このサイトをご覧になるには、Windows Media Playerが必要です。
Windows Media Playerをダウンロードする
2008-01-25 更新
吉永小百合、浅野忠信、檀れい、志田未来、佐藤未来、笑福亭鶴瓶、板東三津五郎、野上照代(原作)、山田洋次(監督)
配給:松竹
1月26日(土)より全国ロードショー
(C)2008「母べえ」製作委員会
山田洋次監督が、黒澤明作品の名スクリプターとしても知られる野上照代が自らの幼少期を描いたノンフィクションを映画化した『母べえ』が完成した。『母べえ』は、第二次世界大戦中の日本で、父親が特高警察に逮捕され残された母と2人の娘の苦労を描いた話題作。豪華なキャスト・スタッフもあり、公開前から大きな話題を呼んでいる。完成報告記者会見では、主演の吉永小百合をはじめ主要な出演者もそろい、本作への想いをそれぞれが熱く語った。
山田洋次:皆さん、こんにちは。去年の今頃はクランクインの準備で大わらわだったことを思い出します。1月にクランクインしたので、ちょうど1年経つわけです。『寅さん』シリーズは大変あわただしく、クランクインの2~3ヵ月後に封切りだったこともありました。製作期間が短いからといって粗末に作っているわけではないですが、今から60年前を舞台とする映画にはそれだけの準備の時間が必要だったわけです。あの時代を体験していただけたらいいなと思いながら作りました。間もなく封切りを迎えますが、感慨無量です。今日はどうもありがとうございました。
野上照代:原作というよりも、二十数年前に新聞に応募したつたない文章(ノンフィクション「父へのレクイエム」)が、こんな素晴らしい作品になるとは夢にも思いませんでしたが、今回、山田さんのおかげでようやく映画にすることが出来ました。本当に、映画の力はすごいなと思いますし、皆さんに感謝しています。この映画によって、今まで知らなかった父のことを初めて調べたり、あの時代の資料を読んだりしましたが、今頃になって“うちの親父はけっこう一生懸命だったんだな”と思っています。子供の頃には全然判りませんでしたが、この映画を観ると当時のことがよく判ります。皆さんもご覧になり、あの時代を感じていただけるとうれしいです。ありがとうございます。
吉永小百合:50年前のちょうど今頃、子役としてラジオドラマ(『赤胴鈴之助』)に出演してデビューしました。それからは、あっという間に50年が経ってしまいましたが、今回、山田監督の下で『母べえ』という素晴らしい作品に出演することができ、とても幸福です。出演者やスタッフの皆さんと、本当に力を合わせ、心を合わせて作った作品です。なるべく多くの方に観ていただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
浅野忠信:皆さん、今日はありがとうございます。僕は、この映画から本当にたくさんのことを学ぶことができました。現場ではスタッフの皆さんから家族のように接していただき、そういう中で役に対するヒントをたくさんいただくことができましたし、映画を通じて成長することができました。ですから、多くの方に観ていただきたいと思います。自分自身でも感動する作品です。
檀れい:本日はたくさんの方にお集まりいただき、本当にうれしく思います。ありがとうございます。この『母べえ』という作品を通じ、私自身も知らなかった昔の日本を知ることができました。出来上がった作品を観ると、静かに、でも力強く、祈りのようなメッセージがこめられています。どうぞよろしくお願いいたします。
志田未来:この映画に出演させていただき、改めて自分は自由で平和な時代に生まれてたのだなと実感しました。この映画を観て、こんな厳しい時代があったことをぜひ知っていただけたらなと思います。よろしくお願いいたします。
佐藤未来:頑張りましたので、観て下さい。よろしくお願いします。
笑福亭鶴瓶:この映画に参加させていただいて、ほんま良かったなと思います。三津五郎さんとは今日初めてお会いしましたが、他のメンバーとは現場でずっと一緒で、すごく楽しかったです。こんな作品に出ることができた喜びと、心から観ていただきたい作品なので、思いっきり広報活動をしていかないといけないと思います。いやいやではなく、出来る限りのことはしたいと思います。宣伝部長として頑張ります!
