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記者会見

トップページ > 記者会見 > 第70回ヴェネチア国際映画祭『許されざる者』公式記者会見

第70回ヴェネチア国際映画祭
『許されざる者』公式記者会見

2013-09-12 更新

李相日監督、渡辺 謙、柄本 明、柳楽優弥

yurusarezarumono

配給:ワーナー・ブラザース映画
2013年9月13日(金) 公開
© 2013 Warner Entertainment Japan Inc.

 第70回アカデミー賞®で最優秀作品賞をはじめ4部門を受賞したクリント・イーストウッド監督・主演の傑作西部劇を、『フラガール』の李相日監督が北海道を舞台にリメイクした『許されざる者』。第70回ヴェネチア国際映画祭でアウト・オブ・コンペティション部門に招待された本作の公式記者会見が開かれ、監督と共に、渾身の演技を見せた主演の渡辺 謙、共演の柄本 明と柳楽優弥が出席した。

監督、どうしてこのオリジナルに挑戦したのですか?

李相日監督: クリント・イーストウッド監督のオリジナルは僕が10代の頃に出合った映画です。ハリウッド映画をたくさん観てきた中で、初めて何か本質を映画の中で教えられたような体験をさせていただいたのが『許されざる者』でした。それから20年、自分も映画を創る一人となり、日本の中で映画を創る、しかも時代劇を創るというのはチャレンジでもありますが、時代劇の中でも完全懲悪を描くのではなく、時代に即した、善と悪が渾然としている世界をテーマとして描きたかったというのがありました。そういう意味では、10代の頃に観た『許されざる者』の中で描かれていたことは全て、僕が生み出したかったことと一致していたので、チャレンジしてみました。


この映画で扱われている歴史的な背景についてご説明いただけますか。

yurusarezarumono李相日監督: オリジナルのように1880年代を舞台にした場合、日本ではその十数年前に大きく政治体制が変わった時代でした。侍という存在が滅びて、近代化に大きく舵を切ったその中で、北海道という未開拓の地に、行き場を失った者たちが数多く新しい基盤をもとめて移り住みました。その過程の中で、日本にもアメリカ先住民のような存在がおり、先住民と移住者との間の悲劇がありました。現在でも、その先住民であるアイヌの子孫たちは日本で暮らしていますが、残念ながら日本ではその事実があまり一般の方たちには知られていません。そういう意味でも、この映画の中でそういった歴史に光を当てることは非常に有意義なことだと思いました。


役柄を演じるにあたって、オリジナルのキャラクターからインスピレーションは得ましたか?

yurusarezarumono柄本 明: オリジナルの映画は私も20年前に観ています。ですが、今回この仕事をするために改めて観ることはしませんでした。もちろん、モーガン・フリーマンは大好きで尊敬していますが、今回の役柄はあくまで監督の目線とシナリオの中で創っていきました。

柳楽優弥: 僕は『七人の侍』を参考にしました。時代劇が初めてでしたので、時代劇の名作を見ておいたほうがいいと思いまして。

渡辺 謙: 脚本をアダプテーションして日本のバックグラウンドにいろいろなキャラクターを当てはめたとき、オリジナルのイメージは僕の視界から消えました。この時代の中にどうやって自分が入り込んでいくか、この役に自分がどうやって踏み込んでいくのか、そのことだけにフォーカスできました。ですから、非常に敬愛するクリントでありますが、彼のイメージは僕の中では完全に消えました。


リメイクが決まって、クリント・イーストウッドとはお話をされましたか。

渡辺 謙: クリントはとても忙しい方ですから……。でも、プロデューサーのロブ・ロレンツとはいつもメールのやりとりをしていますので、監督がこの企画を持ってきたとき、ワーナー同士の話し合いの前に、まずロレンツを通してクリントに「こういう企画をしているんですが、どうでしょう?」と話をしました。ただ、それ以降に関しては、クリントもそれ以上タッチすると映画づくりに影響を与えてしまうとよく分かっていたと思いますので、こちら側からも深くアプローチしませんでしたし、僕たちは全く別のオリジナルを創るという気概でやらしていただきましたから、基本的には提案やアイデアを頂いたということはありませんでした。


