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2015-04-26 更新
大林宣彦監督
配給:ギャガ
2015年4月24日(金) TOHOシネマズ シャンテ他 全国順次公開
© La Petite Reine / La Classe Américaine / Roger Arpajou
2011年、現代の白黒無声映画『アーティスト』でアカデミー賞®作品賞、監督賞ほか全5部門を受賞し、その比類なき才能を全世界に知られることになったミシェル・アザナヴィシウス監督が、長年あたためてきて、今この時代にどうしても描きたかったという映画『あの日の声を探して』が公開中だ。
公開直前の4月19日(日)、『転校生』(1982)、『時をかける少女』(83)など数多くの名作映画を製作したことでも知られる大林宣彦監督とのティーチ・イン付き試写会イベントが実施された。
大林監督は本作をいち早く鑑賞、「日本人が今観なくてはいけない映画」であると賞賛したことから実現した本イベント。監督自身が経験した戦争体験を現代にも伝え続けていかねばならないという想い、フィクションがもたらす映画の力、先日亡くなった愛川欽也との思い出話なども多いに語り、観客は大林監督の言葉に深くうなづきながら真剣に耳を傾けていた。
高畑 勲や山田洋次と仲が良く、三人揃って戦争体験をしているわけなんだけども、僕らはその戦争体験を伝えていかなければいけないねと思っているわけです。世界のティーチ・インイベントで必ず最初に「あなたの戦争体験は?」という質問が出る。それは素晴らしい質問で、それを聞けば監督が作品込めたメッセージや正体が全部わかってきます。
フレッド・ジンネマン監督の『山河遥かなり』は戦争が終わって3年目の映画です。『山河遥かなり』のラストは離れ離れとなった親に再会し抱き合うというハッピーエンドで終わる。当時は戦争が終わったばかりで、ラスト・シーンが甘いという批判も出た。だけど、彼自身ユダヤ人で、実際に両親をホロコーストで殺され、一人で生き残ったという経験をしている。そんな彼だからこそ例え夢のようでも、ご都合主義だといわれても、そういった結末が、自分を含め多くの人の心を救うのだと、切実な想いで描いたのだろうと今は理解できるのです。
ミシェル監督もユダヤ系のフランス人なんですね。この映画はただ殺戮を描きたかったわけではない。普通のロック好きの少年がちょとしたきっかけで軍に入れられ、次第に人を殺すようになる。戦争というものがどんなに人間を殺人鬼にしていくかということが描かれいます。それは現代を生きる人間としての重要なテーマです。ロシア兵が村の人々を殺すところをビデオカメラで撮影しているシーンから始まるのですが、実際にビデオカメラを回しているはミシェル監督自身なんです。これも重要なこと。つまり、極悪非道の人間になった側のカメラを自分で回すというところで、現代の戦争体験を自らするわけなんです。そうしてようやく戦争の殺戮を描く資格が自分にできのだと納得してこの映画をつくる資格を得るわけです。
『山河遥かなり』はとてもシンプルです。もう戦争など二度としないようにという想いが込められている。しかし、それから二度も三度も戦争が起こっている。そして今、同じユダヤの血を引くミシェル監督がこの映画に着想を得て描く。戦争を体験して描いたフレッド・ジンネマン、現代のミシェル監督という部分を意識して、是非比較してご覧になったらいいと思います。
映画とはそもそも記録装置です。記録をするという意味では、ドキュメンタリーというのは大変な力をもっているものです。ただし、リアルな記録は風化されてしまう。なぜなら、辛いことはもう見たくない忘れたいと思うからです。忘れたほうがいいこともある。実際に辛い体験をした人はそれでいい。しかし、同じ過ちを繰り返さないためには、自分たちの体験が風化されないよう伝えるためには、映画を観るという喜びを感じながらのほうが風化せずに伝わる。それが、フィクションのもつ力なんです。
1948年の新聞を読みますか?読まないですよね。しかし、1984年の『山河遥かなり』は今でも観るんですよね。そこに劇映画の力があるわけです。
