2007-08-29 更新
ジェローム・ボネル監督
ジェローム・ボネル監督
1977年生まれ。パリ第3大学映画科卒業。在学中に長編脚本『Le Bonheur des uns』が最優秀ジュニア脚本賞の最終選考に残っている。
99年に短編『Fidele』で監督デビューし、この作品から女優ナタリー・ブトゥフとのコラボレーションをスタート。その後2本の短編『Pour une fois』、『List rouge』を経て、2001年に『オルガのシニョン』で長編デビューを飾る。この作品は、家族の年代記の中に、愛や友情の物語を描き、最優秀ジュニア脚本賞にも選ばれた。02年にはシカゴ映画祭国際批評家連盟賞を受賞。
長編第2作にあたる本作は、05年のジャン・ヴィゴ賞に輝き、ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」に出品された。日本でも05年に横浜フランス映画祭に出品され、監督も来日している。
07年3月には、長編第3作の『J'attends quelqu'un』がフランスで公開され、「フランスで今もっとも繊細な作品を撮るジェローム・ボネル監督による傑作!」(ローリング・ストーン誌)などの賞賛を浴びている。こちらはエリック・カラヴァカ、エマニュエル・ドゥヴォス、ジャン=ピエール・ダルッサンらの出演による軽い恋愛喜劇になっている。
他人とうまくコミュニケーションが取れず、孤独の中にいた女性が、初めて優しい愛に出逢い、淡い幸福の瞬間を見出すまでを描いた『明るい瞳』。フランス映画界で次世代を担う若手監督として期待を集めているジェローム・ボネルが、本作の公開を前に来日。インタビューでは、自らが描く世界と同様に、どこか不器用で繊細な素顔を見せてくれた。
最初に申し上げるが、これは全く自伝的な映画ではないんだ。ストーリーを考えたとき、これはフィクションだ、僕とは全くかけ離れた人物を描くんだと思いながら書き始めたんだけど、映画が出来上がってみると確かに細かい部分では僕自身に似ているところがあるね。でも、それは無意識に出てきてしまったことだ。結果的に、主人公のファニーは僕ととても似ている人物になっているけど、僕は彼女のように病気ではないし、若い女性という設定に隠れて自分の一部を表現できたとは思っている。でも、僕は全くナルシストではないよ(笑)。俳優たちが好きだし、映画が好きなのも、できる限り自分自身を隠したいからだと思っている。
どういうふうに人間関係に対処しているかということに関しては、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、映画が僕を救ったと言えると思う。僕はとてもシャイな人間なので、他の人間の身体、顔を使い、映画を通して自分自身を表現しているんだ。だから、映画は本当に僕にとって理想的な表現方法なんだよ。
確かに、この脚本はナタリーのために、ナタリーを念頭に置いて書いた。そのほうが僕にとっては簡単だったということもあるし、今考えてみたら本当に、ナタリーがいなければこの映画は存在しなかっただろうね。あるいは、彼女でなかったら、全く違った映画になっていたと思う。
彼女とどのようにファニーを作り上げていったかというと、一緒に過ごす時間の中で映画やさまざまなことを語り合っていくうちに、感情的な連帯感・共犯意識のようなものが生まれてきたんだ。もちろん、それは他の俳優とも同じだけど、ナタリーとは特に親密な仲間意識があるね。彼女をどういうふうに見ているのかという、自分の視線についても気づかされた。それが結局は、撮影に入ったときの新しい発見であったり、驚きの源になるんだ。僕はどちらかというと役者に自由を与えるタイプの監督だ。ある意味監督というのは、彼らがどういうふうに僕らを驚かせてくれるか、新たな発見をさせてくれるかを目撃できる、最初の観客だと思っているよ。
欲求不満というのは、僕の中では他人との葛藤、自分との葛藤の表れだと思っている。そうした葛藤がなければフィクションは始まらないとも考えているんだ。そもそも、僕が映画を撮るときにとても興味があるテーマというのは、大勢の人が一緒にいながら、それぞれが孤独を抱えている、というものなんだ。この映画に登場する人々もみんな、それぞれ孤独を抱えている。それでも、どこかでは幸せを求めているんだ。だからこそ、現状に満足していない様子としてまずは表れているわけだ。“孤独”は常に興味があるテーマなので、今後の作品でも繰り返されると思うよ。
