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『クシナ』オフィシャル・インタビュー

2020-07-08 更新

速水萌巴監督


クシナkushina
© ATELIER KUSHINA
配給:アルミード

速水萌巴監督

 立命館大学映像学部卒業後、早稲田大学大学院へ進学。在学中から映画やCMの現場で働き始める。
 助監督を務めた映画『西北西』(中村拓朗監督)は、釜山国際映画祭ニューカレンツ部門、JAPAN CUTSにて上映される。
 また、主人公の部屋のデザイン・装飾を担当した映画『四月の永い夢』(中川龍太郎監督)はモスクワ国際映画祭で批評家賞を受賞。
 本作で長編監督デビュー。


kushina


 女だけが暮らす男子禁制の山奥の集落を舞台に、監督自身の過去の体験に根ざした母と娘の物語を描いた映画『クシナ』は、早稲田大学大学院の修士制作作品ながら、大阪アジアン映画祭2018に正式出品され、プロの監督の作品を抑え、JAPAN CUTS Awardを受賞。北米最大の日本映画祭であるニューヨークのJAPAN CUTSに招待され、独特の感性と映像美によって支えられる世界観は海外レビューでも高い評価を獲得。

 本作は、映画やCMの演出や制作に加え、中川龍太郎監督の『四月の永い夢』では主人公の部屋のデザインとその装飾を担当するなど、独特のキャリアを築いてきた速水萌巴監督の長編デビュー作。本作では監督だけでなく、美術・衣装も担当し、美しい映像世界を構築した。この度、速水監督のオフィシャルインタビューが届いた。


本作の着想のきっかけを教えてください。

 人生を振り返り、母と向き合ったことが一番大変だったと思って、母と娘を題材に映画を作ろうとなったんですけれど、アイデアがまとまらなかったので、シナハンをすることにしました。栃木県の湯西川温泉を歩いているとふわっと映画のラストカットが思い浮かびました。それを終着点に話を書いてみようと思ってできたのが『クシナ』です。当時公開された(ブリー・ラーソン主演の)『ショート・ターム』(13)や『ルーム』(15)のような「その環境に留まっていてはだめだけれど、そこから出ても違和感を感じてしまう私たち」という切なくも、幼少期の体験が私たちのほとんどを形成してしまうことに関心がありました。


「リップグロスやマニキュアが欲しい」と言う女性がいるなど想像と違った村でしたが、参考にした村はあるのでしょうか?

 撮る上で調べることはしました。中国に母系制度の摩梭人(モソ人)がいて、女性が家系を守っています。男性は通い婚のように夜やって来るそうです。その村には夫や父親という概念がないんです。
 女性がきれいにするのって男性に対してのアピールという部分もあるとは思うんですけれど、男性が排除されていたとしても、女性だけの価値観の中で美しくいることを女性にはしてほしいという私の願望であり、きっとするだろうなという意思表示です。今年のディオールも“もし女性が世界を支配していたら”という強いコンセプトで春夏オートクチュールコレクションを発表していました。男性を排除したい、女性を優位にしたいという極端な話ではなく、視点を変えて物事を考えてみることで新たな気づきがあると思います。


衣装のこだわりを教えてください。

 舞台は隔離された集落ではあるけど、そこに住む者は世俗出身であり、現代人です。私たちと同じような感覚を持っています。そこで現代的なファスト・ファッションと、ちょうどその時に祖父母の家から不要な着物がたくさん出てきたことから、これらを組み合わせてみようと思いました。もし私があの集落に住んでいたら身を守る布は貴重なので、丈夫な着物がタダでもらえるとなると、きっと活用するでしょう。生活しやすいように袖や裾の部分はバッサリと切り落とし、それを(原田恵太役の)小沼(傑)さんに裁縫してもらいました。私を一番投影したクシナには実際私が着ていた服を着せました。キャラクターごとのイメージカラーを決め、シーン毎の心情やキャラクターの関係を反映した色設計を目指しました。蒼子がICレコーダーを聞き直すシーンですが、予定では違う衣装だったのですが、カメラの前に入ってもらった時に違和感を感じたので急遽変更しました。衣装もシーンを構成する重要な要素だと実感しました。


クシナはタイトルロールで、私は「閉鎖的なコミュニティにはそこに根付いた強さや信仰があり、その元で暮らす人々を記録することで人間が美しいと証明したい」という目的のある人類学者の風野蒼子の視点でこの村を見ましたが、人類学には元々興味があったのですか?

