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2019-10-01 更新
藤井省三先生(名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授)
第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品、中国の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作『帰れない二人』が、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか大ヒット上映中! 9月29日(日)にBunkamuraル・シネマにて行ったトークイベントでは、本作のパンフレット監修を務める、中国現代文学・映画研究の第一人者藤井省三先生(名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授)が登場。ジャ・ジャンクー監督の作品からリアルな中国社会の現状を読み解いた。
ジャ・ジャンクー映画は『一瞬の夢』(97)や『青の稲妻』(02)のような就職口のない若者など、下層社会の発見から始まりました。いわゆる<底層叙述>です。『プラットホーム』(00)、『世界』(04)あたりからはこれに故郷を離れて他郷・異郷を流離うというテーマが加わります。その集大成が『罪の手ざわり』(13)です。前作の『山河ノスタルジア』(15)では石炭成金、株式長者や小企業経営者の中産階級のテーマがこれに加わります。芸術の幅が広がったな、と思っていましたら、今回の『帰れない二人』では黒社会、やくざのテーマが加わったので驚きました。
ビン兄さんは一年間牢屋に入っている間に、地盤も組織も再起しようという気概も失い、恋人のチャオに会わせる顔がなくなったのでしょうか、自分の身替わりに5年も牢屋に入っていたチャオを捨ててしまいました。チャオは口から出任せの詐欺で資金を作り、度胸を養い、ビン兄さんの雀荘を再興します。そして脳溢血の後遺症ため障害者となった彼を大同で世話をし、治療を受けさせます。それは自分を捨てた男に対する女の愛情なのか、やくざの仁義なのか――これもあれこれ考えてしまうところですね。
中国大陸では共産党の統制を受けない組織は存在できません。カンフーで有名な少林寺のようなお寺にも国旗が掲揚されています。そのため黒社会ややくざ組織というものは基本的に存在できません。そのようなわけで、2時間の映画の中で銃声が轟くのは二、三回でして、香港ノワール、香港犯罪映画のように派手な銃撃戦が展開することはありません。その意味では本作はリアリズム映画なのですが、“空白の企み”が仕掛けられています。
ビンの兄貴分だったアーヨンは香港の業者と組んで大同の不動産開発をしていましたが、何者かに殺されてしまいます。これを受け継いだ様子のビンもほかの黒社会に襲われて大ケガをし、一年間投獄されます。しかし、アーヨン殺害やビンを襲撃した犯人が逮捕されたかのどうかは“空白”です。そもそも中国では土地は国有で、借地権が売買されるだけなので、大規模開発には地元政府の認可が必要です。映画の中で省略された空白を想像すると、権力と黒社会との何重もの癒着が想像されます。ジャ・ジャンクーが作品の中に仕込んだ空白はこのような想像を誘うものでもあるのも楽しみ方のひとつです。
去年、北京で本作を観ました。本作の前半は山西省の方言が全開なので、中国語の字幕から目を離せませんでした。舞台が変わって、例えばカラマイから来た男の言葉はなまりが少なく、わりと綺麗な北京語なので、聞き取りやすかったです。中国では基本的に、どの映画にも標準の中国語と英語の字幕がついています。地域によってかなり方言の違いがあるのと、標準語を国内に広めたいという政府の意図もあるのでしょう。新疆の人は描かれないので、どんな発音かを見ることはありませんが、現在の新彊に住む漢族はいろいろな地域から移り住んだ人たちなので、標準語を喋っています。それぞれの地方の言葉で話すと、通じないからです。
思わず、日本映画『極道の妻〔おんな〕たち』(86)の岩下志麻さんの名文句「覚悟しいや」を思い出してしまいました。映画の冒頭で、洗面器に中国各地の銘酒、有名なお酒を注ぎ、そこにグラスを突っこんで、ビンの『俺たちは兄弟だ』という音頭で乾杯する場面があります。これは『極道の妻たち』で、岩下志麻さん演じる親分の奥さんが、夫が入獄中の子分の妻たちを呼んでパーティー開き、各種の洋酒を大きなガラス容器に注いでからグラスを突っこんで乾杯する場面を連想しました。ジャ・ジャンクー監督は『極道の妻たち』へのリスペクトをもって描いているんじゃないかと思っています。その岩下志麻さんが本作をご覧になって絶賛コメントを寄せていらっしゃいましたが、『私の妹分がいる』なんて思いながらご覧になったのではないでしょうか(笑)。
(オフィシャル素材提供)
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