いました。これはそのときの社会の動きが強く影響しているのかなと思います。あとは皆さんどう感じますか?ということです。


エンタメとアートは分けられるものではないとは思いますが、映画には娯楽性のほうが重要視されているのでしょうか?

塚本晋也監督: 『野火』という映画は娯楽性が欠けていて「よかった」とか「感動した」とかのカタルシスのない映画なわけです。ただ自分は戦争というものはカタルシスで描くべきじゃないと思ったので、そういう意味で娯楽性を入れることができなかったということなんです。ただ『野火』と離れたテーマで言うと、娯楽性と社会性というか僕の場合は実験性と言いますが、そのバランスはいつも考えていて、「面白かった」と笑ってぽんと忘れちゃうのが娯楽だとしたら、非常にこだわりの強い実験的なものをうまく合体させられないかなと『電柱小僧の冒険』のころからずっと考えています。その理想的な融合をいつも探しています。


若い頃に観た実験映画で強烈に印象に残っているものはありますか?

塚本晋也監督: 実をいうと本当の実験映画というのはちょっと苦手意識があって……。娯楽映画もいわゆるハリウッド映画も大好きなので、実験的なこととうまく合わさらないかなというポイントでいうと、デヴィッド・リンチ監督とか、デヴィッド・クローネンバーグ監督は娯楽性と実験性がうまく合わさって面白いアートに昇華させた方々かなと思い、映画をつくり始めた頃によく観てました。


『野火』を観て人間の視線や視点がすごく怖いと感じました。見られる恐怖、恐ろしいものを見てしまう恐怖。製作するにあたって人間の目や目線にこだわりがあったら教えてください。

塚本晋也監督: カメラ目線ということでいうと、この映画はお客さんが田村一等兵と同じ立場になって森の中を彷徨ってるように見せたいと思いました。映画ですと例えば主人公が何かを起こしていて、「一方」のアメリカ兵を映したりします。アメリカ兵が戦闘の準備をしている、一方こっちはそのことに気づかず行動している、とハラハラさせる。『野火』ではそういう描き方はせずに、あくまでも森を彷徨ってる田村一等兵の目に見える範囲しか映さないようにしています。もっと言うと自分たちの上官の姿すら見えない。兵隊さんに行くと実際そんなようなものじゃないかなと思うのですが、そういう目線にすることでお客さんがそこにいるようなリアリティを感じてもらえるようにしようとしました。まわりを全然描かないので、恐ろしい銃撃などが突発的に起こります。おそらく本当の兵隊さんも歩いてると突発的に弾が飛んできて、突発的にもう弾が当たっているということだと思います。その突発性の暴力の衝撃は物語を構造的にしっかり見せるより印象が強いのかなと、そのようなカメラ目線にしました。

土田 環: 田村一等兵は受け身というか「見る」「見てしまう」のような存在なのでしょうか? 原作では自問自答のような感じですごく内省していきますが。

塚本晋也監督: ある時期、大岡昇平さんの小説への経緯というかたちでモノローグを入れようかと思ったんですけど、それこそ実験で吉と出るか凶と出るか分からないですけど、全部外して映像で表現できないかとシフトしきってしまいました。最初簡単な設定くらいは冒頭に入れてたんです。それも最後に止めちゃって。何の説明もなくいきなり森に投げ出されて、いきなりつきあわされるという……。

荒木啓子: そういう意味での実験ですよね。つまり映画はこうあるべきというセオリーを外したところで何をやるかという実験。独りでつくるというところから発生しているだけに、他の映画ではやってないことはたくさんあると思います。実は勇気をもらった映画があるのかもしれない。塚本さんは黒澤 明さんも大好きなんですよね?

塚本晋也監督: 黒澤監督こそ、ハリウッドも影響されるようないわゆる娯楽の王道なんですけど、実験精神が毎回毎回あふれている。ある意味娯楽と実験のせめぎあいみたいなものを黒澤監督の作品にいつも感じるからかもしれませんね。よくよく見るとすごく実験にあふれてる映画なんですよね。時代劇で人を斬ったときに音が出たり血が飛んだり、今では当たり前になってることもあるけど、悲しいシーンに明るい音楽の対比で強調させるような、今やっても新しく感じるものもたくさんありますよね。

荒木啓子: カメラ目線で主人公が語るというのも黒澤さんが始めたような感じですよね。普通の商業映画がやらないことをいっぱいやっている衝撃はあります。やっぱり人がやってないことをやるっていうのがすごく大事ですよね。


色彩についての質問です。『野火』を観たときに色の彩度が高くコントラストがきつく油絵を塗ったような印象がありました。きつすぎる緑と異常なくらいの空の青と血の赤色……。色に対してはどういう意識や考えを持っていますか?

