2022-07-23 更新
森田朋依
沖縄本土復帰50年記念、ドキュメンタリーと再現ドラマで描く『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』の公開を前に、唯一ドキュメンタリー・パートとドラマ・パートの両方に出演した森田朋依のオフィシャルインタビューが到着した。
それまで私は沖縄戦についてほぼ知らなく、特に知ろうとしていなかったです。多くの方がそうだと思います。そんな方たちに沖縄戦、戦争の恐ろしさを知ってもらえる作品にしたいと思いました。
戦争の話だからといって初めから全て怖いこと、間違ったことと思いこまずに、話してくださることを素直に聞こうと思いました。
本は知識としては入ってきますが、楽しかったこと、大変だったことを目の前でお話ししていただいて、沖縄戦は教科書の1ページではなく、生身の人間が体験したのだと身に染みました。時には少女のようなお顔だったのが印象的でした。
また、きくさんや豊さんが77年前のことなのに細かく覚えていることにびっくりしました。それだけ深く心に刻まれた経験なのだと思いました。
富士子さんのお話を聞いて、戦後生まれでも間接的に苦しんでいる方もたくさんいることを知りました。慰霊の日前後は両親がうつ状態で、戦前優しかったという親戚のおじさんはいつもお酒を飲んで怒っている。そんな家族の姿を見てどれだけ辛かったかが伝わってきました。戦争の後の心のケアがどれだけ大事か分かりました。
ドキュメンタリーの取材で行った八重瀬の病院壕跡を思い出しました。約2ヵ月あそこで毎日働いた白梅学徒の方々のお話や資料で特に印象深かったシーンがピックアップされていると思いました。
30分では短いですが、その限られた時間でどうやったら伝えられるかを考えました。
名前は違いましたが、(中山)きくさんがモデルです。しっかり者で優しいきくさんをイメージしました。
今回上原友子を演じるに当たって念頭に置いたことは、「お国のために」と強く信じる気持ちです。きくさんに初めてお会いした時、「野戦病院に行くのは怖くなかったんですか?」と聞きました。「その時はそれが当たり前。お国のために行けるのが誇らしかった」とおっしゃっていました。豊さんも家族の反対を押し切ってまで向かいました。一番軍事教育の影響を受けていた10代の子たちは純粋にそれが正しいと信じていました。だからお国のためならどんな辛いことでも我慢して頑張れたのです。その気持ちを忘れないよう演じようと思いました。
松村監督からは、「森田さんが沖縄で取材をして感じた通りに演じてください」と言われました。
他の出演者に戦争体験者からお話を聞いたことがある方がいませんでした。率直に「沖縄はどうでしたか?」と聞かれたのできくさんや豊さん、富士子さんのお話で感じたことや、何も言われなかったら観光地の鍾乳洞にしか見えない病院壕跡のことをお伝えしました。
ドラマ・パートは大雪が降った次の日からの撮影だったのですが、私たちは半袖のもんぺに上履き姿……。足の感覚はなくなり、凍えそうでした。そんななか、ロケ地の方々が温かい汁物や甘酒を差し入れてくれたのが嬉しかったです。
「恐ろしい沖縄戦」というだけでなく、沖縄の温かさ、明るさも出ていると思いました。去年末までの私みたいに沖縄戦についてないも知らない方々でも観やすいと思います。
きくさんや豊さんのお話の後のドラマ・パートです。思い描いていた学生生活とはまったく異なってしまった彼女たちの青春時代を観てください。
沖縄戦のことをほとんど知らなかった聞き手の“森田朋依”と一緒に少しずつ白梅学徒のことを知っていく映画になっています。戦争ものだからといって身構える必要はありません。戦争は恐ろしいものですが、そんな中彼女たちは希望を持ちながら生きていたのです。感じ方は人それぞれですが、知ることが大事です。どうか彼女たちの体験を知ってください!
(オフィシャル素材提供)
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