板東三津五郎:三津五郎でございます。山田監督とは、『武士の一分』に続いてとなりました。『武士の一分』で大変卑劣な男を演じている最中に、山田監督からこのお話を頂き、“僕のことをどう見ているのだろう?”と不思議に思いました。今回は、貧しいけれど高潔な精神の持ち主で、全く違うキャラクターでございます。とにかく、吉永さんの旦那さんという大変幸福な役回りなのですが、幸せなシーンは最初だけ。後はほとんど監獄の中、ひとりで辛い日々を送らせていただきました。私は歌舞伎役者で、ちんとんしゃんという家の生まれです。旧帝大出のドイツ文学者という、どこを探しても全く因子が見つからない設定だったことが心配でしたが、初号試写が終わった後で、原作者の野上照代さんから“素敵な父べえを演じてくれて、どうもありがとう”といわれたのが何よりの言葉でした。戦争中の話は、父や母やいろいろな方から聞いていますが、今回、映画の中とはいえ疑似体験をさせていただき、今の我々がどれだけ幸福なのか改めて痛感しました。ぜひご覧になっていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
吉永小百合:私自身は母親になったことがないので本当の意味では判りませんが、“今のお母さんたちは母べえのように子供を抱きしめることはあるのだろうか?”と、時々思います。たぶん、それほど多くはないと思います。子供も忙しいですし、お母さんが子供にかける時間も少なくなっているかもしれませんね。でも、この母べえの時代のお母さんたちは、本当に大変な時代の中で一生懸命働き、自分のことよりもまず子供のことを考えていたのだと思います。そういう想いが少しでも出せたら、ということでやらせていただきました。
吉永小百合:難しいですね。私も夫も間違ったことはしていないと思いますが(笑)。この父べえには、自分の意見をきちんと言った結果投獄されてしまうという本当に悲しい出来事がありました。でも、あの時代では大変だったと思いますが、それを表現できる力強さを家族が一生懸命信じて支えたということが、この映画のテーマだと思います。私自身が演じる時には、再び父べえと母べえのような時代にはならないことを願いながら演じたつもりです。
吉永小百合:台詞では、(浅野忠信演じる)山ちゃんが出征する時、山ちゃんにすがりながら「どうして、あなたが行かないといけないの?」という台詞が、すごく心に残っています。戦後60年を経てこの作品が生まれることは、野上さんの素晴らしい原作があり、山田監督がそれを選ばれて映画化を企画し実現したわけですが、その山田監督のチームに加わって仕事が出来たのは、すごく幸福というか、良かったと思います。
山田洋次:僕の少年時代には戦争を体験しているので、鮮明に当時の記憶があります。(吉永が演じた)野上佳代さんと同様、この時代の一般的なお母さん、普通の庶民のお母さんは、本当に忙しかった。だから、この原作をいただき、野上照代さんとお話をした際に、「あの頃のお母さんは大変だったのよね」とおっしゃる言い方には、とても共感できました。洗濯・縫い物・掃除といった日常の様々な家事、配給で食べるものがない時代でもやりくりして子供たちを食べさせないといけない。もちろん洗濯機も何もない時代ですから、家事がものすごく大変だったことに加えて、このお母さんは子供たちを食べさせないといけなかったわけです。実際に、野上照代さんのお母さんは小学校の代用教員をされて、安い給料で子供たちを食べさせた。そのことがどんなに大変だったかのか、今のお母さんたちにはちょっと想像できないのではないでしょうか? 僕もお袋のことを思い出すと、同じように思いますね。更に付け加えると、この時代には女性には選挙権がなかったわけですね。それから、姦通罪という非常に前近代的な罪状が日本の刑法にあった時代です。そういった時代があったことも、ちゃんと思い出していただきたいと思います。
山田洋次:この時代に撮られた写真やこの時代に作られた映画はたくさんありますから、そういうものを頼りにして衣装を作りました。今の生地は化学繊維で綺麗なので、例えば、浅野君が着ていたワイシャツも当時の質の悪い生地で作らないと感じが出ません。セーターは、全て手編みで作りました。しかも100人以上の子供たちにそういった衣装を着せないといけないので、日本では間に合いませんし高く付くので、中国に注文して作りました。中国の奥地まで行き、あえて質の悪い生地を買ってきて衣装を作ったり、そういうこともありました。
浅野忠信:いろいろなスタッフの方が支えてくれました。監督もいろいろなお話をすごく熱心に聞かせて下さいましたし、(自分が演じた)山ちゃんとは直接関係のない映画での役作りの話もさせていただきました。そういうところからもいろいろなものを得ることができ、非常に楽しい時間をすごさせていただきました。
浅野忠信:僕にとってはとても必要な厳しさだったので、“ああ、厳しいな!”といったようなことはなかったですね。
山田洋次:でもスクリーンやテレビを通じて、ずっと小百合さんを見ているわけですから、30年ぶりにばったり会ったわけではありません。“こんなに変わっちゃった!”といったことはありませんでしたし、一番良い部分は昔も今も全く変わらないなと思いました。それから、本当に年を感じさせない方だなと感じましたが、その点はこの映画にとってすごく都合の良いことだと思いました。
吉永小百合:『男はつらいよ』では2作に出させていただき、その後、また同じシリーズでというお話もいただいたのですが、スケジュールが合わずに出演することが出来ませんでした。でも、心のどこかで『男はつらいよ』の最終回には、何が何でも出演させていただこうと思っていました。ところが、渥美 清さんがあのようなかたちでお亡くなりになって駄目になってしまったので、とてもがっかりしました。
山田洋次:そんなことがあったの? 知らなかった。
吉永小百合:そうですか? 松竹の方にもお話ししていたのですが。
山田洋次:いや、驚きました!