その質問に答えるのは難しいね。孤独と全く無関係という人はいないんじゃないかな。これまでの僕のどの作品にも常に孤独のテーマが表れていているけど、意識をしたわけではないんだ。それをテーマにして映画を作ろうと思ったことは一度もないんだけど、いつも知らず知らずのうちに色濃く出てしまう。だから、ちょっと答えにくいところはあるんだけど、強いて答えてみると、それは僕が登場人物に対して、あるいは彼らの人生に対してとても感傷的な視線を持っているからじゃないかと思う。ちょっとナイーヴに聞こえるかもしれないけど、そういう感情をこめた視線がなければ、人生の意味はどこにあるんだろうと思うくらいだ。
おとぎ話風にしようと狙ったわけではないんだ。ストーリーを書いているときにはそういう要素には全く気づいていなかった。僕はシナリオを執筆しているときにも撮影中にも何かを変えていくことは厭わないんだけど、そうした中で少しずつ童話に近いテーマが浮き彫りにされていったというのが正直なところだ。もちろん、そうしたことが自分の中で意識されてからは、これをもっと掘り下げない手はない、とても興味深いと思ったのでそうしたけど、シナリオの中にそういった要素があるということは後になって気づいたわけで、本当に無意識だったんだ。ただ、僕がいつも描く孤独だとか、幸せの追求、愛情、家族といったテーマは、実は童話ではおなじみなだし、誰もが自己投影がしやすいテーマだ。僕の第一作の『オルガのシニョン』でも三作目の『J'attends quelqu'un』でもやはり同じようなテーマがあり、少し童話的な雰囲気もある。でも、この『明るい瞳』ではそれが如実に表れているとは言えるね。なぜそうなったのかはよく分からないんだけど。
余談だけど、僕は子どもの頃、本当にたくさんの童話を読んだ。今も読み続けている。童話というのは僕にとって、尽きることのないイマジーネションの源なんだ。
僕は自分の経験を通して、コミュニケーションにおいて大事なのは身体だと思うようになった。言葉は嘘をつくけど、身体はどんな状況にあっても、いかなる場所においても絶対に嘘をつかない。それは世界中、どこでも同じなんじゃないかな。
会話のない芝居は、役者にとってはとても大変なことだったと思うね。オスカーを演じたラルス・ルドルフも、台詞は一つか二つしか無かったから。今回は順撮りだったので、ナタリーは前半のほうでファニーの人物造型がすでに出来ていたから、ドイツで撮影する頃には台詞が無くてもそんなに問題はなくて、むしろ台詞の無い演技をとても楽しんでくれていた。サンレント映画も意識していたようだ。サイレント映画の良さというのは、俳優が体を使った演技をしているということで、映画における演技の一番純粋なものを象徴していると思う。ラルスはナタリーと違って、後半に突然登場したので、彼女より大変そうだった。観客はもしかしたら、台詞が無いほうが演技がしやすいんじゃないかと思うかもしれないけど、実は反対なんだ。俳優は言葉があるとそれを隠れ蓑にも出来るけど、言葉が無いとカメラの前で自分というものをさらけ出さなければならない。そんな中で、ラルスは本当に勇気をふるって、画期的な演技を見せてくれたと思うよ。
演出については……、何と言ったらいいか良く分からないな。ただ、彼らが台詞の無い演技をするのを撮影しているのはとても気持ちが良かったよ。もちろん、お互いに信頼関係があったし、彼らが素晴らしい演技を見せてくれたからこそ、それを撮影するのがとても楽しかったんだ。
サイレント映画はもちろん好きだけど、全部というわけじゃなくて、チャップリンは特別な存在だ。子供の頃に映画を発見させてくれたのはチャップリンだし、彼の天性の才能には深く畏敬を抱いていて、今でも彼の映画は何度でも見ているよ。そもそも僕が何故それほどまでにチャップリンを好きかというと、子ども時代の記憶とつながっているからだと思う。子ども時代というのは僕にとって非常に大切なテーマだからね。
