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2013-07-21 更新
内田裕也、デヴィ夫人
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
Bunkamuraル・シネマ他にて公開中、全国順次ロードショー!
© Tibo & Anouchka
名曲「マイ・ウェイ」を作った男の自伝映画『最後のマイ・ウェイ』が7月20日よりBunkamuraル・シネマ他にて公開中、全国順次公開となる。公開に先立ち、芸能界で最も「マイ・ウェイ」な生き方をしてきた内田裕也とデヴィ夫人が「マイ・ウェイ」な人生論を指南した。
内田裕也: ボンジュール。ジュマペール、ゆうや うちだ。1968年の1年間過ごしたパリ、ロンドンの日々が、現在の内田裕也をつくったんだ。みんな、ボクがフランス語をしゃべるのにビックリしていると思うけれど、外見はロックンロール、中身は意外と優雅ということでヨロシク! 今日はデヴィ夫人と一緒で嬉しい。僕らは30年来の知り合いだけど、仕事で一緒になるのは初めてです。
デヴィ夫人: 裕也さんと会ったのは何十年も前だけどその時は髪がまっ黒で今とは違ったわね(笑)。私は当時のクロード・フランソワのコンサートをオリンピア劇場に観に行ったり、その頃、活躍していたジョニー・アリディのこともよく知っています。今日はジョニーと撮った写真を持ってきました。(と写真を掲げて)。パリはこの頃は華やかな社交界がたけなわの時代だったのよ。
デヴィ夫人: まさか、あのクロード・フランソワが歌っていたものを、ポール・アンカが詞をつけてシナトラに歌わせたなんて、知らなかったから本当にびっくりしたわ。
内田裕也: ポール・アンカがテレビでクロクロ(クロード・フランソワ)が「コム・ダビチュード」(いつものように)を歌っているのを観て、素晴らしいと思ったのがきっかけだったらしいね。とにかく、シナトラは「マイ・ウェイ」という曲に出会わなかったら、ここまで有名にならなかったと思う。日本では「マイ・ウェイ」と言えば、勝新太郎、布施 明が有名だけど、ボクもいつか歌ってみたいと思っている。
デヴィ夫人: 私の場合は、色々な修羅場を潜り抜けてここまで来ました。日本の女性がパスポートをみたことがなかった時代に、飛行機に乗ってしかもインドネシアに渡って。スカルノとの愛を貫いて。絶望のどん底に落ちるたびに、勇気を振り起して、立ち向かってきました。私の場合は、常に“怒り”をエネルギーにしてここまで来たわ。
内田裕也: ぼくの周りは強い女性ばかり。デヴィ夫人も数奇な運命をたどった、すごい女性で日本の文化史に残る人だと思う。ただ、華やかな場所が好きなので、アウンサン・スーチーみたいに人民のそばに寄り添うタイプではないよね(笑)。
デヴィ夫人: マリー・アントワネットの最大の罪は、「王妃としてではなく、ひとりの女性として生きようとしたこと」って誰かも言ってたわよ。
内田裕也: 「ROCK’N ROLL」。 これに尽きるね。ヨロシク。
デヴィ夫人: 「雅」。私の造語であり在り方です。「遊雅」「悠雅」「優雅」、この3つの言葉を軸に生きていこうといつも思っています。
デヴィ夫人: 『最後のマイ・ウェイ』は本当に素晴らしい映画です。そして当時、彼が亡くなった時、本当にフランス中に激震が走ったのよ。今でも思い出すと鳥肌が立つ位。その時のパリっ子の驚きと哀しみが思い浮かんだ。そういう意味でも、私にとってもこの作品は感慨深いものなんです。
内田裕也: 只今、参院選の真っ最中ですが、ボクも立候補を考えたんだけど、アントニオ猪木と山本太郎が立候補すると聞いて今回は辞めました(笑)。それは別として……、この映画はスターについてよく描いている。日本の勘違いしているスター気取りの人たちにこの映画を観て、考え直してほしいね!! ボクはこの映画を観て感無量になったよ。
名曲「マイ・ウェイ」とは?
人気アイドル歌手、フランス・ギャルとの恋が破局し、その失恋の痛みを託した曲「Comme D’habitude」(いつものように)こそが、後のポール・アンカが英語詞を書き下ろし、シナトラが歌う「マイ・ウェイ」として世界的にヒットしたのです。エルヴィス・プレスリー、シド・ヴィシャスら世界各国のアーティストにより今もカバーされ、愛され続けている名曲。
(オフィシャル素材提供)
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