2020-03-23 更新
大山晃一郎監督
大山晃一郎監督
18歳の頃大阪芸大中退後上京、フリーの助監督に。『リング』の中田秀夫監督や『沈まぬ太陽』の若松節郎監督の下、助監督として数多くの映画の製作現場で活躍。
2011年に初監督した短編映画『ほるもん』は2011年度ショートショートフィルムフェスティバルのNEOJAPAN部門に選出され、同団体が運営する「日本人若手監督育成プログラム」にも選ばれている。他の参加作品に映画『溺れるナイフ』、『怪談』、『夜明けの街で』、テレビドラマ「ROOKIES」、「刑事7人」、「BG」、「警視庁捜査一課長」、「遺留捜査」などがある。
また劇団チキンハート、大山劇団の作・演出家として年2回ペースで演劇公演も行っていた。本作が長編映画初監督作品。
2018年の『カメラを止めるな!』に続き、2019年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019で観客賞である「ゆうばりファンタランド大賞」の作品賞を受賞し、カナダのファンタジア国際映画祭の長編初監督コンペティション部門に正式出品され、現在までに11の賞を受賞している映画『いつくしみふかき』。本作で長編映画監督デビューの大山晃一郎監督のオフィシャル・インタビューが届いた。
遠山は、全く売れていない役者で、武蔵関でバーテンをやっていたんです。僕は常連客で、僕もお金がなくて、つけで飲んでいて。「今日もツケでいい?」と言った時に、「じゃあツケでいい代わりに俺が主役で映画を撮って下さいよ」と言われて、僕も酔っぱらって「いいよ、いいよ」と言っちゃったんです。そこから借金の取り立てみたいに、「台本書けましたか?」「いつから撮影ですか?」と毎日催促がすごくて。
そんなことをしていたら、ストーリーが湧いてきて、短編映画の『ほるもん』を10年以上前に遠山主演で撮ったんです。ショートショートフィルムフェスティバル入選を目指して作ったんですが、無事通って、「俺たち捨てたもんじゃないな」となったら、遠山が「自分の高校時代の寮生活の話を舞台化したいから演出をしてほしい」と言うので、劇団チキンハートが始まって。
あいつ、何かが終わりかけると、すぐ次のお題を出してくるんですよ。僕の夢はあくまで映画監督で、そのために助監督として下積みをしていたので、劇団をずるずるするのもどうかと思い「5年で、1回の公演で3000人動員できるようにならなければ、即解散」「劇団が赤字になったら解散」というしんどいルールで自分たちを縛って、必死でやったら、4年半で3000人動員できて。「じゃあそろそろ勝負の映画を作ろう」というのが、今回の『いつくしみふかき』です。
遠山が20歳位の時に広志のモデルとなった方の葬儀に行った時に聞いて感動したという息子の手紙を見せられました。「長野の飯田のとある町の親子で、こんな手紙があるんだ」と渡されて。僕は結構涙もろいんで、その手紙を見てぐっと感動して、「その町に行ってみたい」と言って、2日後位に行ったのが6年前です。
とりあえず町を見てみたいし、自分が監督としてその2人のことを調べて、どんなところに興味を持つかというのも知りたかったし、1回向き合ってみて、受け止めきれなかったら止めようという気持ちでした。
ただ自分自身も父親と幼少期にいろいろあった家庭なので、初めての監督作になるかもしれない映画のテーマが「父と子」だということにすごいプレッシャーと不思議な使命感を感じたのを覚えています。
モデルの方は実際にクリスチャンだったので、遠山が葬儀に行った時に、葬儀では「いつくしみふかき」が歌われていたそうです。「クリスチャンは不思議なことに結婚式でもお葬式でも歌うし、あの歌が耳から離れない」ということで、遠山が付けました。僕は「慈しみ」という言葉を映画を撮りながらも考えていましたし、撮り終わった後も考えています。英語字幕にする時も訳し方について半年くらいああだこうだ議論しました。Loveでもないので、最終的にはMercyが一番いいんじゃないかということになりました。
6年前に3回か4回に分けて、ご存命の方々に接触したりして取材を重ねました。
