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2017-01-20 更新
ヴィタリー・マンスキー監督
北朝鮮市民に密着撮影を行ったロシア人映画監督。それは日常を記録した、よくあるドキュメンタリーのはずだった。しかし、すべては当局の管理下で演出されたフェイクだった――。『太陽の下で-真実の北朝鮮-』の公開を前に、ヴィタリー・マンスキー監督のオフィシャル・インタビューが届いた。
私が生まれたのはソ連です。自分史を含め祖国史もソ連時代。両親は全体主義時代を私はその終焉時代を生きました。スターリン体制は血まみれのテロ時代、そんな時代がなぜ存在し得たのか理解したかった。個性と自由をいかに抑圧したのかも。全体主義がいかに機能していたかを理解したい。さらに、こうした人々を私は観察したい。過去の私や両親がその状況を受容する可能性を探りたかった故に、この出張にエキゾチックな目的は何もありませんでした。極めて個人的な問題であり、国家機関に対する個人的な関係が動機だったのです。
撮影中に起こったことは、私のこれまでの経験に照らしても、この上なくユニークで不自然で、異常そのものでした。私は戦場、牢獄、軍隊、クレムリン、バチカン、タイ総督府、ジンバブエの牢獄でも撮りましたが、北朝鮮は全く違っていました。私は経験上あらゆる予期せぬことに備えていましたが、北朝鮮では私の想像を完全に超えていたのです。人々の生活もそうですが、プロとしていかに撮影すべきか試行錯誤させられました。撮影前の交渉で条件などを合意するのに2年を要し、現地に到着さえすれば直ちに撮影できると思っていましたが、そんな簡単なことではありませんでした。合意書には厳しい条件がありましたが、実際にはその10倍も厳格で制約があり、すぐに旅券を取り上げられ、しばらくはホテルから一歩も外出できなかったのです。
撮影現場ではカメラを思い通りの方向に動かすことも禁止でした。非現実的な光景を絶えず見せられましたし、ホテルに着くと撮ったものすべてを渡せと言われました。全て検閲され、彼らにとって正しくないものは、私から見れば問題ないと思えても消去させられました。
ですが、何としても仕事を進めたいという想いが私たちを奮起させ、ついに映画を完成させることができました。過酷な状況下で奮闘することで並外れた集中力が生まれ、これほど困難な撮影も成し遂げられたのです。
ただ、こんな私たちでさえ、時として撮影が全く不可能な場面にも遭遇しました。北朝鮮当局の不遜さ、良心の欠如、不条理な現実は想定をはるかに超えるレベルでした。独裁政権を地上の楽園に見せようとする彼らの渇望、その不条理さを彼らは全く理解していません。それこそが私の驚きでした。
完成した映画を観ていないのに、北朝鮮外務省はロシア外務省に外交文書を送ってきました。映画は北朝鮮を挑発している故、公開を禁止しフィルムを廃棄した上、制作者に刑罰を科すよう求めると書かれてありました。ですが、それから1年ほどかけ、この映画のロシア公開にこぎつけたのです。公開日の2週間前に各映画館に予告ポスターが貼られましたが、公開3日前に北朝鮮からさらに要求が出されました。その結果、国立と公立の映画館が公開を中止したのです。
北朝鮮側は私がロシア在住ではないので制裁できず、ラトビア在住を知って直接連絡し、私との対話を計ろうとしたのでしょう。最初のうちは、私をスパイで日米の手先、人類のクソ等々、最後通牒のような厳しい内容が書かれてありました。その後は打って変わって、「あなたのことを懐かしく思っています。平壌にきて私たちと会いましょう。この先のプランについて話し合うのは重要なことです」といった懐柔の手紙をもらいました。この先100年は行きたくありませんね(笑)。
私はこれまで、苦しんでいる路上生活者たちに出会ってきましたし、メキシコやインドの貧民窟も見てきました。ですが、最大の問題は「自由」があるか否かなのだと感じました。自由に生きる権利、自身の生き方を決定できる権利が何よりも重要なのです。その意味で、北朝鮮は最も酷い国だと思います。なぜなら、あの国には自由に生きられる人間がいないからです、抑圧する側でさえ。そう言うと、皆さんを驚かせるかもしれませんが、指導者である神々キム・イルソン、キム・ジョンイル、キム・ジョンウンも自由な人々ではなく、彼らが住む全体主義国家の人質であり捕虜なのです。
(オフィシャル素材提供)
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