2022-03-28 更新
瀬戸かほ
風光明媚な島根県でオールロケ、水辺の街で過ごす爽やかでちょっと不思議な新しいヴァカンス映画『クレマチスの窓辺』が4月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開となる。この度、主演の瀬戸かほのオフィシャル・インタビューが届いた。
私自身はインドア派です。もしも、絵里のように長い休み(ヴァカンス)が取れたとすれば、 家でのんびり過ごしていると思います。そういう意味では、絵里と私はまったく違います。 なので、冒険するような感覚で演じていました。東京で暮らしていると「コミュニティー」のようなものを意識する瞬間はとても少ないです。でも、今作では東京からやってきた絵里がいろいろな人に出会ったり、話しをしたり、大きな事件は起こりませんがささやかな冒険をしていきます。それは私自身にとっても、忘れていた感覚でした。
永岡俊幸監督の用意した台本はありましたが、毎日の現場では、台本の内容と実際に撮影する映像はしばしば変わっていきました。お芝居はやはり「生き物」なんだと感じました。い かに“台本通りにやらないか”とでもいいましょうか。台本に書いてあることよりも、向き合っている現場をいかに面白くするかを考え、努力したり演じたりする1週間でした。結果的に、より自然なかたちのお芝居に近づいていったのだと思います。
監督は「カット」の声をすぐかけることをせず、役者の芝居をじっくりと見ます。台本にあるセリフからはずれていったとしても、現場でそれを見ている監督がOKならばそれが正解。そういった演出方法の監督のもとで、いろいろな動きやお芝居に挑戦することが刺激的でとても楽しいです。
撮影中、監督は脚本をもっていないんです(笑)。演技をする役者よりも、監督が一番台本に縛られていない。その分、私を含め役者側としては演じる中でいろいろなチャレンジをすることができました。自由度の幅が広く、委ねられる面が多い一方、あくまで演じているのはそのキャラクター自身であることを忘れないよう意識しました。演技のたびに軸がぶれてしまうと、編集・完成した時に統一性が失われるリスクも伴います。アドリブ芝居というものの難しさ、奥深さについて改めて考える貴重な経験ができました。毎回台本とは違うお芝居になり、毎シーン違う結末になることを私自身が楽しみにしていました。
「役になりきる」という感覚は自分には正直分かりません。従兄弟の菊池みずき役の里内伽奈さん、菊池駿介役の福場俊策さんと撮影初日に顔を合わせ、カメラの前に立った時、すでに「昔から知っている親戚」のオーラをお二方ともまとっていたので、自然と絵里としての意識になっていました。
みずきちゃんと海に行くシーンです。車の運転について2人で掛け合う場面なのですが、絵里が普段運転をほとんどしていないことがあらわになります。みずきちゃんに「運転するよ」と言われ、代わってもらうところで本来ならお芝居が終わるはずだったのですが、私は「ありがとう。任せた」というセリフをアドリブで入れていました。完成した映画を観た時には分かりませんでしたが、後で台本を見てみると、そんなセリフはまったく書いていなくて、自然に(絵里役になっている)自分の口から出た言葉だったのだと思いました。いくつものシーンに共通しますが、セリフとアドリブが良い意味で曖昧になっているのがこの映画の特徴でもあります。
夜、蔵に入るシーンのことをとても覚えています。本当に暗くて怖かった。でも永岡監督からはカットがかからず、アドリブで演じた部分も多かったです。日御碕(出雲市)の岩場にも行きました。事前のスチール写真撮影で一度訪れていて、その時はとてもきれいな海でした。台本に書かれていたのも爽やかな海のイメージでした。でも、撮影当日は実に日本海っぽく、すごく荒れていて10~20メートルの高波が打ち付けていました。セリフも忘れてしまうほどの迫力でした。まさに現実が台本を超えてしまった瞬間だったと思います。「自然には勝てないな」と圧倒されてしまいました。東京や生まれ育った神奈川では決して感じられない荒波でした。
美しい水辺の街と、そこで暮らす個性あふれる魅力的な人々、さまざまな人と関わっていく中で影響を受けて、少しずつ変わっていく絵里の心の3つだと考えています。現在、どこか遠くに行くことが難しい状況ですが、映画の中で一緒にひとときのヴァカンスをお楽しみいただけたらと思います。
絵里と一緒に過ごしたヴァカンスは、私にとっても忘れられない旅となりました。ささやかな、でも絵里にとって大きな心の冒険をぜひ劇場でご覧いただけますと幸いです!
(オフィシャル素材提供)
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