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『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』来日記者会見

2007-09-30 更新

マリオン・コティヤール、オリヴィエ・ダアン監督

エディット・ピアフ~愛の讃歌~piaf 配給:ムービーアイ
© Maziller - Berrot

 時代を超え、国境を越えて、「愛の讃歌」など数々の名曲が今もなお、世界中で愛され続けているフランスの偉大なる歌姫エディット・ピアフ。愛に生き、愛を歌った彼女の47年の人生を綴った映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』の日本公開を前にして、ピアフを見事なまでに演じきって、フランス国内のみならず世界中でその演技が絶賛されているマリオン・コティヤールと、オリヴィエ・ダアン監督が揃って来日、記者会見に出席した。


まずはご挨拶をお願いいたします。

オリヴィエ・ダアン監督: 今回の来日は3~4回目で、毎回映画のプロモーションで来日している。ちょっと前には日本人のミュージシャンと仕事をした関係で来日したこともあるんだ。この『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』が日本の皆さんにどのように受け入れられるか、興味があるよ。気に入っていただけることを願っている。

マリオン・コティヤール: 来日は今回で2度目になるけど、プロモーションのための来日ということで、東京の街を散歩をしたり迷子になったりといった楽しみは、残念ながらまだ味わっていないの。ただ、取材を受けていてとても印象に残っているのは、海外のいろいろな国でインタビューを受けているけど、日本のジャーナリストの皆さんの質問が他の国とは少し違っていて、それは私にとってすごく楽しいことなのね。それから、日本の洗練された感性がとても気に入っているわ。


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監督、フランス本国のみならず、各国でヒットを記録していますが、そのことをどう感じていらっしゃいますか?

オリヴィエ・ダアン監督: 成功を収めたことには本当にうれしく思っているけど、同時に意外でもあった。というのは、脚本を書いたり撮影をしている間は、まさか自分がこの作品を携えて世界中でプロモーションするとは想像できなかったからね。


マリオンさん、あなたご自身とはとても思えないほどの変わりようでしたが、来年のアカデミー賞でノミネートされるのではないかという噂もあがっています。そのことについてはどう思っていらっしゃいますか?

マリオン・コティヤール: まずは、お褒めの言葉をいただいたことにお礼を申し上げるわ。アカデミー賞の候補とおっしゃられたことに関して何か申し上げるのはちょっと難しいのだけど、最初その話を聞いたときには、あまりに抽象的で人ごとのような感じがしたわ。でも、だんだんとそれが現実味を帯びてきたときに、ワクワクする気持ちを抑えきれなくなってきたというのが正直なところね。女優という仕事を始めた当時、まさか自分がそんなことになるなんて想像もしていなかったから。ただ、私はアメリカの俳優さんたちをとても尊敬しているので、そういう方たちと賞レースに臨めるとしたらとてもうれしいわね。


監督、エディット・ピアフという実在した大歌手を描くということで、現場はどんな雰囲気でしたか?

オリヴィエ・ダアン監督: 撮影時は、俳優陣はもちろんだけど、スタッフ全員が、このエディット・ピアフという大歌手に関する映画を作ることに全力を注いだんだ。全員の一体感が感じられる素晴らしい現場で、大きなエネルギーが生まれた。それは実際に作品を観ていただいたらお分かりになると思う。みんなが非常に集中して仕事をしていたからね。あまりにも一体感があってエネルギーに満ち溢れていたので、仕事をしていないような感じさえしたくらいだ。特にマリオンは、役の中に完全に入り込んでいたね。


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マリオンさんは、演じる上でどのように役作りをしていかれましたか?

マリオン・コティヤール: 実を言うと、エディット・ピアフの人生についてはこの映画に出演するまでほとんど知らなかったの。もちろん、フランス人としてはエディット・ピアフを知らずに生きることはできないくらい有名な方だし、その歌も知っていたけど、彼女の生涯については知らないも同然だった。だから私が彼女の人生を発見したのは、このシナリオを読んだときが最初だったの。その後は準備のためにいろいろな本を読んだし、インタビュー映像や映画を見て、少しずつエディット・ピアフの人生を発見していったわ。その中で、彼女に親密感を覚えることができたの。それはちょっと、説明するのは難しい感情なんだけど、それによって彼女の偉大さに対するプレッシャーはなくなった。もちろん、頭の中では、皆さんがエディット・ピアフに抱いている愛情や、彼女自身を裏切ってはいけないという思いはあったけど、彼女がアイコン的存在であるということ自体が私を不安にさせることは全くなかったの。


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監督、スタッフの間に一体感があったとおっしゃいましたが、撮影監督が日本人のテツオ・ナガタさんです。ナガタさんについてコメントをいただけますか?

