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インタビュー

トップページ > インタビュー > 『太陽の下で-真実の北朝鮮-』オフィシャル・インタビュー

『太陽の下で-真実の北朝鮮-』
オフィシャル・インタビュー

2017-01-20 更新

ヴィタリー・マンスキー監督


太陽の下で-真実の北朝鮮-taiyouno-shitade
© VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015


 北朝鮮市民に密着撮影を行ったロシア人映画監督。それは日常を記録した、よくあるドキュメンタリーのはずだった。しかし、すべては当局の管理下で演出されたフェイクだった――。『太陽の下で-真実の北朝鮮-』の公開を前に、ヴィタリー・マンスキー監督のオフィシャル・インタビューが届いた。


本作を撮影した動機をお聞かせください。

 私が生まれたのはソ連です。自分史を含め祖国史もソ連時代。両親は全体主義時代を私はその終焉時代を生きました。スターリン体制は血まみれのテロ時代、そんな時代がなぜ存在し得たのか理解したかった。個性と自由をいかに抑圧したのかも。全体主義がいかに機能していたかを理解したい。さらに、こうした人々を私は観察したい。過去の私や両親がその状況を受容する可能性を探りたかった故に、この出張にエキゾチックな目的は何もありませんでした。極めて個人的な問題であり、国家機関に対する個人的な関係が動機だったのです。


映画の撮影中、何らかの困難なことがありましたか?

 撮影中に起こったことは、私のこれまでの経験に照らしても、この上なくユニークで不自然で、異常そのものでした。私は戦場、牢獄、軍隊、クレムリン、バチカン、タイ総督府、ジンバブエの牢獄でも撮りましたが、北朝鮮は全く違っていました。私は経験上あらゆる予期せぬことに備えていましたが、北朝鮮では私の想像を完全に超えていたのです。人々の生活もそうですが、プロとしていかに撮影すべきか試行錯誤させられました。撮影前の交渉で条件などを合意するのに2年を要し、現地に到着さえすれば直ちに撮影できると思っていましたが、そんな簡単なことではありませんでした。合意書には厳しい条件がありましたが、実際にはその10倍も厳格で制約があり、すぐに旅券を取り上げられ、しばらくはホテルから一歩も外出できなかったのです。
taiyouno-shitade 撮影現場ではカメラを思い通りの方向に動かすことも禁止でした。非現実的な光景を絶えず見せられましたし、ホテルに着くと撮ったものすべてを渡せと言われました。全て検閲され、彼らにとって正しくないものは、私から見れば問題ないと思えても消去させられました。
 ですが、何としても仕事を進めたいという想いが私たちを奮起させ、ついに映画を完成させることができました。過酷な状況下で奮闘することで並外れた集中力が生まれ、これほど困難な撮影も成し遂げられたのです。
 ただ、こんな私たちでさえ、時として撮影が全く不可能な場面にも遭遇しました。北朝鮮当局の不遜さ、良心の欠如、不条理な現実は想定をはるかに超えるレベルでした。独裁政権を地上の楽園に見せようとする彼らの渇望、その不条理さを彼らは全く理解していません。それこそが私の驚きでした。


映画公開後に北朝鮮から何らかの反応はありましたか?

 完成した映画を観ていないのに、北朝鮮外務省はロシア外務省に外交文書を送ってきました。映画は北朝鮮を挑発している故、公開を禁止しフィルムを廃棄した上、制作者に刑罰を科すよう求めると書かれてありました。ですが、それから1年ほどかけ、この映画のロシア公開にこぎつけたのです。公開日の2週間前に各映画館に予告ポスターが貼られましたが、公開3日前に北朝鮮からさらに要求が出されました。その結果、国立と公立の映画館が公開を中止したのです。


北朝鮮当局から手紙も直接届いたそうですね。

 北朝鮮側は私がロシア在住ではないので制裁できず、ラトビア在住を知って直接連絡し、私との対話を計ろうとしたのでしょう。最初のうちは、私をスパイで日米の手先、人類のクソ等々、最後通牒のような厳しい内容が書かれてありました。その後は打って変わって、「あなたのことを懐かしく思っています。平壌にきて私たちと会いましょう。この先のプランについて話し合うのは重要なことです」といった懐柔の手紙をもらいました。この先100年は行きたくありませんね(笑)。


映画撮影前と映画完成後の朝鮮人民民主主義共和国の印象には変化がありましたか?

taiyouno-shitade 私はこれまで、苦しんでいる路上生活者たちに出会ってきましたし、メキシコやインドの貧民窟も見てきました。ですが、最大の問題は「自由」があるか否かなのだと感じました。自由に生きる権利、自身の生き方を決定できる権利が何よりも重要なのです。その意味で、北朝鮮は最も酷い国だと思います。なぜなら、あの国には自由に生きられる人間がいないからです、抑圧する側でさえ。そう言うと、皆さんを驚かせるかもしれませんが、指導者である神々キム・イルソン、キム・ジョンイル、キム・ジョンウンも自由な人々ではなく、彼らが住む全体主義国家の人質であり捕虜なのです。


(オフィシャル素材提供)


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