吉永小百合:ですから、今回、『母べえ』で山田監督の作品に出演することはとてもうれしくて。ただ、先ほど、監督が“若さ”とおっしゃいましたが、この2人の子供たちのお母さんにしてはちょっと年を重ねすぎていることが、私にとってはとても心配だったで、監督に出演しますと申し上げる時に、「私のように年を重ねた者で良いのでしょうか?」と伺ったら、監督は「あの頃のお母さんは皆疲れていたんですよ」と。それで私はすぐ納得して、「じゃ、やります」と(笑)。すごく単純なので。
山田洋次:全然そんなことは覚えていない。びっくりしてしまいました。ねぇ、野上さん?
野上照代:でも、上手いことをおっしゃった。
吉永小百合:すごく私を納得させるお言葉でした。
檀れい:『武士の一分』の慎ましい武士の妻・加世と、今回の野上久子という現代的な女性の役の違いについては、自分の中では余り違和感はありませんでした。いろいろな役を演じていきたい気持ちがあったので、ある意味ではひとつの挑戦でもあり、監督の下でいろいろ勉強をさせていただいたと思っています。
浅野忠信:今までは山ちゃんのような役をやったことがなかったので、最初に監督にお会いした時、「今までやったことがないような役なのに、なぜ僕なのですが?」と聞いたら、「だから君なんだよ」と言われました。その時、「じゃ、ぜひ助けて下さい」と言ったのを覚えています。最初の頃はどうすればいいのか判りませんでしたが、監督と話をする内に、自分が全く気にかけていなかったことを教えてもらいました。例えば、ふだんからぼそぼそ喋ってしまうのですが、「やはり、きちっと発声してやってみよう」と言われた時に、そういった基本的なことが全く出来ていないことが判りました。すごく真剣にやることで、新しい可能性が広がりました。
志田未来:現場でお芝居をしていらっしゃる時には、表情ひとつで母べえの強さや優しさがすごく伝わってきて、すごい方だなと思いました。空き時間には吉永さんが紙風船を持ってきて遊んでくれましたし、休憩時間には一緒にご飯を食べました。
佐藤未来:母べえはやさしい母べえで、本当のお母さんみたいな母べえで、父べえも家族のやさしい父べえみたいな感じで、すごく優しい家族でした。
野上照代:私はあんなに可愛くなかったですよ。本当に未来ちゃんを見ていると、あんなに可愛いかったら良かったと思ったのですが。お母さんも、あんなに可愛くなかった。でも、映画はこういう方がいいですから。本当に未来ちゃんが自然で、そこが山田さんの上手いところですが、あんな子だったら良かったと思います。とても可愛い良い子で、良い家族になってありがたいと思います。
吉永小百合:あのシーンは4月の末に奄美大島で撮影しました。あちらは暖かいと聞いていましたが、なぜか水温が12度くらいでブルブル震えていました。山ちゃんは泳げないという設定ですが、浅野さん自身はすごく泳ぎが上手く溺れるふりも上手だったので、私も楽でした。
浅野忠信:今、吉永さんがおっしゃたようにすごく寒かったですね。水にずっとつかっていると、家族たちがどうしても波で流されてしまい、「もっと左!」「もっと右!」と言われている内にカチカチになり、非常に寒かった思い出があります。溺れるふりをしながら泳いでいたのですが、吉永さんがすごい勢いで泳いで助けに来てくれた時には、とても安心しました。体を任せて助けてもらえるのが、とてもうれしかったです(笑)。
笑福亭鶴瓶:現場では、吉永さんの母べえと子供2人と絡むシーンが多かったのですが、母べえが照べえを送る時に、2回ほど「鶴べえ(鶴瓶)!」と言われて……(笑)。ほんまですよ。浅野さんも知っていますが、ものすごくうれしかったです。楽しかったですね。
そういえば、ここで監督に聞きたいのですが、武田鉄矢さんに「あの監督には絞られるよ。絶対にお前はむちゃくちゃ言われるよ」と2時間ほど聞かされたのですが……(笑)。あいつ、よう喋りますからね。しかも、会う度に言われたんですが、全然怒られませんでした。ほとんど1回でOKでしたが、あきらめてはったんでしょうか? 逆に、怒られないと心配で、監督にも1回ぐらい「鶴べえ!」と言ってほしかった。どういうことですか?
