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『マイ・マザー』オフィシャル・インタビュー

2013-11-19 更新

グザヴィエ・ドラン


マイ・マザーikilledmymother
© 2009 MIFILIFILMS INC

グザヴィエ・ドラン

 1989年、カナダ生まれ。6歳で子役として活動を始める。
 17歳の時に書き上げた脚本で監督と主演をつとめた本作で、2009年カンヌ映画祭で史上最年少受賞という鮮烈なデビューを飾った。2010年『胸騒ぎの恋人(原題:Heartbeats)』、2012年『わたしはロランス』と続けてカンヌ映画祭に出品され、2013年、最新作「Tom at the Farm」がヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品されるなど、この若き天才に世界の映画界から注目が集まっている。

 2009年カンヌ映画祭で史上最年少受賞という鮮烈なデビューを飾り、世界を虜にしている若き天才、グザヴィエ・ドランが、監督・主演デビュー作の『マイ・マザー』について語ったインタビューが届いた。


本作を制作するきっかけは? 構想はかなり以前から練っていたようですが。

 高校生の時、型破りな先生に、身近で私的なことを題材にして書きなさい、と言われて、子供の親に対する憎悪についての短編を書いたことがあった。その短編を「Le Matricide(母親殺し)」と題した。そのまま放っておくつもりだったけど、2006年の秋に学校を中退した後、退廃的な大人の世界に嫌気がさしながらも汚くて狭いアパートでなんとか生活をしていたある日、母との生活に基づいて、同じテーマで脚本を書いて、なんとかこの抑圧された感情を浄化したいと考えるようになった。短編の難解なところを省いて、日々の生活の中で感じる苛立ちや、幼少時代へのノスタルジーと不器用に折り合いを付けようとする少年の心に焦点を当てて書いた。


脚本を書いたプロセスについて教えてください。

 初稿は3日で一気に書き上げて、そして一度それをしまい込んだ。その後、他の作品に関わってみたんだが、どれも興味を持てなかった。そんな時、気持ちの乗らない作品はやめて、『マイ・マザー』にもう一回集中した方がいいと率直にアドバイスしてくれた友達が何人かいたんだ。早速しまい込んでいた初稿を取り出してきて、より力強い作品になるよう書き直しに取りかかった。スザンヌ・クレマンがそれを読んでくれて、とても気に入ってくれた。そこからすべてが始まったんだ。


どのようにしてキャラクターを構築していったのですか?

ikilledmymother とにかく登場人物を表層的に描かないように留意した。どの登場人物も観客の関心を引き、愛憎が入り交じったような感情を抱かせるキャラクターであって欲しかった。普段から僕は自伝で問題なのは客観性に欠ける点だと思っていて、親が単純な悪者になるような若さならではの青春讃歌だ、などと言われたくなかった。大事なことはそこじゃない。僕は母と息子、双方の視点から見た深い人間関係を描きたかったんだ。だから正直で偏りのない脚本を書かなければならないと、最初から決めていた。


映画は自分探しの話ですか? 少年の成長物語なのでしょうか?

ikilledmymother それぞれに「与えられた役割」についての話だ。もう少し正確に言うと、人生におけるある特定の時期――つまり青春から大人への過渡期――には、与えられた役割を演じるしかなく、どうしようもなくコントロールを失う様を描いている。そういう意味では成長物語だし、自分探しの話でもある。ただ、主人公のユベールは別にアイデンティティを探して悶々としているわけではなく、「自分が誰なのか?」「どこに立っているのか?」を実はよく理解している。理解しているが故に、むしろ、敢えて「低所得層の母親との息の詰まるような暮らし」の中にある自身のアイデンティティと向き合うことを拒んでみたらどうなるか?といったある種の実験を試みている。結果として、彼が見いだしている自己と母親とが、あくまでも交わらない平行線上にいることを自覚し、そのとてつもない距離に恐怖を感じ、狼狽するんだ。


言葉の暴力が相当辛辣になる時もありますね。どのようにしてあのような強烈な台詞を考えついたのでしょうか?

 実際に経験してきた会話と架空の会話を混ぜ合わせている。ただ特定の人が吐いた言葉を引用しているわけではなく、台詞を一つひとつ置き換えたり、組み直したりしている。リアリティに徹したかったなら植木鉢に隠しカメラを置き、母親のブラジャーにマイクをつけて実録しただろう。でも僕はドキュメンタリーを作りたかったわけではない。自分の経験を元にしてはいるが、それ以外では年齢、見た目、性格を考えてそれぞれに合った描写を心がけた。


様々な芸術作品にインスパイアされた映画のようですが、あなたを刺激するアーティストは誰ですか?

 ポロック、マティス、クリムト。


カメラに語りかけるモノクロシーンは、まるで独白のようなシーンですね。

 まさにそうだ。例えば、全能なる神のような存在のナレーターがとらえた精霊の独白を観客に見せているようなシーンにしたかった。劇中ではユベールは自分自身にカメラを向けるが、観客がスクリーン上で見る映像は彼の安物のカメラで撮った映像ではない。ユベールの心の眼で切り取った「信頼」と「償い」の表現なのだ。


音楽も素晴らしいですね。スローモーションで撮ったシーンは『花様年華』と梅林 茂によるスコアを思い起こさせるようなものでしたね。

 そう。スローモーションのシーンはウォン・カーウァイと梅林茂へのオマージュだ。


編集はどのようにして進めたのですか?

 編集を担当してくれたヘレン・ジラールと密接にコラボレーションしながら進めていった。彼女は50代の女性でユーモアのセンスがあり、研ぎすまされた感性の持ち主。知識も豊富なので、助けられたし、刺激にもなった。編集作業のほとんどに僕も参加しているが、彼女のインスピレーションが特に働いている時には踏み込まないよう注意した。ただ、ユベールとアントナンが壁を塗り愛を交わす“ドリッピング”のシーンではどのように作りたいかはっきりと自分で思い描いていたので、そこは自分でこだわって編集をした。


キャストの演出はどのように? あなたの若さで、初監督となるとプレッシャーを感じませんでしたか?

 カラフルな衣装にけばけばしいセットでの撮影だったから過剰な演技のしようのない環境だった。抑えた演技を必要とするセットだった。キャストの皆が僕に指揮をとらせてくれて、若いからという偏見もなく、気さくに接してくれたので、自信を持って取り組むことができた。プロの役者との仕事は楽しい。彼らのテクニックや特徴を見るのが好きなんだ。


この映画はビジュアルが見事ですね。初監督で、且つ予算も限られているというチャレンジをどのように乗り越えたのでしょう?

 予算が限られるということは、その分クリエイティビティを発揮して上手くやりくりしなければならないことを意味する。だから神様に感謝している。もっとお金があれば、あれもこれも出来たのにと想像を巡らせることもできるけれど、僕はこの作品の仕上りに満足している。規模こそ小さいが、立派に完成した。スタッフやキャストの皆が手を差し伸べてくれ、自らの経験を話してくれたり、アドバイスしてくれたりしたので作ることが出来たようなものだ。撮影中は即興に頼ることも多かった。撮影監督はステファニー・ウェバー=バイロンで、ハンドカメラで撮ったシーンでは特に彼女の感性に任せた。


(オフィシャル素材提供)


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