2007-08-23 更新
セドリック・カーン監督
セドリック・カーン監督
1966年6月17日、パリ生まれ。
21歳のとき、フィルム編集のヤン・デデのアシスタントとして働き始め、モーリス・ピアラ監督の『悪魔の陽の下に』の撮影に携わった。
89年、ビデオで撮影した初の短編作品“Nadir”を発表した後、翌年に短編“Les Dernieres Heures du Millenaire”を発表、同年、ブリジット・ルーアン監督の“Outremer”の脚本、93年には、ローランス・フェレイラ・バルボッサ監督の『おせっかいな天使』の脚本脚本を手がけた。
93年、“Bar des rails”で長編監督デビュー。この作品は16歳の少年と隣家の若い主婦の恋愛を描き、その瑞々しい演出が批評家に注目され、ヴェネチア国際映画祭批評家週間に出品される。また新人俳優たちを使った長編2作目の“Trop de Bonheur”(94)はジャン・ヴィゴ賞を獲得した。96年には、フランス・ドイツ共同テレビ制作番組の“Culpabilite Zero”を監督し、ストラスブール国立演劇学校の生徒を出演させている。
一つのカテゴリーにあてはめられることを避けるように、幅広い演出能力を見せ、98年には、アルベルト・モラヴィア原作の『倦怠』を発表。シャルル・ベルリング扮するストレスの溜まった哲学教授が若い女の肉体に取り憑かれ壊れていく一方で、淡々とただセックスだけに情熱を傾ける女との奇妙な関係を描き、ルイ・デリュック賞を受賞。またモントリオール世界映画祭のアメリカ・グランプリにもノミネートされた。2001年には、実在したイタリアの連続殺人犯ロベルト・スッコのノンフィクションをもとに衝撃作『ロベルト・スッコ』を発表し、カンヌ国際映画祭のコンペティションに出品された。
04年にはジョルジュ・シムノン原作のスリラー“Feux Rouges”で、アルコール依存の夫と妻との間の諍いからミステリアスな展開を繰り広げた。この作品は、ベルリン映画祭コンペティションに出品され、インディペンデント・スピリット・アワードの最優秀外国語映画賞にもノミネートされた。
05年の本作『チャーリーとパパの飛行機』を発表したのち、最新作はスノッブなパリの女性と臆病な男の恋愛を描いたコメディ“Les Ambitieux”(06)。
ベルギー生まれのコミックからヒントを得て、『倦怠』『ロベルト・スッコ』で日本でも知られる鬼才セドリック・カーン監督が、子どもたちとかつて子どもだった大人たちに向けて贈るピュアなファンタジー『チャーリーとパパの飛行機』。幼い少年とおもちゃの飛行機をめぐる、愛と夢にあふれた心温まる物語という、“生涯に1本しか作らないタイプの映画”にあえて挑戦した監督に、フランス映画祭2007で来日した際に話を聞いた。
確かに、原作コミックはティーンエイジャー向けなので、映画よりも暴力的なんだけど、僕はこの作品をもっと小さな子どもに向けて作りたかったんだ。だから、原作より倫理的だしファンタジー色の強いものになっている。原作から頂いたのは、父親が息子に飛行機のおもちゃを与え、父親の死によってそれが驚くべきものに変化するというアイデアの部分のみだね。
そう、それも同じ理由からだ。原作では戦うためのおもちゃだが、この映画では平和をイメージさせたルックスにしている。真っ白で無垢で、平和的な印象になっていると思う。ただ、この映画でも暴力的なシーンはあるんだけどね。
今回は、原作から自由に発想させてもらったと言える。とにかく僕は、子どもたちのために子どもが活躍する映画が作りたかったんだ。正直言うと、このコミックに特別な思い入れがあったわけじゃない。ただ、そこにあるテーマに惹かれたんだ。
ああ、(原作の絵を担当している)マグダは理解してくれたよ。僕の自由な解釈を、何の問題もなく全て受け入れてくれた。気に入ってくれたかどうかは分からないけどね(笑)。とにかく、反対はされなかった。
このコミックはマグダが絵、ドゥニ・ラピエールが原作を担当していて、ドゥニのほうは確かに脚本家として参加してもらった。脚本に関しては、実は長い話がある。聞きたい(笑)?