オリヴィエ・ダアン監督: テツオ・ナガタさんについては、この作品の前から知り合いだったんだけど、初めて会ったときから一緒に仕事をしたいと願っていたので、今回ご一緒できたのは本当にうれしいことだった。この作品はエディット・ピアフというとてもフランス的な題材を扱っているわけだけど、フランス人以外に、日本人、チェコ人、イタリア人などさまざまな国籍の人がスタッフとして関わり、非常にフランス的な物語を共に作り上げていくという、その過程を見るのはとても興味深いことだった。
 ナガタさんに関しては、フランスが舞台でとてもフランス的な物語に、フランス人とは違った視点をもたらしてくれることを期待したんだ。それを別にしたら、国籍は問題ではなく、才能があるかどうか、世界観が共通しているかどうかということが重要だった。ナガタさんは間違いなく、素晴らしい撮影監督だよ。


マリオンさん、20歳代から40歳代までのエディット・ピアフを演じられたわけですが、どの時代の彼女の人生に惹かれましたか?

マリオン・コティヤール: 確かに、一人の女性のこれだけ長い期間の人生を演じるというのは、女優としては大きなチャンスだったわ。20代から40代のピアフを演じたわけで、同じ人物だけどそれぞれの時代で大きく違っていたので、それを演じ分けるチャンスを与えられたことはとてもありがたかった。演じる上で一番不安だったのは、40代だったわ。40代というのはまだ私が経験したことのない年代だし、しかも彼女は47歳でこの世を去ったんだけど、そのときにはさらに20歳くらい年上に見える容貌になっていたの。だから、そういう風に年をとった女性を演じる上で、私の知らないエディット・ピアフという女性の中にある途轍もないエネルギーを探りながら、自分の中でバランスを見つけていった感じだった。だから、40代のピアフを演じるのは本当に勉強になったわ。最初は不安だったけど、ある時点で“あぁ、こういう風にすればいいんだ”という自分なりの内面的な指標を見つけてからは、その不安は大きな喜びに変わったの。正直、演じるのが一番楽しい時代だったとは言えないけど、観客の皆さんに違和感を抱かせない演技をすることができたということもあって、今まで経験したことのない喜びを感じられたわ。だから、今回の撮影を思い返しても一番印象に残っているのは、40代のピアフを演じたことね。


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マリオンさん、映画を拝見して、エディット・ピアフが今ここにいるかのような印象を受けましたが、ピアフさんと似ていると思われた点、また、違っていると思われた点はありましたか?

マリオン・コティヤール: 似ているところは、自分の職業、自分の芸術に対する情熱が大きいということね。そして、見ている方たちと感動を共有したいという思いはとても強いと思うわ。おそらくは多くのアーティストがそう思っているでしょうけど、観客と感動を分かち合いたいという想いが、彼女と私の一番の共通点だったわ。違う点はたくさんあるんだけど、その中でも孤独に対する態度が一番違っていたかもしれない。私はそれほど孤独が怖くはないし、どちらかというと孤独を愛するほうなんだけど、エディット・ピアフは全く逆だったわ。孤独をひどく恐れて、独りにならないように絶えず気を遣っていたというところがあったと思うの。それに、芸術への情熱も非常に大きかったんだけど、それがしばしば度を超してしまい、自分の人生や健康を台無しにしてまで、ステージに立ちたい、歌い続けたい、それが出来なければ生きている理由がないと思いつめているような、とても一途なところがあったわね。もちろん、私も自分の職業に対する情熱は持っているし、女優を辞めたとしたらとても悲しくはあるけど、彼女ほど自分の存在理由を見失うということはないと思うし、この仕事のために自分の健康を損なうような破滅的な生き方は出来ないわ。そういう点は違うと思う。


zan

マリオンさん、監督は今回、ピアフさんとの酷似性を求めたということですが、彼女に似せることに苦労は感じられましたか?

マリオン・コティヤール: この撮影が始まった最初の数日間はそれほど難しい感じはしなかったんだけど、4日目あたりにはすでに40代のピアフを演じなくてはいけなかったの。それは1960年のシーンで、体が衰え、オレンジ色の髪の毛で年をとった姿を演じなければならなかった。だから、1週間くらいはなかなか演技の指標がつかめなくて試行錯誤したわ。でも、あまり深く考えず、“あ、いけそうだ”と思った瞬間は自然にやってきたのね。準備というのは十分にしておかなければいけないものだけど、実際に撮影現場に立ったときにはあまり考えすぎないで、体ごとぶつかっていくということが大切だと思うの。それがきちんと出来たので、本当に早い時期に、心配していた試行錯誤の時はすぐに喜びの瞬間に変わったわ。それが具体的にはいつだったかは覚えていないけど、“分かった! こうやればいいんだわ”と、この役を自分のものに出来たと感じたの。


ファクトリー・ティータイム

 フランス映画祭横浜で『世界でいちばん不運で幸せな私』が上映されたのに併せて来日した頃は、まだ愛らしい少女のような雰囲気をたたえていたマリオンだったが、エディット・ピアフというフランスを代表する歌手を見事なまでに演じきって、本国でも大きな評価を受けたばかりでなく、オスカー候補の噂になっているほど実力を発揮した今の彼女は、まだ若々しいながらに風格さえ感じさせるオーラを放っていた。この作品を経験したことで、今後は大女優への階梯を着実にものにしていくのだろう。

(取材・文・写真:Maori Matsuura)



(オフィシャル素材提供)



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