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2008-01-11 更新
夢は見るものじゃなくて、叶えるものだ。そうじゃなきゃ頑張れないし、新しい未来に進んで行けないと思う
佐々木崇雄
1980年1月17日生まれ、東京都出身。186センチの長身。96年よりコレクション・モデルとしてパリ、ミラノと世界を舞台に活躍。「エルセーヌ」、「京セラミタコピー」など企業CMにも多数出演。舞台は「黒蜥蝪」(05)、「サヨナラとさようならする」などに出演。日本テレビ系「バンビ~ノ!」(07)にレギュラー出演など幅広く活動している。本作で映画初主演デビュー。
配給:ゼアリズエンタープライズ
2月22日(土)より、新宿K's cinema、大阪・第七藝術劇場にてロードショー! 他全国順次公開
(C)2007 ゼロ・ピクチュアズ/K・S・F
下関を舞台に、在日の青年と女子高生の不器用な恋の行方を描いた、奥田瑛二監督作品『風の外側』。夢見ることの大切さや、人を思う気持ちの温かさがじんわりと伝わってくる本作で、映画初主演デビューを飾った佐々木崇雄に話を聞くことが出来た。
オーデションの時に監督(奥田瑛二)にお会いしてお話をさせていただいたのですが、その時は、演技の話は全くしなかったんです。帰り際に「ヒゲをはやしたのを見てみたい」と言われて、1週間後にまたお会いしたときにヒゲをはやして行ったら、出演がもう決まっていました。
在日韓国人の青年ということは聞いていたんですが、ピュアなストーリーだな、という印象を受けました。
監督から役に対しての細かい指導などはなくて、“陽炎(かげろう)のような男”ということを言われました。“陽炎のような男”と言われても具体的ではないので、自分の中ですごく考えました。在日の歴史についてもいろいろ調べて、身体の中に沁みこませてから現場に臨みました。“陽炎のような男”というのを表現するのに、映画を観ていただくと分かると思うのですが、最初、あまりしゃべらないし、素性も明かさないのです。その中で表現できることって、顔の表情だったり、目から訴えるものだったり、身体からにじみ出る“なにか”だと思ったので、そういうものも含めて、体現するうえで“陽炎のようなもの”を、自分の中で意識していました。演じていく間に分かってきたこともありますね。
あの下関の町では、飲みに行くにはフェリーで対岸に渡るんです。みんなが出勤する時間に僕らチンピラは朝帰りして、酒臭いまま帰って来て……というのがあって、最初は気まぐれの気持ちで、仲間がいたずらして投げこんだ真理子(安藤サクラ)のかばんを拾おうとフラッと海に飛び込むんですが、“陽炎のような男”というのを意識はしていました。
特にはないですね。ただ、“趙 聖文(チョ・ソンムン)”という青年の人生を、生きている”というのを皆さんに感じていただけたら……というのにはこだわりました。
僕から見てもソンムンはすごくカッコよく見えるんですが……(笑)。言葉の少ないところとか。言葉で説明しないで何か物事を人に伝えたいときって、言わない方が伝わるときってあると思うんですよ。僕にもそんなところがありますね。
各シーンの前に、ちょこっと二人で話したりとかもありましたし、うまく行かないときには、監督から時間を与えられて二人っきりで役を作っていったりもしました。
最初会ったときは、安藤サクラという女優であったわけですが、その時はこの『風の外側』に出てくる真理子よりは、女の子、女の子しているというか、可愛らしい感じで……。でも、芯の強さみたいなものは、この作品の中にも出ていると思うのですが、感じましたね。
この作品をやっていて、毎日僕は監督から怒鳴られて、奥田映画学校のような中でやらせていただいて、学ばせてもらったんですが、監督が僕たちに指導する時って、オンとオフのスイッチが切り替わるように、“役者 奥田瑛二”に見事に切り替わるんです。そういった部分で学べることはたくさんありましたし、やっているうちに監督が求めるものというのはこういうものかな、というのが少しずつですが分かってきて、自分の中にも“オクダイズム”みたいなものが、沁みこんでいった気がします。
モデルというのは、僕の中では、服を着て、その服を表現して、良く見せるということ。同じ表現者だと思っています。役者も、キャラクターの人生のその時その時を生きてたりとか、体現するという意味では一緒なんですが、ちょっと奥行きが深くて次元が違うような、そんな難しさを感じています。やればやるほど難しく感じますし、一生かけてもいい職業だな、というのは今回演じていて思いました。
最初観たときは、客観的には観られなかったので、なんとも……。でも、完成してうれしかったですし、それよりもうれしかったのは下関の方とか、お客さんに観ていただいて、拍手をいただいたり、「良かった」と言っていただいた時に初めて、やってて良かったと思いました。今までの苦労が帳消しになって次につながる力になりました。
体育会系ですね。上下関係がはっきりしていて、それは、学生の頃から味わったことがありました。学生時代はバスケ部でしたが、部活だけではなく、上下関係というのは誰でも感じて生きてくると思います。嫌な部分もありますが、良い部分もあって、僕は抵抗はなかったですね。
モデル時代、パリやミラノに行かせていただいたときは、アジア人というか、日本人というアイデンティティーを、良い意味で意識して前面に出して行こうと思って出て行ったので、差別という嫌な風には捉えなかったですね。
皆さんに周りを固めていただいて、胸を貸していただきました(笑)。監督も出ていらっしゃって、監督とのシーンは感慨深いものがありました。役者・奥田瑛二という方は、僕も昔から知っていたし、憧れてもいたので、監督でもあるわけですが、その方と一緒に役者対役者としてやらせていただいて、特別な思いがありました。
真夜中に撮ったんですが、普通の雨と違って、(人工的に)降らしてる雨は、痛いのと、重いのと、寒くて……。そんな雨にあたりながら芝居しているときは、ちょうど体力的にもキツイ時だったので、本当に大変だったんですが、いいシーンになったと思います。
撮影直後は好きなシーンがいろいろあったんですが、時間がたってきて、何回か観たりしているうちに、僕の中で、今すごく印象に残っているのは、走っているシーンですね。この作品の、夢に対するもがきや苦しみ、夢に向かって行く力というか、青春みたいなものがひとつのシーンに集約されているのが、あの走っているシーンに思えてきて、印象に残っています。
僕は、夢は見るものじゃなくて、叶えるものだと思いますし、そうじゃなきゃ頑張れないというか、新しい未来に進んでいけないと思います。
僕の中で、役者としての“芯”というものが、少しずつですが、確実に出来てきたかな、という感触はあります。
奥田瑛二監督作品『風の外側』。この作品を観ていただいて、何か忘れかけていたものだったり、観た後で、何かを持って行っていただいたら、うれしいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
コレクション・モデルとして世界を舞台に活躍してきた佐々木崇雄が、映画俳優という未知の世界に挑戦した。奥田監督のいう“陽炎のような男”という難役を見事に自分の中で作り込み、観る側に心に残る人物として、見事に熱演してみせた。
今後も映画に限らず、テレビドラマや舞台で幅広く活躍する姿に注目したい。
(文・写真:Sachiko Fukuzumi)
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