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2016-10-14 更新
パスカル・プザドゥー(監督・脚本)
パスカル・プザドゥー
1966年4月19日フランス、サン=マンデ生まれ。父親は写真家、母親は教師。
監督・脚本(脚色)を手がけた主な長編映画には、バーバラ・シュルツ、カミーユ・ジャピ、イザベル・ナンティ、ジャン・デュジャルダンらが出演し、ラルプ・デュエズ国際コメディ映画祭で特別賞を受賞した『Toutesles filles sont folles』(03)、ソフィー・マルソー、ダニー・ブーン、アントワーヌ・デュレリらが出演した『De l'autre cote du lit』(08)、シャルロット・ドゥ・トゥルケイム、リーヌ・ルノー、マリルー・ベリらが出演した『La croisiere』(11)などがある。
また、パトリス・ルコント監督作『タンゴ』(92)、クロード・ルルーシュ監督作『レ・ミゼラブル』(95)、エリック・アスス監督作『Les gens en maillot de bain ne sont pas (forcement) superficiels』(01)や、その他多くのテレビドラマ、短編映画などで、女優としても活躍をしている。
10年前にノエル・シャトレの「最期の教え」を読んで、大勢の人がそうだったように、衝撃を受けました。私も友人の最期に付き添ったことがありましたが、彼は病気の若者でした。私は30歳で、忍び寄る死というものに不慣れだったせいか、何かに失敗している感覚を抱いていました。ノエル・シャトレの本を読んで、彼女と彼女の母親は、私と友達より、はるかに多くのものを共有していたことを確認しました。それは根本を揺るがすことに思えたのです。私はこれを映画にしたいと思いました。誰かの死に際して後悔することがないよう、今を最大限、生きることの重要性を、自分の経験を生かして伝えるために。失った人のことを恋しく思ったり、悲しみを感じたりするのは仕方ありませんが、後悔するのは最悪です。
私がコメディーを監督していたことに、彼女は興味を持ったようです。笑いの要素が含まれることを望んでいたのです。彼女は死から劇的な要素を排除したいと考えていました。母親がそういう人だったのです。彼女はとても愉快な人で、死に向かう冒険において、2人は大いに笑ったのです。原作にはその点が十分に描かれていないかもしれませんが、それはノエルが母親の死後すぐに本を書いたからでしょう。観客をどんよりさせたり、ただ感動させたりするだけの映画にすることなど、彼女にとっては言語道断だったのです。
ユーモアというプリズムを通せば人間の宿命も耐えることができる。劇的になったり、死を扱ったりする映画が時に耐えられないのはなぜか。それは笑いや生を取り去ってしまっているからです。でも死はそういうものではありません。死が差し迫った時、もっと生きたいという感覚と非常に強い臨終の感覚を体の中に感じ、人はつぶやくのです。「その日を摘め(今を生きろ)」と。私が参考にしたのは『みなさん、さようなら』でした。悲劇的であると同時に滑稽な映画です。
もちろんです。いつの日か、高齢者が自由になれることを願って、作った映画です。彼らが望むなら、苦しまずに逝けるように。そこがノエル・シャトレに気に入られたところでもあります。彼女は、活動家で尊厳死の権利協会(ADMD)の共同設立者だった母親の遺志を継いだのです。
重要なのは、ミレイユ・ジョスパンの考えを哲学的に表現することであって、事実をなぞることではありませんでした。ノエルと彼女の兄弟姉妹は映画に実名で登場することを望みませんでした。実際のところ、映画の登場人物は彼らとは違います。政治家の兄を描くことが主題ではなかったのです。我々は原作に描かれた母と娘の関係を軸に、架空の家族を作り出しました。家族のメンバーそれぞれが、異なる視点を持った主人公なのです。知識人である娘とビジネスを営む息子。快楽主義者の義兄は再び命を謳歌するために、レストランをオープンします。
マドレーヌは完全に晴れ晴れとした気分です。誕生日に子供たちに読んで聞かせる文章にも、そう書かれています。私はノエル・シャトレから預かったミレイユ・ジョスパンの本物の手紙を再現しました。そこには、次のように書かれていました。「私は人生に成功した。助産師という仕事を愛し、夫のおかげで幸せだった。ここにあなたたち全員が元気でいてくれてラッキーだ」と。これは人生に対する最高にポジティブな賛歌です。
私は昔から触れ合うのが好きなんです。母に撫でられたり、キスされたりするのに慣れていたからです。病気の友達に付き添っていた時も、話しかけるより、触れるほうが簡単でした。マッサージは病人の助けになると看護師も言ってくれました。遠慮せず、腕に抱いたり、抱き上げたり、撫でたり、足や頭をマッサージするようにと。こうした肉体的な接触は終末期治療の一部なのです。残念ながら、病人との身体的接触は十分ではありません。自分が病気になるのが怖いからか、肉体の死が怖いからか、どちらかですね。
