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2008-03-19 更新
アントン・コービン監督
配給:スタイルジャム
シネマライズにて公開中、全国順次ロードショー
(C)Nothsee Limited 2007
世界的に活躍するオランダ出身のポートレート・フォトグラファー&映像作家、アントン・コービンの初監督作品『コントロール』。ニュー・オーダーの前身である伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリスト、夭逝したイアン・カーティスの短くも激しい青春の日々を美しいモノクロームの映像で綴った本作のPRのため、監督が来日、記者会見ではイアンの思い出をたっぷりと語った。
ちょっと遅いランチ・タイムになるかと思いますが、私に会いにいらしてくださいましてありがとうございます。おそらくいろいろと質問していただけるでしょうし、私もおそらく何らかの答えは出来ると思います(笑)。私が初めて撮った映画『コントロール』がこうして日本で公開されるのは大変うれしいです。
おそらく皆さんは知っていてくださっていると思うが、私はもともと写真家として仕事をしており、その他にもステージ・デザイン、グラフィック・デザイン、さまざまなビデオの撮影もしてきたが、次に何をしてみたいかと思ったとき、それは映画の仕事だったんだ。それで数年前からいろいろな脚本を読ませていただいたが、どれもしっくりこなかった。でも、この『コントロール』の脚本に出合い、これならもしかしたら撮れるかもしれないと思ったんだ。
私はオランダ出身だが、以前にジョイ・ディヴィジョンの音楽を聴いてすごく感銘を受け、イギリスに移住しようと思ったくらい、彼らの音楽から大きな影響を受けていた。そしてイギリスに移ってから、実際にジョイ・ディヴィジョンと仕事をすることになったわけだが、イアン・カーティスともそこで初めて会ったんだ。その後、88年に再リリースされた曲「アトモスフィア」のビデオ撮影をするチャンスを頂いたということもあり、ビジュアル的にも感情的にも『コントロール』という映画に入り込めると思った。以前にこのような形で関わった経験があったことから、この映画を撮るのにもしかしたら自分は適任なのかもしれないという気持ちになれたので、監督をさせていただくことになったんだ。
そのほうが安いから、と思っている方たちは多いようだね(笑)。実際はそうではないんだ。ジョイ・ディヴィジョンのことを思い出すと、当時撮った写真は全てモノクロだったし、彼らの音楽もモノクロのイメージがあり、また、70年代後半のイギリスはグレーだったという印象もあったので、そうした理由から、この映画を創るにあたってはモノクロが一番ふさわしいと思ったんだ。
実際にイアンに会ったのは79年のことだった。そのとき初めてジョイ・ディヴィジョンの写真撮影をしたわけだが、撮影時間は10分間くらいで、私はまだ英語があまり話せなかったので、「そこに立ってください」くらいのことしか言えなかったんだ。ただ、その写真がジョイ・ディヴィジョンの音楽と共に大きな評判になったので、その後も彼らの写真を撮るために一緒に過ごす機会が結構あった。また、その数ヵ月後に「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」のビデオ撮影のため、マンチェスターに来てほしいと頼まれ、そこでイアンと再会した。彼はすごくナイスガイだったけど、ちょっとシャイでもあったね。会ったのはそのときが最後になってしまったが、彼はちょっと憂鬱そうで、疲れているのかなと思ったことを覚えている。もちろん、後になって、当時彼はたくさんの悩みを抱えていたことを知ることになったけどね。でも、その時もあまり会話はなくて、一日中撮影を行った後、バーで何かを飲んだくらいしか思い出はないんだ。僕も若い頃はちょっとシャイだったので。彼のことについては、奥さんだったデボラの本を読んでより良く知ることになった。目を開かせられたよ。映画を作る上で、本から多くの情報を得ることができたね。
まず、この作品はデボラ・カーティスの書いた本を映画化したものではない。本はあくまで貴重な情報源として使わせていただいた。彼女の視点ということだけではなく、イアンのことを知るには、本に書かれていたことが情報としてぜひとも必要だった。というのは、セカンド・アルバムがリリースされる前までは、イアン・カーティスのインタビュー映像などが残されていないからね。視覚的な情報は皆無だった。残っている映像はパフォーマンスをしているところだけで、彼が歩いているところ、あるいは話しているところのは無いんだよ。彼について多くのことを知る必要があったので、そういう意味ではデボラの本からの情報はとても役に立ったね。