塚本晋也監督: 美術を勉強したので色はかなり大事です。各作品ごとに明瞭なコンセプトがあります。『鉄男』で言うと鉄なので白と黒と銀。はっきりさせるとすごく強くなる気がします。『野火』に関しては原作を最初に読んだときにものすごく自然の美しい世界と泥んこの茶色く汚くなっちゃったちっぽけな人間の対比を感じ、緑をくっきり強くしてそのことを描きたいと思いました。強くしすぎたかなと思うときもあるのですが、はじめてフィリピンに取材に行ったとき、本当に天気がよく緑が美しく、本当にここで戦争が起こったのかピンとこなくて。戦争というと白黒な暗雲立ち込めてる中で起こってるイメージだったのが、ここで起こってたということがなんか拍子抜けするような。でもきっとこの拍子抜けするようなイメージの自然の中で弾が飛んできたのだろうと、あえて自然はくっきりと映しました。


20年の構想との理想と現実。低予算で結果的によかったことは何でしょうか?

塚本晋也監督: いくら低予算でつくったからといって、お金があればこうだったのにというのはお客さんに失礼なので、どうしてもやりたかったことは全部入っています。逆に余分なものがなくて無駄がない。映画はお金を出した人のものなので、誰かがお金を出してくれるということは意見を聞かなければならない。でも自分がお金を出してるので最終決定権は自分。それで凶と出るか吉と出るかは分からないけど、余計な描写を全部なしにできました。お金さえあれば……と思うことは、よく考えるときっとできないんですよね。「今」という状況でどうしてもつくりたかったからできたのだと思います。


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時間が経ち体験者の方の話など一時情報がなくなっていき、戦争映画を撮る責任や動機からだんだん離れていく状況になると、経験していない人が戦争を撮ることは結構危ないことではないかと考えています。戦争を経験していない人間が戦争映画を撮る意味を伺いたいです。

塚本晋也監督: 超大事な質問です。大事な問題に今後なっていくと一番感じていたのは僕自身で、体験していないのに描くの厳しいなと思う気持ちが『野火』をつくってるときもありました。自分が戦争映画を描くときにヒロイズムでは絶対描かないです。それは言語道断。悲劇的に描くのはかつて素晴らしい映画がすでにある。加害者の目線で描くべきではないかと思いましたが、加害性の凄さを資料を調べたくらいで、やるのはちょっと抵抗がありました。『野火』には加害性も被害性も含めたものがあり、それどころか唖然とするほどの恐怖が入っていて、やりたいという衝動がありました。僕がかろうじて経験がないのにやれたのはやっぱり戦争でフィリピンに行かれた方の話をかなり細かく聞けたので、それを後ろ盾にやるべきだと思ってかたちにしました。ただこれからどうやって描くべきか?という指針がまだ自分の中にない。怖い気持ちもありますが、ただそれは今後やらなければいけない大事なことのひとつ。だから皆さんの中でテーマを感じたら、体験者の方がいなくなる中で表現しなければならない。大きな課題なんですけどどうしたらいいんでしょうね?

荒木啓子: 経験してないとやっちゃいけないんですかね?

塚本晋也監督: それは多分やってもいいんですね。緻密にいろいろ調べたことによってあぶりでてきたことを組み合わせていくとほぼ事実といえると思うので、そこに自分のテーマが乗っかれば表現していいし、表現するべきと感じます。

荒木啓子: 戦争というのは世界中で常に起きていて、何らかのかたちであらゆる国が関わっている。それって全く他人事じゃないということはずーっと人類が生まれてから続いてるんじゃないかと思うんですよね。私たちの生活に絶対関係がある。戦争状態というのは究極の暴力だと思う。暴力を描くこと、創作物にすることと何ら変わらない。創作物って想像でつくるってことだとやっぱり思うんですよね。

塚本晋也監督: 逆に戦争はまだ体験者の方がいらっしゃるから疑問がわきますが、そういう意味では幕末ものとか映画をつくってるわけですからね。ただ幕末ものというともうSFの領域に入ってきちゃって自由なアレンジ感が強くなってくる。質問者さんが聞かれたようにシリアスで切実な大事なものを描くにはよほど慎重にならないといけないと思いますが、調べに調べることによって自分の中にひとつのリアルができてくるというのはやっぱりある気がします。自分も戦争体験者の方のお話の他にも資料をいっぱい見て、いろいろな角度、立場の人の意見を見る中で、くっきり浮かび上がってくるものがありました。そこにテーマをのせるとそれはもう大事な表現というか訴えなきゃいけないもの。それがある限り表現してもいいし、しなくちゃいけないと思います。

土田 環: 『野火』も体験そのものを記したものではありません。まさに大岡昇平は「私は事実だけを書く」と調べていくことによって「フィクション」でありながらも「リアル」を構築する手法を考えつくした人だと思うんですね。彼はもちろん戦争体験者ですけど、実際に体験したかしてないかを越えて、表現において自分が書くためにはどういう作業が必要なのか、何を裏切ってはいけないのかということを、考える地点で、大岡と塚本さんとが重なり合うのだと思います。

塚本晋也監督: 日本の戦争は終わってますけど、イラクとか戦争体験のある方にお話はまだ聞けますし、いろいろ方法はある気がしますね。

荒木啓子: いろいろな体験をした人の話を聞くのおもしろいですよね。

塚本晋也監督: 確かに、実際に現場に言った方の「なぜか指が1本多く見えるんだよ」とか、その人独特の体験を聞きたいんです。英雄譚や難しい話より。そういう実感が映画には要るのかなという気がします。


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(オフィシャル素材提供)



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