時代背景的には、出演された『ラスト・サムライ』を思い起こさせるところがありますね。

yurusarezarumono渡辺 謙: 時代は『ラスト・サムライ』と同じ時代なんですが、僕がこの映画を捉えるとき、これはある意味「侍」の映画ではないと理解しています。政治的なレベルで非常に大きなものがぶつかって十兵衛は反体制側にいるんですが、彼は高い志を持ったり強い意志を持って何かに立ち向かっていったのではなく、本当にただ自分が生き延びるためだけに刀を使い、人を殺め、逃げ延びた男だと僕は解釈しています。ですから劇中でも、武士道のシンボルである刀に関しても非常に安っぽい扱いで、監督と話をしたときも「おそらくあれは誰かから奪ったものではないか。自分が大事にしている精神的な支柱になるような刀ではなく、本当にただの武器として刀を扱い、最後に彼は刀で復讐するのではなく、金吾のライフルで一蔵を殺そうとしますが、それはこれまでは日本=武士道、日本=侍として描かれやすかったものを、もっと違った視点、人間性の怒り・弱さみたいな方向性でこの役を捉えてほしいという思いは、僕の中でありました。
 ですから言うなれば、自分の進んできた道を否定するわけではないんですが、新たな日本映画として捉えていただける機会なのではないかと思いました。


この映画に先住民として登場するアイヌについてお話しください。

李相日監督: アイヌに関しては当然、資料文献にも目を通しましたが、今もその血を引いて生きている方たちが北海道各地にいらっしゃいますので、出来るだけ多くの方々に会って、その方たちのお話や、父母・祖父母世代のことを直接聞くように努めました。ただ、アイヌの中にも、自身の出自を出せる方と隠したいと思っている方に二分されており、話を伺えたのはご自身がアイヌであることを表に出して今も生きている方々がほとんどでした。
 映画で描かれているような、屯田兵によるああいった事件が実際にあったかどうかということについては、公的な記録には一切残されていません。あくまで、代々伝聞として語り継がれてきた話でして、一方、現在も北海道には屯田兵の子孫の方々がいらして、彼らの側からするとそんな事実はなかったというのが見解かもしれません。ですが、北海道のアイヌを巡る問題に限らず、歴史の中で事実というのは時が経つにつれてうやむやにされていくということは多々あるものです。僕自身も日本で外国人として生きていますので、歴史が少しずつ形を変えられていくことに非常に違和感を抱きながら映画作りをしています。


十兵衛はどのような思いを抱きながら生きてきた侍だとお考えになりましたか?

渡辺 謙: この撮影に入る前に監督と、死生観について深く話をしました。「人は必ず独りで生まれて独りで死んでいく」と強く感じていると僕はお話ししたのを覚えています。おそらくは釜田十兵衛という男も、自分が行なった行為に関して、ある贖罪の思いは強く持っていたと思うんですね。その中で、人間として生きていく道はあるのだろうかと、逃げ延びた果てに考えていただろうと思うんです。ただ、最終的にはその軛からは逃れられない。ですから、「地獄で待ってろ」という台詞がありますが、オリジナルではジーン・ハックマンがイーストウッド演じるマニーに対して投げかける言葉なんですが、今回の作品ではどうもそぐわない気がして、監督と相談をしました。それで本作では何故、死んでいく仲間の金吾に言う台詞にしたかと言いますと、彼はもう正しい道で人生を成就することはもうできないけれど、共に戦った者に対する友情の証であり、でも行く果ては地獄であるということを深く認識していたという気がしました。
 ですから、アジア的なのか日本的なのか分かりませんが、外国語に訳するのは難しい「業」という言葉がありますね。それは、背負ってしまって拭いきれない、懺悔をしても赦されるものではない深い罪の意識ですが、それを監督も非常に強く意識していましたし、彼は逃れられない罪を最後に全て受け入れて、どこに向かっているかも分からない地へ旅立ってしまったのだと僕は理解しました。