この映画の中には、イアン・カーティスはもちろんのこと、デボラ、彼の愛人であったアニーク、ニュー・オーダーのメンバーたち、(ファクトリー・レコードの創設者)トニー・ウィルソン、イアンの母親や姉などが登場するが、彼らから情報を集めて、イアン・カーティスという人物を描く上で一貫性をもたせる必要があった。ただ、ニュー・オーダーの3人に話を聞くと、同じ出来事を質問しても、違った風に記憶していることが時々あったんだ。もちろん、かなり前の話ということもあるが、80年代は結構ドラッグが使用されていたので、そのせいもあったのかもしれない。だから、3人のうち2人が大体同じことを言えば、可能性は高いと考えることにした。
この映画のサウンド、モノクロームの映像、そしてエンディングを気に入っていただけたということで、すごくうれしいよ。とにかく、みんながこの映画を創り上げたいと望んでいたからね。幸運なことに、俳優を見つけるのは最も楽なことの一つだった。役にピッタリの素晴らしい役者たちを見つけることができて、本当に誇りに思っている。私にとって、俳優と仕事をするというのは新しい経験だったからね。
エンディングに関しては、ドラマティックではあったけど、かなり繊細な作品になったと思う。
私が好きな監督は、アンドレイ・タルコフスキー、ジャン=リュック・ゴダール、フェデリコ・フェリーニだ。ただ、今回はあえてそういった監督たちの作品を観ることは避けた。映画監督としてはまだ経験が少ないので、いろいろと作品を見てしまうとかえって影響を受けてしまうと思ったのであまり見ないようにしたんだが、1作だけ参考にしたのは、ケン・ローチの『ケス』だった。少年が主役なんだが、彼の演技が素晴らしく説得力があり、見ているとドキュメンタリー映画じゃないのかと思えてしまうくらいだったので、今回主演をしたサム・ライリーもそのように真実味のある演技をしてほしいと思ったんだ。
これは音楽映画ではないが、サウンドにはものすごく気を遣った。特にライブ・パフォーマンスはそうで、ミキシングは相当工夫を凝らしたね。サウンド・エフェクトと言ってもいいかもしれないが、ライブ・パフォーマンスとしてリアルなものにしたかったんだ。音楽映画ではないので、私はあくまで映画に対して純粋なアプローチをしたいと思った。音楽を入れないシーンも多かったが、最近の映画では珍しいことだね。音楽をたくさん使いたがるのは、もしかしたら内容に対して自信がないのか、音楽がいつも鳴っていないと不安なのかもしれない。
今回はあえて音楽をほとんど使わなかったが、個人的にはすごく気に入っているんだ。次回作もそうするかどうかは分からないが、少なくともこの映画に関してはとても効果的だったと思っている。というのは、いったん音楽がかかるや、それに注意を引きつけられるからね。
確かに、イアンの眼の色は明るいブルー、サム・ライリーはブラウンなので、当初はコンタクト・レンズも試してみたが、どうも違うと感じたんだ。実はもともと、映画自体に少し色を使うことも考えたんだが、それは止めにした。ただ、色を使うにせよ、彼の眼の色がブルーかブラウンかはそれほど重要じゃないとも思ったんだ。それより大切なのは、イアン・カーティスの感情面だったからね。
もしもピート・ドハーティの映画が創られるとして、彼の役をサム・ライリーが演じてくれたら、ピートにとってはかなりラッキーなことだろうなと思う。正直、ピート・ドハーティのことは関心がないが、彼の元ガールフレンド(ケイト・モス)のことは結構好きだったよ(笑)。ただ面白いことに、サム・ライリーの元ガールフレンドがピート・ドハーティと付き合っていたこともあるんだ。ガールフレンドのタイプはどうも一緒のようだね(笑)。
まず、彼は偉大な詩人だったと思う。だからこそ、今でも多くの方々がジョイ・ディヴィジョンの音楽を聴いているわけだし、映画も創られるのだろう。
プライベートでは、映画をご覧になっていただいてもお分かりになるように、彼は多少嫌なヤツでもあったと思うが、他方では人々の支えになろうとしている面もあった。彼は明らかに、自分自身をどうにかしたいとあがていた。だからこそ、この映画は『コントロール』というタイトルがふさわしいと思ったんだ。
