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2007-11-08 更新
マット・デイモン
配給:東宝東和
11月10日(土)、日劇1ほか全国ロードショー
(C)2007 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
傑作スパイ・アクション<ジェイソン・ボーン>シリーズが、ついに完結! 世界を舞台に、孤独な闘いの中に投げ入れられながらも、自らの真実を追い求めて旅をするCIAの元暗殺者、ジェイソン・ボーン役で押しも押されぬ大スターとなったマット・デイモンが来日、記者会見では役柄への想いをたっぷりと語った。
皆さん、今日はいらしてくださってありがとうございます。今回が3度目の来日になります。毎回このシリーズを携えて来日しているわけですが、皆様が本当にいつも歓迎してくださり、今回もとても温かく迎えていただいています。皆さんからの質問を楽しみにしています。
とにかく、今は大きな満足感があるし、ほっとしている感じだ。毎回挑戦的で大変な撮影だったけど、今回が一番大変だった。実はこの作品、公開直前まで修正作業をやっていて、完成披露はプレスが初めて観る試写だったんだけど、それが公開1週間前のことだったんだ。だから、反応が良く分からないまま公開したという、非常にストレスフルな期間があったわけだけど、結果的には反応も良かったので僕もほっとしているところだよ。
アクション映画に関してはこれからも、脚本が良くて、一緒に仕事をしながらいろいろと学べる監督とだったら、ぜひやってみたいと思っている。
トレーニングは撮影に入る前からやっていた。実は撮影に入ったとき、娘が生後3ヵ月で、この撮影は時々オフの期間があったりして1年間ほど続いたんだけど、その間はとにかく娘の夜泣きでなかなか眠れないという状態だったんだ。で、あるとき、現場に行ったら監督に「どうしたんだ? ひどい顔をしてるな」と聞かれて、「実は、娘の夜泣きで一睡もできなかったんだ」と答えると、「そのくたびれた感じがジェイソン・ボーンにはピッタリだ。役に合ってるからそのままでいいよ」と言われちゃって(笑)。
僕の俳優人生においては、これが出世作となったことは確かだね。さまざまな選択ができるような立場になれたのも、この役のおかげだと思っている。だから、ジェイソン・ボーンには本当に感謝しているよ。それに、この映画に関わったチームの人たちは、今ではみんな僕の友達なんだ。三度も一緒に仕事をしたわけで、とても温かい関係を築くことができた。だから、僕のキャリアの中でも非常に重要なキャラクターだと言えるね。20代のときを代表するキャラクターは『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で演じたウィル・ハンティングだけど、ジェイソン・ボーンは30代で一番重要な役になったと思う。
武道をやっている方たちは何年も修行を続けているわけだから、僕が3本の映画をやったからといって、ものになっているとはとても言えないね。さまざまな技能を覚えはしたけど、世間で通用しないものが多いし(笑)。映画の場合は常にカメラを意識しなくてはいけないので、僕らはダンスの振り付けのようにカメラの前で動くんだ。だから、僕らがカメラの前でやったことは一般社会では使えないものがほとんどだよ。2作目のときも車が川に落ちて、僕がフランカ・ポテンテを車の中から救い出すシーンがあったけど、水の中でパニックを起こさないようにかなり練習したんだ。こういうのも、世間ではほとんど使う機会はないと思われる技能だね。それと、『リプリー』に出演したときに、ピアノで1曲だけ完璧に弾けるようになったんだけど、4ヵ月後には忘れてしまった。
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映画作りってそういうものだと思うよ。
ダニエル・クレイグとはカンヌ国際映画祭でお会いしたけど、彼は素晴らしい肉体を保っていたので、出来るだけ対決を避けたいと思うね(笑)。
この<ジェイソン・ボーン>シリーズは、世界中を旅できるというのもひとつの魅力なんだ。シリーズを通してグリーン・スクリーンは全く使っていないので、ロケーションに関しては一切造りものはないんだよね。観客もスクリーンを通して世界中を旅できるというメリットがある。それから、最初の監督ダグ・リーマンも、2と3の監督ポール・グリーングラスもインディーズ系の監督だけど、そういう監督をハリウッドのスタジオが雇ったわけで、常にインディーズ的な思考とハリウッド・スタジオ的な思考がぶつかり合っていた状態で作っていた。今回は3作目ということで、スタジオもいろいろな注文を出してくるのではという懸念があったので、出来る限り彼らから遠く、彼らがコントロールできないようなロケーションを選んだわけなんだ(笑)。タンジールのメディナという町など、ハリウッド・スタイルでは絶対撮れない場所で、ほとんどゲリラ撮影に近かったよ。ロンドンのウォータールー駅でもゲリラ・ユニットを組んだ。エキストラは 50人くらいで、あとは本当に通勤している人たちが写っている。それから、マンハッタンでカー・チェイスをするなんてクレイジーとしか言いようがないからこそ、最後のシーンに選んだんだ。ロケーションに関しては、そういう選び方だったね。