 大学の時に映像人類学という講義を受けました。その先生は「人について何か気になることを研究する学問で難しい定義はない」とおっしゃっていました。その先生のジプシーに関するドキュメンタリーを見て、ジプシーについて調べるようになりました。当時私は畜産に関するドキュメンタリーの影響でベジタリアンになっていたんですが、私が調べたジプシーは、その日に食べるお肉を自分たちで収穫し、獲れなかった日はお肉を食べないという生活をしていて、私はその生き方が素敵だなと思いました。自分とはぜんぜん違う環境・世界にいる人たちだけれど、その人たちを知ることによって、その中に自分と通ずることがあったり、納得できることがあったり、美しいなと思うことがありました。今自分のいる環境が100%心地いいと思えていないから、他のところが気になっちゃうし、他を知ることで自分が何に感情が揺さぶられるのか自分の属性を知ることもできると思います。


脚本に込めた想いは?

 オニクマ以外みんなあやふやな感情のまま進行していく話なので、最初になるべくそのキャラクターのポジションを明確に置いて、物語を設計することを心がけました。執筆当時は「新しい主人公の作り方:アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術」という本を読んでいました。ゲームのストーリー・メイキングに近かったかもしれません。この話はフィクションなんですけれど、ベースは私が母に抱いた感情を基にしているので、その物語が嘘にならないように注意しました。一番私を投影しているのはクシナですが、カグウにも蒼子さんにも私の要素は入っていて、三位一体です。
 私はありがたいことに恵まれた家庭に育ったのですが、それによっていい子でいなきゃいけないと、押さえつけられた部分がありました。どんな環境で育っても子どもは親に反発するし、私の場合は一組の親しか経験しなかったので、比較するにもできません。
 そんな時、ある出来事をきっかけに、今まで分かち合えないだろうと頑なに拒絶していた母への気持ちが尊敬に変わったことがありました。その私自身の変化を基に脚本を書きました。
 公開が大阪アジアン映画祭から2年以上経ったのは、当時私がインタビューで言った内容を母が読んでショックを受け、「育て方が悪かった? 辛い想いをさせてたんだね」と言われて、私としては既に昇華したことであり、だからこそ作品として発表できたのに目の前で傷ついてる母を見て、私は母を苦しめることを望んでいないですし、掘り起こしたくないと思いました。今は私も作品との距離感をつかめるようになりましたし、母親にもこれは脚色された映画であることを理解してもらい、今後も映画づくりはしていきたいので公開に踏み切りました。


クシナ役の郁美カデールさんのキャスティング経緯をお教えください。

 撮影数日前まで決まっていなかったんです。どうする、どうする、となっていた時に普段はびっくりするぐらい話さないけれど、私が一番信頼しているヘアメイクの林さんがぼそっと、「私、クシナ知ってるかもしれないです。脚本を読んだ時からこの子を想像していました」と写真を見せてくれたんです。奇跡的な出会いで、私も「この子しかいない。会おう」となったんです。これまた、その日中に林さんがアポを取ってくれて郁美さんにお会いできました。本人はやりたいとのことだったんですが、お母さんに何度も断られました。最終的に撮影2日前位に正式に「やります」と言ってくださいました。


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本作に手応えを感じたのはどのタイミングですか?