今まで短編映画や舞台はやってきたんですけれど、ずっとラストシーンから書く方だったんです。でも『いつくしみふかき』の時だけ、実際の出来事を取材したので、初めて一旦お尻を決めずに頭から並べていきました。2人の小さい時から死ぬまでを映画にすると人に見せるものとしてつまらなくて、この映画はお客さんに向けたエンターテイメント作品にしたかったので、お客さんが思っていない展開にして、裏切っていく作り方にしました。
「『よーい、スタート』と言う時まで悩め」というのが師匠の教えで、自分で書いた脚本であれ、自分で準備した内容であれ、愛着があるんですけれど、一旦お客さん目線に戻って、ギリギリまで「このシーン面白い?」とずっと疑っていました。撮影現場の不思議な倫理観で「これはこうだよね」という空気が流れ出した時にこそ、「何が真実か分からない」と疑うようにしていました。自分で書いたんですけれど、いっけいさんにも、「なんでこんなことしゃべっているのか分からないんですよ」と逆に聞くんです。普通なら「ふざけんな」という話ですけれど、いっけいさんも「なんでなんだろうね」と一緒に考えて下さったので、違和感を1回自分の中だけで考えず、スタッフなりキャストなりに共有してもらって、それを自分で腑に落ちるまで撮影を進めませんでした。
ただ脚本を書いた時に、骨組み・展開を面白くしたいということばかりに捕らわれてしまったせいで、いろいろと肉付けされていなくて、いざいっけいさんになりきってそのセリフを言ってみたりすると、「なんでこういうセリフなんだろう」と思って。でも「次のシーンはこっちに行きたい」というのがあるので、台本では強引に行っていたんです。現場でディスカッションしたので、その無理やり感が減っていきました。いっけいさんの瞬きや、遠山のうつむき加減とかそういうことでどんどん解消されていった部分もあります。
連ドラで1クール一緒になった時に遠山を小さな役で出したら、いっけいさんも気に入って、「あいつ面白いね」「一緒に劇団をやっているんですよ」という会話をしました。でもまさか忙しいいっけいさんが自分たちの劇団を観に来て下さるとは思わなかったんですが、毎回観に来て下さるようになって、遠山や榎本とも親交ができて、「一緒に映画をやろう」となって。
『いつくしみふかき』では、いっけいさんの本当の深いところまで自分が演出できるかどうかが勝負だと思っていました。いっけいさんが10日間スケジュールをなんとかして下さると飲みの席で言って下さった時に、挑戦状を叩きつけられたような感覚になりました。多くの方が知っているいっけいさんの顔しか僕も知らなかったので、いっけいさんの内側にあるものがどんなものかを自分が出してみたいと思いました。
遠山と金田さんとはあまり話していないです。遠山と俺にとっては、人生が懸かっている映画なので、遠山には想いだけは伝えて、演技指導は全くと言っていいほどしていないです。テーマやどこに向かっていくかということだけは話しましたが、「あいつが僕が納得するものを出してこなかったら、あいつの責任だ」「俺は本気でやっているんだから、お前も本気で来いよ」という気持ちでした。
実は牧師さんのモデルの方も粋というかなかなか破天荒な方だったそうで、「教会だから静かにしなきゃいけない」とかそういうのは一切ないけれど、本質的に言っていることは正しい人」とのことです。劇中でも、普通の牧師ではなく、自分の倫理観で見ているようにしたかったんです。おちゃらけているのにいきなり真剣な表情になったりするのが金田さんにはまっていましたね。なかなか他の方じゃできないと思います。
モデルの親子に毎週日曜日の礼拝に来いと言った一因は牧師さんでした。実際は共同生活はしていません。劇中の、お互いの身分を知らず2人が過ごす中間部分が僕は愛おしくて。
10年前位から、「警視庁・捜査一課長」という連ドラを立ち上げからずっとやっているので、金田さんとは、ずっと親しくさせていただいています。脚本を書いている途中から、金田さんにやっていただきたいと当て書きをしていました。助監督の下っ端って本当に辛いんですけれど、いい役者さんやいいスタッフと出会える機会が多いので、「いつかこの方に出て欲しい」という方にずっと唾をつけているんです。撮影の時も、金田さんがメインじゃないシーンでも、じーっと見ていて、「金田さん、ちょっとお芝居変えましたよね。めっちゃよかったです。大山組やるときはお願いします」と言っていた方だったので、一本釣りというか、熱烈オファーをしました。
