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2015-09-10 更新
ヘルムート・バーガー。ルキノ・ヴィスコンティ監督に寵愛され、『地獄に堕ちた勇者ども』(69)、『家族の肖像』(74)でその美貌と毒の華のような暗い輝きを放つ存在感で観る者を魅了し、主演した『ルードヴィッヒ/神々の黄昏』(72)では悲劇の王を壮絶なまでに体現した名演を見せ、映画史にその名を刻みつけた。日本にもファンの多いこのオーストリア人俳優の70歳の姿を赤裸々に映したドキュメンタリー『Helmut Berger, Actor』が、第72回ヴェネチア国際映画祭ヴェネチア・クラシックス:ドキュメンタリー部門の1本として選ばれ、上映された。
ヘルムート・バーガー自身ヴェネチア入りし、上映前の舞台挨拶にも登壇予定だったが、急遽キャンセル。新作を撮影中のためやはり来伊がかなわなかったアンドレアス・ホルヴァート監督に代わって、妻のモニカ・ムスカリが挨拶をした。
まずは、リド島には到着したものの、上映の場に現れなかったヘルムート・バーガーについて、「とてもプライベートな姿を映したドキュメンタリーであるため、彼がここに居ない理由は、この作品をご覧になればご理解いただけるでしょう」と、失望感が漂う観客に向けて釈明した。また、「監督のアンドレアスは20年来ヴェネチアで自らの作品が上映されることを夢見ており、2年がかりで完成させた本作がついにヴェネチアで上映されるというこの機会に、シベリアで新作の撮影が進行中のため来られなかったことを大変残念がっていました。今回の撮影では、ヘルムート・バーガーの元家政婦だったヴィオラ・テフトさんの協力が大きかったのですが、ほんの数週間前にお亡くなりになりました。とても残念なことで、ヘルムートにとっても大きな喪失だったと思います。そうしたことも踏まえながらご覧いただけましたら幸いです」と語り、舞台を後にした。
確かに、この作品を観た後ではヘルムート・バーガーがなぜ、もしかしたら最後となるかもしれない栄えあるこの舞台に登場しなかったのかがよく理解できる。ドキュメンタリーにもプランと構成があるとしたら、この作品は完全に破綻をきたしているとしか言いようがない。それは、被写体そのものが、自らの姿をフレイムに納めることは受け入れながらも、協力を惜しまないのではなく、協力を極力惜しむというアンビバレンツな姿勢を貫き続けたからだ。
これまでドキュメンタリーで数々の賞を受賞してきた監督は、ヘルムート・バーガーの屈折した母親との関係を起点として、とりわけヴィスコンティ監督に愛された俳優としての絶頂期から、監督亡き後の凋落、そして現在の老いと貧困にさらされつつも「俳優」であるという矜持を守り続ける伝説の俳優の人生をスクリーンにとどめたかったのかもしれない。しかしながらその主役は、『家族の肖像』でバート・ランカスター演じる教授を気まぐれに残酷に振り回したように、自らの老醜と頑迷には目を背け、かつての美貌と栄華の幻影の中に生き続けるかのように監督を翻弄し、語ることを拒み続けた。カメラに記録することができたのは、高価な物とガラクタが無秩序に混在したヘルムート・バーガーの侘しいアパートの中で、ひたすら掃除に精を出す家政婦の女性が独白のように語る彼の乱雑極まる日常と、その小宇宙から出ることを拒み、老いた肉体を無造作にさらし怠惰に横たわりながら、ダミ声をがならせ監督を罵倒しエゴをまき散らすスターの形骸のみだった。
でも、またそれもヘルムート・バーガー自身の自己演出ではないと誰が言い切れるのか。マスターベーションで始まりマスターベーションで終わるこの作品の中で、彼は誇らしげに2度言明する。「私は俳優だ」と。
世界中に唾するように愚弄と悪態の限りを尽くし偽悪的な身振りを崩さない俳優・ヘルムート・バーガーは、自らが演じてきた役柄を今も演じ続けているのかもしれない。再びスポットライトを浴びて、月200ユーロの年金生活から浮かび上がれたであろう最後の機会を自ら潰してでも、彼はある意味、生涯「俳優」なのだ。
ヘルムート・バーガーは今このリド島の高級ホテルで、サントロペと同じようにしどけなくソファに横たわり、アルコールをあおって短い滞在を独りで楽しんでいるのだろうか。主役が不在の会場に座して、そんな想像を巡らせるしかすべがない。
余談だが、ドキュメンタリーの中でヘルムート、「日本人だよ! やたらに俺の写真を撮りたがるのは。恐ろしいこった、まったく」とぼやいていた。気をつけなければ。
(取材・文:Maori Matsuura、写真:オフィシャル素材提供 - la Biennale di Venezia©2015)
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