 制作費の問題もあり、2日目にクライマックスを撮らなくてはいけなかったんですが、カグウ役の廣田朋菜さん、蒼子役の稲本弥生さん、クシナ役の郁美カデールさんのお芝居を見て現場で涙しました。周りにはその瞬間を逃さないように靴のまま川に入水し服を濡らすスタッフもいて、その時に周りにいるスタッフとキャスト、彼らの力に気がつき圧倒されました。いろいろな人に「やめたほうがいい」「アニメでやることだよね」「もっと街中で撮れるものにしたら?」と、撮影を止められたこともあり「自分でやりとげないと」と、どこか意固地になっていました。この物語はインディペンデントでやる内容としては挑戦的だったと思います。このショットが撮れた瞬間に、「ああ、自分の意思を貫いてよかったんだ」と思いました。
 また、この作品の軸になって下さった小野さんの存在も私の中では大きかったです。彼女の存在は、リアルなんですけれど、フィクションでもあるというか。ずっと小野さんにすがってました。私はスタッフの中で一番現場経験が浅かったですし、この少し不思議な設定の自主映画に出ると決めてくれた役者の面子を潰すようなことがあってはならないですから、自分が思っている以上にプレッシャーを感じていました。このスタッフとキャストで一緒に映画をつくっているんだと気づいてからは毎日の撮影が本当に楽しくて心が躍る日々でした。


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カメラワークや構図などで工夫した点はありますか?

 カメラマンと撮影前に話したのは、小さな世界の話だから、覗き込んでいるような感覚で撮れたらいいねという話をしました。1ショットずつ撮る意味を考えながら、そのショットが本当に必要かどうか話し合いながら撮影しました。カメラマンとは撮影前に美術館に行き、ショットを1枚の絵画のように考えようと決めてました。今は撮っている映像をモニターで見られる時代なので、そこに映っているもの、ミザンセーヌを意識して、どこに人を立たせて、どこに影を作って、色を配置するかなど、あらゆる部分に意識を配る努力をしました。


本作で特に注目してもらいたい部分はありますか?

 クシナの可愛さ。そして、インディペンデントでこういう映画に挑戦したという気概に注目してほしいです。


大阪アジアン映画祭でジャパンカッツアワードを受賞した時の感想はいかがでしたか?

 人生において最も印象に残る経験の一つです。授賞式では、この年になってこんなにも心がときめき、心臓がはち切れんばかりに鼓動することってあるんだと、嬉しい気持ちいっぱいに満たされました。また改めて夢を自覚した瞬間でもありました。海外の映画祭は桁違いなんだろうと思い、経験してみたいと夢を持ちました。


ニューヨークのJAPAN CUTSで上映されましたが、アメリカの観客の反応はいかがでしたか?

 印象的だったのが、日本では、「これは人類学者の描写としておかしいんじゃないか」だとか、「リアリティが微塵も感じられない」という作品の出来を指摘するような質問や評価を受けるんですが、ニューヨークで受けた質問は「彼女は人類学者なのに、どうしてそういうことをしたのか」と、これは似ている質問ですが、映画の捉え方やそもそもの考え方が違うなと感じました。国というより個人の見解だと思いますが、日本人からは私が敷いた設定に映画として足りていないことを指摘される機会が多く、日本人でない方は、できたものに対して、そこを掘り下げていくということをしてくれると思いました。あと交流タイムになったら、すごい勢いで金髪の青い目の女性が走ってきて、「私のお母さんと私の話みたいだった。オニクマは、私のお母さんにしか思えなかった」と言っていて、こんなにも私と見た目も文化が違う人の中で、そう思ってくれる人がいるというのは驚きでした。


kushina

読者の方にメッセージをお願いします。

 私は物語の力を信じていて、もちろんそれは教訓を知るためにも使われてきていますが、自分の人生をもっと彩り豊かにして、時には守ってくれるのは、自分自身で物語る力を持っていることにあると思うんです。本作はすごく個人的な映画で、2年前にも配給の話をもらっていたんですけれど、私にはあまりにもこの物語が自分のものに近すぎて、外には出せないと思って、映画祭以外では上映はやめようと思っていたんです。時間が経ったのもあるけれど、公開すると決めたのは、私にはすごく勇気が要ったことで、でも私の身を削ってでも物語ることの歓びだとか美しさだとかがみんなに伝わればいいなと思いますので、ぜひ劇場へ観に来てください。



(オフィシャル素材提供)




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