榎本は昔演技が下手くそだったんです。「しょうもない芝居をしやがって」と思っていましたが、誰よりもすぐすっとその感情に入るんですよ。小さいシジミみたいな目でウルウルするんです。でも一旦劇団が休止して、映画の準備に2~3年かかっていく中で、あいつはあいつでいろいろな監督と仕事をして、ワークショップも行きまくって、その2~3年で映画『いつくしみふかき』に向けてすごい修行をしたんです。榎本は榎本で自分の勝負だと思ってやっていました。で、衣装合わせの直前に写真が携帯に送られてきてびっくりしました。パンチパーマにしろとは一言も言ってないんです。勝手にパンチパーマにしてきて、自分で感情を作ってきて、本番で出してきました。
プロの現場では、「こいつ売れていくな」というのをたまに感じる瞬間があるんですよね。仲野太賀君も最初ご一緒した時は無名でしたが、「こいつ絶対売れる」と思っていました。そういう人たちが放つものを少し纏い始めているなと、この映画の撮影中に感じました。
あいつも変わっていて、役者としての生活を安定させるために、ホストをやっていたんです。北海道でスープカレー屋の経営とかもやっていましたが、本作の製作を機に、今は俳優業に集中しています。
三浦さんのキャスティングは、遠山との関係です。僕も刑事役とかでご一緒していたので、三浦さんの力量はもちろん知っていたんですが、遠山は三浦さん演出の舞台に出ているんです。僕は役者としての三浦さんしか知らないですけれど、遠山は20代前半の時に、2~3ヵ月超スパルタで稽古をして、遠山は耐え切って。スパルタでしんどかったけれど、三浦さんの言っていることとか思っていることにシンパシーを感じていたそうで、この役に三浦さんどうだろうと。
あの役で涙を流すなんて台本には一言も書いていないんですよ。モニターで見ていたら、「泣いてる? どういうこと?」ってスタッフがざわざわして。三浦さんも本気でした。三浦さんで本当によかったです。
助監督をやっていた時に、いいキャスト、いいスタッフに唾をつけていたので、皆クリエイティブで、集まったらめちゃくちゃ楽しいんです。僕はめちゃくちゃダメ助監督で有名だったんですけれど、人に恵まれているんです。自分では何もできないんですけれど、周りが助けてくれて。技術パートに関して言うと、10年前に『ほるもん』という短編を撮った時にまだ助手の下のほうだったカメラマンの谷(康生)と照明の(阿部)良平に声をかけたら、この10年で全員パワーアップしていて。スタッフは『ほるもん』と変わっていないのに、クオリティーが変わっているのは、単純に10年間「いいな」と思っていたスタッフたちがそれぞれのパートで力をつけて帰ってきたんです。人を見る目と周りにいい人がいっぱいいるというのが僕の最大の強みです。
「迷ったらしんどいほうを選ぶ」というのを大事にしています。周りもしんどいほうを選ぶのを楽しんでくれるスタッフです。照明部の予算は全くなかったんですが、クランクイン直後の、冒頭の山奥の夜のシーンの撮影で、タワーイントレが何本も建っていました。
テレビドラマをやることが多いので、時間がないとかお金がないとか制約がある中で成立させるということを普段していて得意なところではあるんですけれど、それを自分の中で禁じたんです。「ずっと違和感を探し続けて、違和感を見つけたら、違和感がなくなるまで誰かと話したり、見方を変えたりしないと先に進まない」というルールを作りました。自分の作品に対して自分が納得いくまで「嫌だ、嫌だ」と正直に言い続けました。