ミレイユ・ジョスパンはアフリカに興味を持っていました。アフリカの人たちの死生観は、我々のそれとは異なっているからです。そこでアフリカ大陸を映画の要素として盛り込むことに決めました。でも、どこに、どうやって? ミレイユ・ジョスパンの実人生においては、2番目の娘のアニエス・ヴォルヴェが近くに住み、日常生活を補佐していました。彼女の痕跡も映画に盛り込みましたが、2番目の娘としてではありません。娘であればストーリーが希釈されてしまったでしょう。その代わり、アフリカから来た付添婦に姿を変えて登場させたのです。ばあやのような彼女の体つきを見ると、その腕の中に逃げ込みたいと思うでしょう。
映画の純粋な創作ですが、これもミレイユ・ジョスパンの人柄から直接にアイデアを得たものです。彼女は僻地に赴いてボランティアで女性の出産に立ち会っていました。そこで奇妙奇天烈な状況を経験したのです。この世に命をもたらす緊急処置をスクリーンに載せるべきだと、我々は考えました。ミレイユが妊娠中絶と安楽死、人生の始まりと終わりを同時に俎上に載せたのですから、なおさらです。ノエルはこのシーンを見て熱狂していましたし、我々はマドレーヌが滑稽に見えるようにできる限りのことをしました。マドレーヌは常に命を注入しようとしますが、パニックになったり、ウンザリしたり、目標を達成できないのではと恐怖に陥ったりします。結局のところ、妊婦以上に、彼女のほうが気の毒に見えます。立場が入れ替わっているようです。
それは脚本を書く時だけでなく、映画のあらゆる局面で問題になりました。末期がんで非常に苦しんでいる人と、肘掛け椅子に座ってテレビを見たり、孫にお菓子を作ってやったりする余裕がある人との、ちょうど中間あたりに適した表現を見つけることは簡単ではありませんでした。マドレーヌは死の病に侵されているわけではありませんが、倦怠を病気のように見せることが重要でした。耐えられないほどの疲労感を抱えていることを感じさせたかったのです。我々は白髪で本当に老婆の雰囲気を持つ、85歳前後の女優を探しました。マルト・ヴィラロンガの起用を提案したのは配給会社です。彼女はいかにもおばあさんというような雰囲気を持っているだけでなく、人気女優で共感を呼ぶ存在です。
マルトは喜劇的な役柄で有名ですが、いつもアルジェリア生まれのアクセントで話すわけではありませんし、目をキラキラさせているわけでもありません。感動的な役も、真面目な役も、控えめな役もこなせます。彼女の実年齢は82歳で役柄より10歳、若いのですが、信じられないほどのバイタリティーにあふれています。私たちより元気です。そのため、しばしば、力を抑えるように注文をつけなければならないほどでした。適切なバランスを見つけることが重要だったので、事細かい調整を指示しました。さらに編集でも人物造形を続けたのです。
誰も批判しないというのが、この映画の絶対的な取り決めでした。主人公は“死”です。最後に勝つのは死であり、死を前にすれば、両親との関係にもよりますが、誰でもできる範囲内で反応します。何らかの理由で、子供の頃から両親を恨んでいる人間は、彼らが死を選ぶことを決して受け入れません。本作の息子の場合も同じです。親の死によって再び見放されるように感じるからです。逆にディアヌのように両親と良好な関係を築いてきた人間は、親の決断を支持します。私はあらゆるケースを描きたかったのです。
そうです。あらゆる世代の死に対する見方を描きたかったのです。最初は祖母の味方だった孫息子は、途中で立場を変えます。孫娘の1人が、死とは何かを想像するために眠るふりをする時、彼女は死というものを詩的に見ているのです。
2人はアンドレ・テシネの『Les Innocents』の1シーンで共演経験があり、再会を喜んでいました。ただちに打ち解けて、非常に仲良くなっていましたね。どちらも情が深いタイプなので、仕事の取り組み方は大きく違っていても、関係はシンプルで、即座で、明白なものでした。サンドリーヌは動物的な本能で演じる女優であり、最初のテイクで全力を出すタイプです。モーリス・ピアラ監督が好む演技法で、実のところ彼女は演じることをしません。一方、マルトは舞台出身です。
そうですね。葛藤と怒りが軽妙さと生きる喜びに変わります。彼女たちは食べて、飲んで、笑い合う。映画が死に近づけば近づくほど、光の方へ向かうようにしたかったのです。マドレーヌがベッドに横たわり、ヴィクトリアが死者は死んでおらず、流れる水道水やネコ、森に生まれ変わるだと説明する時、太陽のようなまばゆい光が差します。続くシーンでも同じです。マドレーヌとディアヌがカキを食べるシーンでは、光は半透明で、絶対的な軽さが訪れます。
私が目指したのは、簡潔で節度のある演出です。これまでの作品とは反対だと言ってもいいでしょう。これまでは過剰さを好み、リアリズムを避けていました。現実は私を悲しませ、恐怖を感じさせたからです。観客を退屈させるのがイヤで、技巧を凝らしていました。本作を制作中、プロデューサーは何度も私に言いました。「自分を信じろ」と。私は彼の助言に従おうとしました。人生で初めて、観客の興味を引くような効果的な表現を求めることをしなかったのです。静寂や、会話の代わりに物語るまなざしを表現し、ワンシーン・ワンカットで、音楽の使用を極力、控えました。
(オフィシャル素材提供)
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