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2018-06-26 更新
ジョン・ウィリアムズ監督、にわつとむ、常石梨乃
イギリス出身、来日30年目のジョン・ウィリアムズ監督(『いちばん美しい夏』、『スターフィッシュホテル』、『佐渡テンペスト』)が、100年前に書かれたフランツ・カフカの不条理文学「審判」との類似点を見出し、現代の東京を舞台に映画化した『審判』が6月30日より渋谷・ユーロスペースで公開される。この度、プレミア・スクリーニングとそれに続く質疑応答が日本外国特派員協会にて行われた。ジョン・ウィリアムズ監督、主人公Kこと木村陽介を演じた個性派俳優・にわつとむ、隣人の鈴木役の常石梨乃が登壇し、本作に込めた想いなどを語った。
ジョン・ウィリアムズ監督: どういう画作りにしていくかに関しては事細かにメモを取って、撮影監督と共有しました。オーソン・ウェルズは『審判』をオープニングから「悪夢」として描いていますよね。「悪夢」という雰囲気をノアール的に醸し出しています。私の作品でも初めの段階の脚本では、シュールな仕上がりになるような構成になっていました。ですが、途中で、僕は、この映画で現代の日本を描きたいんだと気づきました。『審判』という原作を使って、現代の日本に関するコメンタリー(説明)をしたいとなると、シュールな仕上がりにしてしまうと自分の言いたいことのインパクトが薄れてしまうと思い、あえてこのような身近な風景を使いました。
身近な風景が徐々におかしくなっていくということを表現するには身の回りの風景を使う方がいいと思いました。「よく見る風景だけど、どこかおかしいぞ」というものを表現したかったんです。登場するロケ地も学校などを使っていますが、この学校が意味するものはなんだろうという疑問を想起されるように心がけて映画化しました。
例えばKが裁判所に向かっていく道がありますが、家屋がプラスティックであったりすぐ朽ちそうだったりして、その町は建築的な統一感がまったくないです。我々は日常として受け入れるんですが、よく見るとアブノーマルな感じがするんです。人間が管理している空間とは思えないような、そういうことを意識しながら撮っています。
ジョン・ウィリアムズ監督: 映画を作る中で一番難しかった部分です。女性たちの設定はカフカの原作のままです。Kは罪人の一種のオーラがあるので、セクシャルな態度で言い寄ってくるのですが、キャラクターの設定はある程度変えています。日本を舞台にしているので、日本の女性を描こうとしました。日本の女性は権力を奪われている状態ですから、セックスをツールとして使わなくてはいけないという役割を課せられている有様を描こうとしたのです。自分のパワーをどう使おうかということを誤解をしているような女性描写を心がけました。セックスを一つの権力として使うというのは原作と一緒です。4人の女性が登場し、それぞれ違うキャラクターですが、彼女たちは自分のセクシャリティを純粋ではないある種の方法で使うというのは共通しています。出演した女優さんとはいろいろ詰めて話しました。
常石梨乃: 女性の魅力というのは人それぞれだと思います。4人の女性がいろいろな方法論でKに迫っていくんですけれど、私は監督の意見に賛成で、女性がセックス・体を武器にしているという人もそうでない人もいると思います。私が演じた役はそれを武器にしてはいるんですけれど、実は処女という裏設定があり、臆病な女性を演じています。身体的な繋がりに対して臆病だけれど、飛び出したいという女性を私は演じさせていただきました。それが日本だけかと言われたら違うと思いますが、そういう女性たちも存在するということを私はこの映画で自分の体を使って表現させていただきました。
にわつとむ: 僕は一役者として、演じる上では、“芝居をする”というより、“その瞬間を生きる”という意識で演じています。この映画ではこういう設定になっているわけですが、女性は大好きですし、Kこと木村は女性たちに助けられたいということを意識しながら演じました。この映画で木村にとって女性たちは、命を助けてくれるのではないかという神的な存在です。
ジョン・ウィリアムズ監督: 本作は#ME TOOムーブメントが起きる前の去年の2月ですから、#ME TOOムーブメントを意識したということはないんですが、性と力の均衡を描くわけですから、かなり綿密に女優たちと話し合いましたし、いろいろ考えました。Kの設定は、下手すると、いろいろな女性が寄ってきて、いちいち好きになってしまうというジェームズ・ボンド的なキャラクターになってしまう危険性があったのですが、ポジティブな描き方をしているキャラクターはいないんです。女性もどちらかといえば被害者的に描かれています。逆に彼に迫る女性たちにもう少し力を与えたかったんですが、それは真の力ではなく、偽物の力なんですね。日本のジェンダーについて意識させられたからなんですが、しばらく英国に滞在した後日本に帰国して、女性の捉え方について驚いたんです。女性は家にいるものだというような固定観念が日本に根強くあるわけで、これについて何か言いたかったのだと思います。
にわつとむ: 監督と最初に組んだのは『いちばん美しい夏』で、20年間緊密に仕事をさせていただいていて、監督がどういうスタイルで映画を作るのか十分わかっていたので、私は何のためらいもなく、監督に全幅の信頼を寄せて参加しました。ただ、Kと言うキャラクターは一筋縄にはいかない役でした。基本受け身の人間で、主張したいことがはっきりあるわけではない男なので、受け身を受け身のまま演じてしまうとつまらないです。実は、実生活で義父が亡くなりました。義父が命を一生懸命生き抜こうとする姿を見ていく中で、この映画は木村の一生についてなんだという類似点・気づきを得ました。彼もまたあがいているんだと。自分の実体験を自分のキャラクターに反映しました。
常石梨乃: 私はポジティブに監督の要望を受け入れていました。映画の観方は人それぞれだと思うんですが、問題視することで、立ち止まって考える機会を作ることにもなります。また、日本だけではないですが、女性のあり方というのは、私自身も悔しい思いをしたことがあります。なので、問題提起するような映画にできたらと思って参加しました。脚本の翻訳は監督に付き合って、「普通はこういうふうに言わないよね」などディスカションしながら私の要望を聞いてもらいながら、語尾なども直していったので、とても親切に作っていただいたと思います。
ジョン・ウィリアムズ監督: 様々な解釈の余地を残したいので、あまり細かく言いたくはないです。
ただ、原作に忠実でありたかったです。また、人生とどう折り合いをつけていくのかといった問題を内包したものにもしたかったです。
私は上智大学で教鞭を取っているのですが、3年前に批評思考のエクササイズの授業でとある学生が、「答えは何ですか? あなたは先生だから答えを持っていますよね?」と言われました。「高校では、先生方が正解が載っている本を持っていたから、先生は答えを知っていて、教えてくれるはずだ」と言われましたが、これに似た考えを持っている人が多いのではないかという雰囲気を感じます。正解というものがあって、それを誰かが与えてくれるのではないか、と。そういうことに対する批判も提示したいという意図もありました。「自分たちの思考は誰が最初に考えるのか?」という哲学的・政治的問いを提示するというのを意図して作りました。
(オフィシャル素材提供)
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