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2013-07-20 更新
倉田保昭
配給:アンプラグド
新宿武蔵野館ほか全国順次公開!
© Media Asia Films, Beijing Antaeus Film, Shanghai TV Media, Beijing Meng Ze Culture & Media, J'Star Group
ブルース・リー没後40年記念<ブルース・リー祭り>ドラマ編となる、映画『李小龍 マイブラザー』が新宿武蔵野館にて公開中ほか全国順次公開となる。この公開を記念して、和製ドラゴンと呼ばれるアクション俳優の倉田保昭がゲストとして登場、トークショーが開催された。
本作は、実弟ロバート・リーが制作総指揮を務め、ブルースが渡米する前の青春時代を描いた作品。家族にしか知らないエピソード満載のこの映画は、「ブルース・リーを題材にした映画はこれまで沢山作られてきたが、彼の人間的な部分が描かれた本当の物語を残したかった」という想いから誕生した。ファンも知らない彼の一面が、今明かされる!
倉田保昭は『ドラゴンへの道』のラスト、チャック・ノリスとの決闘シーンの撮影を見学したことを振り返り、「私がショーブラザーズでやっている立ち回りと違いましたね。“受け”が全くない。相手が入ってきたら蹴り、入ってきたら突き。全く隙がなかった。あのころが一番いい状態でしたね。あれが、ブルース・リーの真のキャラクターです」と語った。
そして、この日特別にブルース・リーと一緒に撮影した写真を披露。1972年、『ドラゴンへの道』の撮影に向かう時に、当時の景徳空港で撮影された。「本当に、細いし大きくないんです。あの体でどんな相手にも立ち向かっていたんですよ」と、倉田とブルース・リーが握手を交わしている写真を見て、当時を振り返っていた。
更に「ここだけの話……」と、ブルース・リーと『燃えよドラゴン』について話したエピソードを話してくれた。「彼は、緊張しすぎて撮影に行きたくないとも言っていましたね。それと同時に、『燃えよドラゴン』が最後にアメリカに復讐するチャンスだからと言っていたので、さらに気合が入って緊張していたのでしょう」と、ブルース・リーの作品に対する想いが明らかとなった。
最後に、日本の観客へのメッセージとして、「香港では、今でも銅像が作られるほど、ブルース・リーの人気は全く消えてないです。日本はジャッキー・チェンのほうが人気ありますね。でも、ブルース・リーが原点なんです。日本も、彼のことを忘れないでほしい。それが私からの願いです」と締めくくった。
倉田保昭プロフィール
1971年、香港ショーブラザーズ社『悪客』で香港映画デビュー、一躍香港映画界でブルース・リーと並ぶスーパースターとなる。これまでの香港映画出演作品は100本を越え、ジャッキー・チェン、チョウ・ユンファ、ジェット・リー、ドニー・イェンなど香港を代表する俳優たちと共演している。日本では『闘え!ドラゴン』「Gメン'75」が代表作。2010年、香港映画デビュー40周年を迎え、名実共にアジア映画界を代表するアクションスターである。
(オフィシャル素材提供)
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