そうなんだ。ロンドンのウォータールー駅では撮影だと気づかない人たちが結構いて、「写真撮ってもいい?」と聞かれたり、サインを求められたりもしたね(笑)。
子供を持ってからは何もかもが怖くなってしまった。友人のお母さんがあるとき「いつも自分の心を守りながら生きてきたけど、子供ができた瞬間からその心は子供のことでいっぱいになってしまう」と言っていたんだけど、今はそれがよく理解できる。いろいろなことから子供を守らなければならないから、子を持つ親としての恐怖感を常に抱えているよ。
僕もかなり不器用なほうなので、どんなアドバイスができるか分からないな。でもこれが自然な僕自身だから仕方ないよ。今やっている仕事が自分に合っているのは、僕はよく転ぶんだけど、映画の場合は撮り直しがきくからね。いつも2~3テイクは撮っているよ。だから、不器用な方たちには「映画業界に入ったらどう?」というのが僕のアドバイスだね(笑)。
今回の作品は、撮影中も常に監督が脚本を直していたというか、ずっと書きながら撮っていったので、常にストレスはあったね。これは僕だけじゃなくて、スタッフ全員がそうだったけど。でも、このボーンというキャラクターには、そのストレスが良い意味で反映しているんじゃないかと思う。実はこのキャラクターの役作りのために、2作目のときにはわざとあまり睡眠をとらないようにしたんだけど、今回の場合は娘の夜泣きのおかげで起きているしかなかった状況で、ある意味、役作りには役立ったと言えるね。
確かに、ここ10年くらいはいろいろな所へ旅をしながら撮影するということがしょっちゅうだったので、それにすっかり慣れてしまって、どこにも行かないほうが集中できなかったりするくらいだ。今回は家族も一緒に現場に行っていたので、彼らを楽しませるということにいつも気を配っていて、特に9歳になる義理の娘がいるので、彼女をいかに楽しませるかを考えるのが大変だったね(笑)。最初の数ヵ月間は彼女の友達や従兄弟たちを現場に招待したりしたけど、最後のほうで撮り直しのために町から町を回っているときには大変だったよ。ロンドンでは子供が観られる芝居は全部観たし、水族館や動物園には何度も行ったね。
そうおっしゃってくださってうれしいよ。そういう演技は監督と話し合いながら作っていった。このキャラクターが僕にとって非常にチャレンジングだったのは、台詞があまりないという部分なんだ。すごくやり甲斐があったし、演じていて楽しくもあった。彼はどこから来てどこに向かって何をしようとしているのか、何を欲しているのかを常に把握して演技をしなくてはいけなかった。彼には常に何かがふりかかってくるわけで、いわば受け身のキャラクターだけど、グリーングラス監督は実に良く彼のことを理解していて、うまく作っていると思うね。
銃は所有していない。身近では以前、ルームメイトが所有していたけどね。このシリーズや『戦火の勇気』『ディパーテッド』での役作りのため、銃の使い方はものすごく練習したので使い方は知っているけど、家の中に持ち込みたいものではないね。
もしもポール・グリーングラス監督が何年も経ってから、「もう一回やらないか?」と声をかけてくれるとしたら、僕としてはやりたいという気持ちがある。監督も僕もまだ、ボーンというキャラクターを墓に埋葬して墓碑銘を書くというところまで心の準備は出来ていないんだ。たぶん、これが最後ではないなという思いがあって、5年先、10年先になったとしても、可能性をもたせておきたい。世の中の情勢で何か題材があって、これはボーンにやらせてみたいという気持ちになったときには始動できるようにしておきたいね。
30代後半になった今もなお、若々しい青年っぽさを保っているマット。本シリーズではタフな孤高の(元)殺しのエージェントをクールに演じている彼だが、娘たちのことを語っているときには、すっかり子煩悩なパパの顔になっているのが、なんとも微笑ましかった。現場の外では甲斐甲斐しく、義理の娘のお世話に励んでいたとは……(笑)。
(文・写真:Maori Matsuura)
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