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2015-02-13 更新
スジョイ・ゴーシュ監督
スジョイ・ゴーシュ監督
1966年5月21日コルカタに生まれる。コルカタ南部で成長し、13歳でロンドンへ移る。その後マンチェスター大で工学を修め、MBAも取得。卒業後はロイターのメディア部門南アジア担当として1999年まで勤務する。
監督デビューは2003年のボリウッド映画『Jhankar Beats(ジャンカール・ビート)』で、ポップス・コンテスト「ジャンカール・ビート」に挑む3人組を描いたこの作品は、偉大な作曲家R.D.バルマンへのオマージュとなっており、カルト的人気を獲得した。続いて、日本版DVD発売済みの『アラジン 不思議なランプと魔人リングマスター』(2009)などを監督。2012年には『女神は二度微笑む』で大ブレイク、批評家からも観客からも絶賛を浴び、権威あるフィルムフェア賞最優秀監督賞を受賞した。本作は興行的にも成功し、『マダム・イン・ニューヨーク』などを抑えて興収ベスト10に続く位置にランクインした。
次回監督作品は、福山雅治主演作『容疑者Xの献身』のインド版リメイクと伝えられている。監督以外に俳優としても活躍しており、2013年にはリトゥポルノ・ゴーシュ監督の遺作『Satyanweshi(真実追究者)』で、主人公の人気探偵ボムケシュ・ボクシを演じた。
新世代のインド映画が相次いで大ヒットを記録するなか、満を持して公開されるインド産本格派サスペンス『女神は二度微笑む』。同国のアカデミー賞と呼ばれるインド・フィルムフェア賞で5部門を独占、ハリウッド・リメイクも決定した必見の本作で監督を務めたスジョイ・ゴーシュ監督のインタビューが届いた。
私はコルカタで生まれ育ちました。その為この街のことについて熟知しています。私は以前からコルカタを舞台にした作品を作りたいと思っていましたので、この地を選びました。
私はずっとヴィディヤー・バーランと一緒に仕事をしたいと思っていました。この映画の企画が浮かんだときに彼女にアイデアを伝え、それから彼女と相談しながらストーリーを作り上げていきました。
そしてこの役を演じる上で、彼女には多くを説明する必要はありませんでした。彼女は主人公のキャラクターについて私と同じくらい理解してくれていましたし、インドでも抜きんでた女優ですから、自分の役柄をしっかりと演じてくれたのです。
はい、その通りです。このストーリーは私の中で、何年もかけてあたためてきたものです。最初の発想は、私の妻が最初の子どもを出産したときに、一晩で変わった彼女の姿を見たことがきっかけでした。前の夜まで知っていた彼女とは違う、別の誰かに一瞬で成長したのです。それは私にとって大変魅力的な光景でした。突然生まれた責任感、わが子を守ろうとする本能、無条件の愛。それがアイデアに結び付いたのです。
また、主人公のキャラクターについては私の母親がモデルなのです。母は無条件に愛を注ぎ、全力で私たちのことを守ってくれる人です。
母親というものは全く見知らぬ環境の中でどう反応するのか? どのようにして自分自身や自分の子供を守ろうとするのか? このアイデアをヴィディヤー・バーランに相談し、そこから作り上げていきました。
映画は絵画のようなもので、一つひとつの作品に違う色彩や形式が要求されるものです。この映画では、観客がヒロインと伴に彼女の旅や捜索に加わることが求められました。そのため今回は歌や踊りは入れずに、少々ドキュメンタリー的な感じも加えて撮影しました。
確かにそうです。私は世界がどんどん小さくなっていると感じています。インドの観客も進化していて、より新しい題材を経験することに許容的になっています。彼らは要求が厳しくもあり、そのため私たち製作者は油断するわけにいきません。でもそれこそ進化そのものだという気がします。私たちは進歩するために常に変化する必要があるのです。
彼はベンガル語圏の映画界で人気のある俳優です。そしてこの映画にとって、彼は命の恩人なのです。実は当初、このラナの役は他の俳優が演じるはずでしたが、直前で出演できなくなってしまいました。そのときチャテルジーはイギリスにいたのですが、彼に電話をして相談したところ翌日なんと帰って来てくれて、そのまま撮影に参加してもらうことができました。彼は本当に素晴らしい俳優です。私は今でも、一晩で全てがうまく行ったことに驚いています。
私はハリウッドリメイクのプロジェクトには関わっていないのですが、とても嬉しく思っています。本作と同じような面白さをもった作品になったらと期待しています。
(オフィシャル素材提供)
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