最初の10分は、「わー、映画を観に来た」っていう感覚にしたいというか、お得感ではないですけれど、自主映画で予算もなくて限られた中であっても、なんなら最初の10分で予算の半分を使う気持ちで「何かが始まる」というオープニングにしたくて、スピード感と迫力にこだわりました。ぬるっと始まる映画も好きなんですけれど、本作に関しては、お客さんが「あれ? これ、自主映画じゃなかったん? この映画、観なきゃあかんな」って驚いてほしいなという想いがありました。2秒3秒のカットも本気を出しています。僕は人数が多い現場を仕切るのが得意なんです。去年木村拓哉さん主演の「BG~身辺警護人~」という連ドラをやっている時も、2000人、3000人を仕切りました。最初の10分で、助監督の下積みの集大成というか、知っている魔法を全部使いました。世界中にいる同い年位のフィルムメーカーに、「この10分撮ってみろよ」という喧嘩のふっかけみたいなところもあります。
いろいろな人に「テイストが違うからゆうばりは無理だ」と言われたけれど、出すだけ出したら、正式出品となりました。授賞式の前、僕も遠山も緊張しすぎてずっとオエオエしていました。普通のお客さんに評価されるというところを僕も目指しているので、前年に『カメラを止めるな!』が受賞した「ゆうばりファンタランド大賞」が欲しかったんです。ありきたりですけれど、ステージに立って、表彰状をもらって、客席に皆がいるのを見たのは、スローモーションで覚えています。あの瞬間でやっぱり少し人生が変わり始めたというか、東京国際映画祭に落選し、どん底だった映画に一瞬ちょっと希望が見え始めた瞬間です。
上映後のQ&Aでの質問が止まらなくて、そんなところまで見て下さるんだということにすごく興奮しました。自分の映画に海外の方がどう反応するかが1番心配なところだったんですけれど、ろくでもない親父って全世界にいるんだなと思いました。
僕自身は確固たる想いがあって、すごく不思議なんですけれど、ラストシーンを見た時に主人公がどこに向かっていくのかが、見る人によって感じ方が違うんです。それを聞くのが楽しみです。観た人がそれぞれに目的地を作ってくれる映画です。本作の、1回目と2回目に観た時とで全然違うことを感じる部分がすごく好きで。100人に観ていただいて、100人に響く映画ではないと思うんですけれど、100人中10人ぐらいがうっと感動する映画でもあると、この1年で気づきました。親子関係など、皆さんが生きてきた環境によって、ラストの目的地まで変わっちゃう映画、感動の量も全く違う映画です。
あとは、おこがましいんですが、渡辺いっけいさんと新人監督が、すごく深い部分で、ある意味見えないところで殴り合って、戦って、自分も見たことのないいっけいさんの顔をスクリーンを通して見られる映画なので、“新・渡辺いっけい”をぜひ目撃してほしいです。
自分が今生活をしている商業の映像の世界というのは、年々時間的にも金銭的にも厳しい撮影をしなくてはいけない事態になっています。でも、作った作品が世界の作品と並べられる機会はどんどん増えています。その中で日本の作品が海外の作品と肩を並べていくっていう時に、なんとなく今の日本の商業の映像が向かっている方向はちょっとずれているんじゃないかと、15年助監督をやって思っています。なので、それに真っ向から勝負しました。決して100万円ですごい映画が撮れるとは思わないんですけれど、本当に力のあるスタッフ・キャストが集合して、皆が本気を出して、それを応援して下さる場所で皆さんが集まれば、1000万円で、1億円をかけたのと同じ位のクオリティーの映画を作る力が日本にはあるっていうのを証明したかったんです。
僕は新人監督ですけれど、劇場公開して、世界と闘っていくものを作ろうと思って作った映画です。「そういう映画を作りたい」という気持ちと、「その映画を観たい」という気持ちとがあったら、大手の力に頼らなくても、こんな映画ができるんだぞっていうのを証明したい映画です。
音楽もオーケストラで録ったりと、映画館で観ることを想定して、5.1チャンネルで作りました。DVDを借りてしっぽり1人で見たほうがいい映画もあると思うんですけれど、『いつくしみふかき』は劇場で爆音で大スクリーンで観てほしいです。画面の小さいところにまで本当にこだわったので、鑑賞2回目3回目で「そんなことしてるんだ」という1回目に気づかなかった発見がめちゃくちゃあって、多分5回観てもまた気づかない仕掛けがいっぱいある映画です。ぜひ大きいスクリーンでご覧下さい。
(オフィシャル素材提供)
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