日本の作家がうまいことを言っています。「花も実もある絵空事」、「根も葉もある嘘八百」。つまり劇映画は、嘘なんだけど、真実以上の真を伝える力がある。ただそれが単なる絵空事にならないようにするためには、作家がどういう想いでこの作品をつくったかということが重要なのです。それ故に「貴方の戦争体験は?」という質問に意味があるのです。『あの日の声を探して』はCGを使わず、実際に現地のエキストラたちを使って撮影をしている。それが、ミシェル監督のフィロソフィー。多くの人を撮影で動かすというのがどれほど大変なことか僕は知っている。だからこそこの映画に感動する。「嘘からでたまこと」をつくるためには、本当の汗を流して、一万人の衣装や食事を用意することが、この映画のアプローチだったわけです。
一般の方は登場人物の喜怒哀楽に寄り添って観るのだろうけれど、僕らは残念ながらつくり手であるので、映画という制度に囚われて観てしまう。でもこの映画を二度目に観たときは、登場人物に寄り添って観てしまった。だから僕は何度も観てほしい。一度目はいい映画だったねとただ感じる。二度目は、良いも悪いも忘れて登場人物に感情移入する。三度目は、また違う何かが見えてくる。この作品の多くはプロではなく素人の俳優を使っている。そこに生きている人たちの呼吸そのままを伝えようとしている。ハジのお姉さん役の子は、自分も戦争を体験し、誰かがこれを伝えなければという想いでこの作品に参加していて、それはミシェル監督も同じで、誰かがこういう映画を撮らなければいけないという人間としての共感を持っている。
映画をつくるということしか自分にはできないけれど、どうか映画を越えて、人の問題、国の問題、人間の問題として、この映画を観てくださいという想いを込めて、映画人として撮ったというところにこの映画の素晴らしさがある。映画をつくったねと同じ映画人として僕は言いたくない。アザナヴィシウスよ、映画を使ってアンタは見事な何かをやったね。その何かとはきっと僕たちの永遠の願いである、映画をつくる何かだったね。と僕は思っています。
敗戦後10歳だった欽也さんは、切実な想いがおありになったと思うし、まさに自分たちの体験を忘れずにい続けたというのが、生き延びた人の責務として僕たちにある。しかし、そんなことをいっても誰も耳を貸さないから、欽也さんはTVの司会者やパーソナリティ、俳優として、エンターテイナーとしてそれを伝えていこうとお考えになっていた。
実はお亡くなりになるまで、伝わりきれていないことが多いんです。ご自身で自主的に8本もの映画をつくって、自分で映画館をつくってそれを上映していたんです。それは素晴らしい映画人ですよ。でもそれは情報として何も伝わってきていない。僕も知らなかった。明るくお茶目な欽也さんのイメージしかなかった。そういった日本人の大事なところが伝わらないという本質、それをもって平和難民だと残念ながらそう言わざるえないね。本当に惜しい。欽也さん、もっと語りたかったね。
映画は感じるものだから観た人がそれぞれに感じてもらえればいいのだけれど、上手に感じるためには教養というものが必要。今それがあまりにも失われてしまった。チェチェン戦争を背景として、永遠の戦争に対する、平和に対する想いを描こうというところに彼の素晴らしさがある。そういう風に理解することが僕たちが観る理由であり、それは人ごとでも何でも無い。僕たちがこの映画を観ることで、明日をどう生きるかということを考えることに繋がっている。この時代にこの映画を観ているのだという僕たちの意識、映画は世の中の鏡だし、風化しないジャーナリズムという。そういう教養を持ってこの映画を観れば、この映画の本当の楽しさがよく分かるし、その上で映画が語った戦争の歴史の中から、重要な一通の手紙を今受け取ったと思えばいいのではないか。そして、それを元にして自分なりに考えを紡いでいっていただければいいのではないかと思っています。
(オフィシャル素材提供)
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