実はこの映画の話を受けたときには、すでに出来上がった脚本があったんだ。原作者のドゥニと女性の脚本家(ラファエル・ヴァルブリュンヌ)が2人で書いたもので、それを見せていただいたとき、アイデアもテーマも面白いと思ったけど、脚本自体はあまり気に入らなかった。だから、自分と共に、別の2人の脚本家(イスマエル・フェルーキ、ジル・マルシャン)にも参加してもらい、全部書き直しをした。書き直しには1年以上かかったよ。そんなわけで、脚本家として5人の名前がクレジットされているんだ。
そうだね。大当たりしたというわけじゃないけど、コミック・ファンには人気があるよ。そもそもこれはフランスのコミックじゃなく、ベルギーのコミックなんだ。ベルギーではすごく読まれている。
良い質問だね。「Charly」というタイトルでも良かったんだけど、この物語の要になる存在というのは飛行機だと思うんだよね。飛行機を軸にして、子どもとお父さんの物語があるわけで、この飛行機は自立した、生きている存在とも言える。だから、「L'Avion」をタイトルに選んだんだ。
これもまた、長い話がある(笑)。大勢の子どもたちをオーディションしたんだけど、ちゃんと演技の出来る子どもを見つけるのは本当に困難なことだった。でも、ロメオにはこの主人公を演じられるだけの資質があったんだよ。僕は7歳くらいの子どもを探すことにこだわった。演技や脚本のことがより良く理解できるという意味では9~10歳の子のほうが良いんだけどね。彼は7歳だったけど脚本を良く理解できたし、お母さん役のイザベル・カレともすごく気が合った。ロメオ自身、ちょっとミステリアスなところのある子でもあったね。何を考えているのか、時々分からないときがあったりして。そこにも惹かれたんだ。
まだ小さかった彼にとって、撮影は信じられないような経験だったはずだよ。3週間も家族と離れていたし、子どもにとっては一種の冒険だよね。
もちろんだよ。映画を撮っているという意識はあっただろうし、架空の物語だということも分かっていた。ただ、子どもの頭の中を想像するのは難しいね(笑)。彼はあまりおしゃべりな子ではなかったんだ。少なくとも、一つひとつのシーンを撮っていかなければいけないということはちゃんと認識していて、ワン・シーンに対して3~4テイク撮った。お父さんが死んだことが分かるような難しいシーンもあったんだけど、そうした場面でも十分に感情を表現してくれたね。カメラがあってプロジェクターがあって、常に40人もの人々に取り囲まれているんだ。映画の現場にいるということを忘れるのは難しいよ(笑)。
確かに遊びみたいではあるけど、現実の遊びとはまた違うよね。
すごく複雑だった。あらゆる瞬間に気を配る必要があったからね。全て子どもに合わせてオーガナイズしなければいけなかった。時間は大丈夫か、疲れていないか、お腹は空いていないか、子どもにとって複雑すぎるシーンじゃないか等々、常にいろいろなことを気にかけたよ。子どもたちを中心に考えて、大人たちのシーンは一日の終わりの時間帯に撮るようにしたし。その他の秘訣としては、早撮りをするということだったね。子どもたちが入る前に撮影現場は準備万端にして、来たら即撮る。彼らが飽きずに、楽しみながら自然に演じられるように心がけた。
そう。彼女自身、もともと優しく気遣いのできる女性だからね。一方で、自分自身をしっかり持っている人でもある。子どもたちにとって一番良くないのは、大人たちが恐怖心を与えることで、そんなことをされたら彼らはすぐに心を閉ざしてしまう。でも、イザベルはとても寛容で、シンプルに仕事の出来る人だったので、本当に良かったよ。
これまでの映画は特殊効果を使うような機会がなかったからね(笑)。すごく面白かった。夢中になったよ。子どもたちとの撮影は出来るだけ早い仕事を求められたし、自然に任せる部分が大きかったけど、特殊効果はそれとは正反対で、あらかじめ完璧に準備する必要があったし、ものすごく時間がかかり、精密さが求められた。だから、一日の始まりは子どもたち、終わりは特殊効果と格闘する日々だった(笑)。その間に大人たちを相手にしたわけだ(笑)。
手を焼いたということはなかったけど、いろいろな矛盾があったし、不都合な部分も結構あったから、それらを全て受け入れつつ柔軟に対応していく必要があった。ただ、目的が明確だったし、何かが起きても原因が分からないということはなく、常に解決法は見えていたから、大変なことはなかったよ。