yurusarezarumono李相日監督: 僕も謙さんと近いと言いますか、今謙さんがおっしゃった「業」という、翻訳するのは難しい仏教から来ている言葉を意識しました。間違っていたら申し訳ないのですが、おそらくキリスト教とは違って、「業」は神に赦されるということとは全く違うものなのですね。つまり、罪を犯したからにはそれを一身に背負わなくてはいけない、死んで生まれ変わってもその罪は消えない……というのが「業」というものでしょうが、この十兵衛という男は、金吾の死を知らされて宿場町に向かうとき、暴力の連鎖を自分のところで断ち切ると決意したのだと思います。そこがもしかしたら、オリジナルの作品と違うところなのかもしれません。つまり、そこで自分が暴力を断ち切るということを自分の身で背負うことを決めた人間なのだと理解しています。


過酷なロケーションで、大変な撮影だったのではないでしょうか。

柄本 明: 過酷といえば過酷でしたが、撮影が終わったら寂しく感じました。怪我もしませんでしたし、楽しかったです。

李相日監督: 北海道は日本の中でも一番自然が素晴らしいといわれている場所ではありますが、北海道の自然は、現在では旅行パンフレットや旅番組を見ると雄大で美しいと思われでしょうが、あくまで想像ですが、当時は住む所を追われて北海道しか生きる場所がない……という状況にある人々の目でその自然を見たときに、美しいというだけではなく、深い絶望も感じさせられたと思うんですね。美と絶望感の両方が、そこで生きている人々の心に迫ったのではないかと想像していました。
 ですから、ただ撮影環境として美しい所というのではなく、その雄大さがもたらす過酷さ、生きることの重さ・苦しさを感じさせるロケーションでなくてはならないという思いがありました。スタッフ・キャストもそれに付き合わされて、過酷な環境で仕事をしたわけですね。車が入れる所から、さらに徒歩で20~30分機材を運ばなくて行けない場所がロケーションでしたので、キャストばかりでなく、映画を撮る側のスタッフにとっても過酷でした。その苦労は映画に十分生かされています。


柳楽さん、国際的にも活躍されている先輩の俳優の方々との共演はいかがでしたか?

yurusarezarumono柳楽優弥: この作品入る前には謙さん、柄本さんにお会いしたことがなかったので、最初は怖かったです、大先輩たちですから。でも、撮影中あまりに僕がビビッているので、監督から「同じ土俵にいるんだからそれじゃあダメだろ」と言われて、一生懸命やろうと肝が据わりました。撮影が終わった後は、「世界のYUYA YAGIRA」って言われるような役者になりたいなと思いました(笑)。



ファクトリー・ティータイム

 ヴェネチア国際映画祭で邦画を観るという経験は常に心を沸き立たさせる。おまけに本作は、時代は違えど、筆者の郷里を舞台としていただけに、その雄大にして厳しい風景とそこに生きる人々の思いが記憶とシンクロし、心がふるえた。記者会見では、過酷な撮影にも耐え、監督と魂をひとつにして本作を創り上げた謙さんの並々ならぬ意気込みが伝わる、心のこもった深いお話が伺えた。その夜のプレミア上映では、どこに向かうとも知れず独り雪原を歩む十兵衛の姿がスクリーンから消えた後、割れんばかりのスタンディング・オベーションが起こり、謙さんが涙をこらえている姿を目にし、胸が熱くなった日本人はわたしだけではないだろう。

(取材・文:Maori Matsuura、写真:70th Venezia Film Festival official photos)



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