山田洋次:まぁ、あの、そうねぇ、鉄矢君の場合は、あの映画(『幸福の黄色いハンカチ』)で演じるキャラクターとの間にちょっと開きがあったのかな? もちろん、全然別の人格になってほしいわけではないのだけれど、ちょっと開きがあってそれがなかなか埋められない感じがあったのと、彼は余分なことをいっぱいやるんですよ。鶴瓶さんは的確で余り余分なことをなさらないから、僕は安心していたんですよ。鉄矢君も、後半はどんどん良くなっていきましたからね。
板東三津五郎:初めてダイエットを経験しましたが、順番に撮っていただいたので、撮影が始まってから徐々に4キロぐらい減らすため、ほとんど野菜ばかり食べていました。ですから、皆さんが食堂でAランチ、Bランチという時に、僕はおひたしと冷や奴という感じでずっといました。実際に4キロぐらい体重が落ちた頃、現場で山田監督に「三津五郎さん、少し痩せたけれどどうしたの?」と聞かれてました(笑)。拘置所暮らしが2年間という設定ですから、痩せないわけにはいかないなと思い痩せました。
板東三津五郎:そんな厳しい要求はなかったですが……。
山田洋次:まぁ、でも、拘置所に入ってやつれは出るわけですから、そこのところがとても大変なんだけど……という話はしました。
板東三津五郎:それも、ただのキリストではなく、エル・グレコが描いたキリストです。メイク室には、ずっとエル・グレコのキリスト像の絵が貼ってあり、こういう風にならないといけないんだと思いながらやりました。
吉永小百合:いつも、2人の子供たちと尻取りをしたり、紙風船で遊んだり、照べえはけっこうクッキングが得意なので私の部屋に来て料理を作ったり、そんなことをして遊んでいました。山ちゃん(浅野忠信)がセットにいてくれると、私の分担がとても少なくなって助かりました。というのは、浅野さんはお子さんがいらっしゃると伺いましたが、お子さんに対してとても優しく、面倒を見てくれるので、母べえとしてはとても助かりました。そうやって、いつもセットで遊びながらコミュニケーションをとっていました。
山田洋次:今から67年前に、日本人だけでも二百何十万人、世界中では二千万人以上の人々が死ぬすさまじい戦争をしたにもかかわらず、その後も戦争はなくならない。どうして人間はもう少し賢くなれないのだろうか? そういう思いを多くの人類が持ちながら、戦争を続けているという悲しい時代だと思います。毎日のようにイラクやアフガニスタンで人が死んでいることについて、もっともっと僕たちは関心を持たないといけないのではないか? 罪のない人たちの死に、とばっちりを受けて死んでいく人たちの生活や人生について想いをはせてみることは大事ですし、イマジネーションを抱く力を持ってすれば戦争はなくなるはずです。そんなことをよく考えますし、同じような考えを持つ人はこの地球上にたくさんいるはずです。そういう意味で、この映画を作る時にも、罪がないのに死んでいった人たちのことを忘れずに撮ろうと思いました。何六十何年前と言えば大昔みたいでもありますが、何百万人もの人が死んだということは、その何倍もの悲劇が周囲にあったということですから、その頃の悲しい物語は幾ら語っても語り尽くせないのではないでしょうか? アメリカではベトナム戦争後にベトナム戦争についての映画がたくさん作られていますが、日本では戦争について語った映画が非常に少ない。それはなぜなのだろう? とずっと考えていました。僕は戦争の映画を作るつもりはない、お茶の間の映画を作るつもりでしたが、その向こうに戦争が見えるのがこの映画なんだなということが、出来上がってみて判ったような思いです。
吉永小百合:子供の頃に観た、そして映画界に入ってから観た松竹の大船の映画には、いつも温かいぬくもりのようなものがありました。家族の絆といったものを、青春映画に出演しながら羨ましく思っていました。それから長い年月が経ち、こういう形で昔の松竹の伝統を受け継いだような山田監督の、温かく悲しい作品に出演させていただいたことに喜びを持っています。公開に向けてとにかく懸命にキャンペーンをして、鶴瓶師匠の応援もありますし(笑)、頑張りたいと思っています。本当に皆様に応援していただきたいです。本日はありがとうございました。
名匠・山田洋次監督が描いた『武士の一分』に続く骨太の作品。その内容は、早くも今年のナンバーワンに上げる人もいるほどだ。そう遠くない過去にこの国で確かに存在した悲劇を、そして、今でも日本に隣接する国でさえ続いている悲劇を、ぜひスクリーンから体験してほしい。
(文・写真:Kei Hirai)
関連記事