編集の段階で大変なのは構成をするということだ。というのは、僕のシナリオは第一部のフランス・パートと第二部のドイツ・パートというごくベーシックなものしかなくて、特に第一部のほうでちゃんとしたストーリー構成を見つけるのがとても難しかったんだ。シナリオどおりに編集していくと、僕の映画の場合大抵うまくいかない。それに加えて、編集の経験不足ということもある。もちろん僕一人で編集するのではなく、別に編集者もいるわけだけど、僕は毎日編集室に行って、さまざまな要求を出すんだ。役者には自由を与えるけど、編集者には与えないのが僕のやり方なんだよ(笑)。今回の場合も、他の作品の場合もそうだけど、何か事が起こってストーリーが進んでいくというよりも、人物が自ずと動かしていくのが僕の映画だ。だから、いっそう難しいんだよね。どの映画でも、何人かの人物が交差し合って、彼らが物語を紡ぎ出していくという感じなので、ある意味では選択の余地がすごくあるんだけど、一番良いものは一つしか無いわけだから、それを見つけるのが何よりも難しいんだ。
フランスでは特にタブーはないんだ。それに、フランスではある病に対して科学的な名称を与えて客観的に見るという傾向があるので、問題はなかった。ただ、僕自身は、そういう病理的な、あるいは医療的な視線があったわけではなく、もっと感傷的な目で彼女を見ていたんだけどね。そんなわけで、こういう人物をヒロインとすることには特に問題はなかったんだけど、資金調達には1年半ほどかかってしまった。結局ルネ・クライトマンというプロデューサーを見つけることができたけど、一番説得するのが難しかったのは、二部構成の二つの部分が全く違うトーンであるが故に、まるで2本の映画であるかのような印象を与えるので、その部分で二の足を踏まれたということはあったね。ヒロインが精神障害という部分が問題になったわけではないんだ。大体僕は、病気の部分を強調したつもりはなくて、孤独を抱えた人間として描いたつもりだしね。僕は個人的には、人間はみんな、どこか病気だと思っているから(笑)。
もちろん、映画を作る毎に監督は必然的に進歩し変わっていくものだ。だから、ジャン・ヴィゴ賞を受賞したこととかベルリン国際映画祭に出品したのはもちろん栄誉なことだけれど、そのことで自分が変わったというわけではないんだ。それぞれの作品が僕にとってはとてもパーソナルで、自分の心のうちをさらけ出すような作業だから、それを撮り終えた後では、その前と自分が全く同じ人間だということはあり得ないんだ。何らかの形で影響を受けて進化していると毎回感じている。そもそも変わらなければ意味がない。失敗したなと思うこと、あるいはここは良かったなと思うことをまた糧にして、次の作品に向かおうという気持ちが生まれるんだ。
映画を撮り終えたとき、映画は僕にとってプラスになるものだとはいつも感じるね。何らかの栄誉をいただいた結果、僕に対する他の方たちの見方が変わったかどうかというのは、正直良く分からない。ただ言えることは、そういう成果があったことによって自分自身を以前よりは少し受け入れやすくなったかもしれない。“僕はこれでいいのかもしれない”と思えるようになったということはあるね。
こんにちは、僕はジェローム・ボネルです。日本で僕の映画が公開されることをとてもうれしく思っています。僕は日本の文化や映画に深く敬意を抱いているので、本当に光栄です。だから、今日本に居られることにすごく興奮しています。映画を気に入っていただければうれしいです。
自らも言うように、とてもとてもシャイで、壊れそうなくらい繊細な男性だ。自身の美貌を一瞬たりとも意識していないのがよく分かる。監督の映画の中で一貫して表現される“孤独”は、まさにこの人の心の風景であることだろう。インタビューの後、独りきりで自然の中を散策する姿を見て、心が震えるような思いがした。こんなに繊細な人はめったにいるものじゃない。
夜はフレンチ・レストランで、監督を囲んでのささやかなディナーが催された。ワインを飲んで、相変わらずシャイなままながら、ちょっぴり陽気になった監督。プレゼントされた半被を着(せられ)て、扇子を手に(もたせられ)、恥ずかしそうな笑顔を浮かべて写真に納まる姿に、またもや胸がキュン! “この人は私が助けてあげなきゃ”と思わず勘違いさせられるくらい、無性に世話を焼きたくなってしまうタイプ。罪なお方だ。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
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