ひとりで動いているときはそうだね。じっとしているときは必要なかった(笑)。お父さんからプレゼントとしてもらったときは問題なかったけど、動き出すようになったら特殊効果の出番だ(笑)。
特殊効果にも2種類あって、棹の先に飛行機をつけて動かしながら撮っているシーンもあって、それは編集のときに棒の部分を消したんだ。あともう一つは、飛行機なしで撮っている。編集のときに特殊効果で飛行機を加えた。いずれにせよ、その位置を確認できるように棹につけた飛行機は使ったけど。時には飛行機なしで、僕が役者たちに飛行機が今どこにいるのか、詳細に説明しながら撮影したね。「飛行機がこれこれのことをしている。気をつけて! 飛行機が家の中に戻ってくる」……という具合にね。僕の言葉に従いながら演じてもらったんだ。
そう。撮影は田舎で、森の中でも撮ったので、照明を調整するのはすごく複雑なことだったからね。昼の光で夜を撮ったほうがずっと簡単だ。子どもたちが出ているわけだし。明るい月の出た夜という画になったね。
確かにそうだった。彼は脚本を読んで、そこからイメージして作曲するんだ。僕は送ってもらった音楽に合わせる形で編集していった。すごく満足できたね。僕はどちらかというと、映像を見ながら作曲された音楽よりも、自由なインスピレーションを働かせて作ってもらい、それに合わせて映像を編集するほうが好きなので。映像を見ながら音楽を作ってもらうと、あまりに映像に合いすぎてしまうんだよね。もちろん、編集後にはまた編曲してもらうけど。だから、これは映像と音楽が互いに影響し合うというようなやり方だね。
彼は映画音楽の偉大な作曲家だ。フランスでは大変有名な方なんだ。日本でも知られている?
え、そうなの? あのドイツ映画の? あの音楽を作ったのは彼なの? 本当に? 知らなかった……(笑)。
この映画は僕にとって、あくまで例外的なものだ。生涯に1本しか作らないタイプの映画だよ(笑)。実は、僕には3人の子どもがいて、この映画は彼らも観られるようにと思って作ったんだ。というのはある日、息子にこう聞かれたんだよ。「どうして僕はパパの映画を観てはいけないの?」って(笑)。
実は僕の最初の2本はオリジナル脚本の映画(93年『Bar des Rails』、94年『Trop de Bonheur』)なんだけど、日本では公開されていない。『倦怠』は僕の映画で初めて日本公開された作品だけど、これはアルベルト・モラヴィアの有名な小説を映画化した。『ロベルト・スッコ』はジャーナリストのパスカル・フロマンのルポルタージュ、『Feu Rouges』はジョルジュ・シムノンの小説、そして今作はコミックを原作にして映画化したものだ。でも、次回作はオリジナル脚本のものを撮る予定なんだ。
それを語るのはまだ早すぎるね。次回ということで(笑)。次回日本に来たときに。その映画と一緒にまた来日できたらいいけど。『Feu Rouges』も日本では公開されていないよね? 実は『Feu Rouges』もフランス映画祭に招待されていたんだけど、まだ撮影が終わっていなかったので叶わなかったんだ。アルコール中毒の男が主人公のスリラーだよ。
『チャーリーとパパの飛行機』の監督、セドリック・カーンです。来日は3回目になりますが、東京に来られて本当にうれしいです。日本で僕の映画『チャーリーとパパの飛行機』が公開されることを誇りに思っています。これまでとは全く違った作品ですが、気に入っていただけたらうれしいです。日本に来て、自分の映画について話が出来るのは本当に誇らしいことです。
セドリック・カーンの映画といえば、監督にも言ったが、見ていて心がキリキリ追いつめられていくような作品だったりするわけで、それが今回の映画では[カーン]印が全くと言って良いほど……無い! 「どうして僕はパパの映画を観てはいけないの?」という息子さんの一言はかくも大きかったようだ(大人になってから、パパの他の映画を観たときの息子さんの驚きはいかに)。観ながら思わず童心にかえってしまう本作、爽やかな秋の始まりに子どもさんと一緒に観られる映画としてお勧めだ。
(取材・文・写真:Maori Matsuura)
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