デボラ・カーティスが今でもイアンのことを愛しているかどうかというのは、私が答えられることではない。ただ、彼はデボラを残して去ってしまい、彼女は別れの言葉を言う機会もなかったわけだから心残りではあるだろうね。ニュー・オーダーのメンバーがどう思っているのかも私は代弁できないが、彼らは若い頃一緒に素晴らしい音楽を創ってきたということが重要で、しかもその音楽が今でも聴かれているとなると、彼らにとってもイアンのことは忘れられるはずもないね。
イアンというのは、映画をご覧になってもお分かりになるように、すごく普通の生活を送っていた人だと思う。いわゆる人が想像するようなロック・スターの人生ではないね。彼は死ぬ前に2枚のアルバム(註:「アンノウン・プレジャーズ」「クローサー」)を作っただけだ。ジョイ・ディヴィジョンというと、今ではビッグ・バンドのように思われがちだが、実はそうではなかった。実際、私がオランダからイギリスに移って12日後に彼らと会って写真を撮らせてもらえたくらいだから、当時はそれほど近寄りがたい存在というわけではなかったんだ。そういう意味においてはビッグ・バンドじゃなかった。だから、イアン自身、平凡な、保守的とさえ言ってもいい環境でごく普通に暮らしていたんだよ。そんな中で彼はとても美しいものを生み出した。それは平凡な暮らしをしているあらゆる人々に希望を与えてくれることだと思うね。
確かに、カリスマ性のある人たちというのはいるものだ。だからこそ、彼らはしょっちゅうメディアでも取り上げられるんだろう。ただ私にとっては、被写体がどういう仕事をしてきているかが重要なんだ。私はこれまで、多くのロック・ミュージシャンの写真を撮ってきた。それだけでなく、素晴らしい仕事をしてきた方たち、例えばロバート・デ・ニーロ、マーティン・スコセッシ、イザベラ・ロッセリーニ、パヴァロッティ、マイルス・デイヴィス、画家の方たちなどの写真を撮る機会を与えていただいた。写真を撮るというのは、私が会いたいと思っていた方たちに会える素晴らしい口実になるね(笑)。
彼らの仕事にはいつも興味を引かれる。カリスマ性のある人もいれば、そうでもない人もいる。でも、私が魅了されるのはその人のカリスマ性というものではないんだ。最近ではメディアが、“カリスマ性”という言葉で、大した仕事もしていない人たちを持ち上げることがあるね。例えば、パリス・ヒルトンがそうだ。彼女がニュースに取り上げられるなんて信じられない。だって、私にとって彼女は何一つまともな仕事をしていない人だからね。私が興味を引かれるのは、その人がセレブかどうかではなく、どんな仕事をしているかなんだ。そういう意味でも、イアン・カーティスには興味を引かれた。
いない(笑)。U2のようなバンドに映画は必要ないよ。映画にするより、彼らが今活躍している姿を楽しむほうがいいと思う。U2とは26年間一緒に仕事をしてきたが、私に彼らのことを映画にする権利はないよ。あらためて映画で描きたいようなことはないんじゃないかな。彼らは今の姿が最高なのだから。それに、次回作は音楽とは全く関係がないフィクションなんだ。またミュージシャンの映画を作るなんて、間違ったことだと思う。それに、ミュージシャンたちの活躍を映像化するなら、映画より優れたドキュメンタリーのほうが本来はいいと考えているんだ。
日本には何度も来たことがあって、特に80年代~90年代の来日が多かったんだが、最後の来日は15年くらい前だった。U2に同行したのが最後だったね。私は日本食の大ファンなんだ。日本の美意識も好きだ。日本にいるのは素晴らしい経験だし、見るものがたくさんある。普通のお店に行っても色の使い方にセンスがあると思うし、地方のお寺なども美しい。
今回はスタイルジャムの方々のおかげで、日本の皆さんに私の作品を観ていただける機会をいただき、心からありがたく感じているんだ。できるだけこの映画を多くの方々に観ていただき、皆さんの心に残る映画であることを願うばかりだよ。ありがとうございました。
次々にホットなムーブメントが巻き起こった70~80年代のUK音楽シーンのただ中にいて、ミュージシャンたちの写真を撮り続けてきたアントン・コービン。UKロック好きなら必ず目にしたことがあるはずのレコード(CD)ジャケットやミュージック・ビデオ作品を数多く送り出してきたこの人だからこそ撮れたとも言えるこの映画。コアなジョイ・ディヴィジョン・ファンも間違いなく満足する一作だ。
(文・写真:Maori Matsuura)
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