2022-09-19 更新
横浜流星、江口洋介、小泉徳宏監督
公開を1ヵ月前に控えた9月18日(日)、映画『線は、僕を描く』のロケ地となった立命館大学で公開記念イベントを実施。本作キャストである霜介役の横浜流星、西濱役の江口洋介、そして小泉徳宏監督が登場した。
br />京都と滋賀でのオールロケとなった本作。撮影当時の思い出や、京都・滋賀の印象について聞かれると、本作の主人公・水墨画の世界に魅了され、その才能を開花させていく青年・青山霜介を演じた横浜流星は「空気が澄んでいて癒されましたし、ロケ地からパワーを頂けました。今日ここに入ってきて、“僕、そこで水墨画描いてたな”といろいろな記憶がよみがえってきました。本当に良い場所だった記憶があります」と撮影振りに立命館大学へ訪れた喜びをコメント。その霜介を温かく見守る、湖山(三浦友和)の一番弟子・西濱を演じた江口洋介は「最初、ロケ地を鎌倉にするという話もあったんですけど、滋賀になりました。京都で降りてレンタカーで滋賀まで1時間半。そこからまたロケ場所まで1時間ほどかけて、琵琶湖のほとりへ行きました。僕が印象に残っているのは近江商人の屋敷で撮影したんですけど、庭や建物の大きさ、そのスケールが凄くて、こういうところで昔の人たちは暮らしていたんだ、とイメージが湧きました。本当に滋賀があってのこの映画という印象ですね」と滋賀での撮影を振り返ると、本作の監督をつとめた小泉徳宏は「滋賀で6割くらい、京都で4割くらいの撮影をしました。京都はここ立命館大学や結婚式場で撮影させてもらいました。滋賀はロケーションとしては珍しいと思われる方も多いと思うのですが、本当に撮影しやすいんです。京都のような雰囲気も出せるし、どこでもない日本のような景色といった撮り方もできる。京都はもちろん、どこを撮っても京都の雰囲気が出る。滋賀は両方の雰囲気が出せるというのが、撮影する側としては嬉しいですね」と監督目線でのロケ地の魅力をコメント。1年前の撮影の思い出を振り返った。
また今回、イベント会場となったのは立命館大学。大学でのイベントということで、小泉監督が学生時代に映画監督を目指した理由について聞かれると「学生の時に一度国語の授業で学生映画を撮るという機会があったのがきっかけです。それが非常に面白くて、自分で作るというのを経験したときに、“こうやって作っているのか! だったらこうしたらもっとあのドラマ・映画のようになるんじゃないかな”と工夫し始めて、そこから、もっとこうすれば……もっとこうすれば……の繰り返しで気がついたら今になります。その途中で、大学生の時に映画監督のワークショップに参加して、そこで初めて本物の映画監督に会ったんです。“本当に(映画監督って)いるんだ!”と思ったときに同時に、もしかしたら自分もなれるんじゃないか……と勘違いしたんですよね(笑)。明確に意識したのはその時ですね」と学生時代を振り返りながら、その当時の思いを振り返った。
そして本作は、悲しい過去を背負った主人公・霜介の「喪失と再生の物語」でもある。映画の中でも、三浦友和演じる湖山や江口洋介演じる西濱が、霜介や千瑛(清原果耶)を素敵な言葉で励ますシーンも印象的だが、霜介と同じように困難なことに立ち向かわなければいけない時、新しいことにチャレンジする時に、どのように乗り越えていくかを聞かれると、横浜は「まず僕らの仕事は、挑戦していかなければいけない仕事ですし、そこで立ち止まっていることのほうが一番怖いので、失敗とか何があるんだろうという不安は怖いですが、それよりも立ち止まっていることが怖いので、一歩踏み出してみて、そこで失敗したら次成功すればいいし、その失敗は自分の経験にも成長にもなるので、そうやっていっぱい失敗して、進んでいけたらいいなと常に思っています。作品作りに関しては、簡単な仕事ではないですが、観てくださる方々が待っていると思うと、頑張れますよね。この作品が僕らだけのものではなくて皆に届けられると思うと、どんどん(やる気が)みなぎってくるので、辛さはないですね」。
江口は「いつの間にか時間が経って今ここにいるという感覚が正直なところです。俳優になろうと思ってすぐなれるわけではなく、テレビも出て俳優をやりながらも、“俺って俳優と言えるのかな”と思う時期も10年位続きましたね。どんどん新しい役をやっていく中で、自分が変わっていき、気づいたら自分のことを俳優と言えるようになりました。かなり長い時間をかけてきたなと思います。この映画の中でも好きな台詞があって、流星くん(霜介)がある過去を抱えて影がある役なのですが、何かを見つけようとする霜介に、僕が演じる西濱が“人は何かになろうとするじゃなくて変わっていくんだよ”という言葉をかけるんです。原作にもあるその言葉がすごく印象的でした。常に模索していくというか、過去にこだわらず前しか見ないで行くという感覚でやってきたという感じですね」とコメント。
さらに、俳優や監督として最初の一歩を踏み出したときに怖くなかったか、その「最初の一歩」を踏み出す時のモチベーションについて聞かれると、監督は「監督になろうと決めたときは楽観的でしたね。無謀な考えでしたが、いざデビュー作の話が来た時は恐怖でしたね。それまででずっと監督になろうとして、そためにいろいろなことをやってきたのですが、いざ決まった時はとても怖かったです。その怖さを克服するには、怖くなくなるまで練習するしかない。やれることを全部やってダメだったら仕方ない、と思えるまで頑張る。というモチベーションでやり切りました」と、映画監督になる決心をした当時の苦悩を語った。
横浜は、「自分はありがたいことにスカウトされる機会を頂いたので、最初は好奇心が強かったですね。その当時はどちらかというと空手のほうをメインにしていたし、自分はいずれ格闘家になるんだと思ってました。でも高校2年生の時に戦隊もののオーディションに受かって、1年間芝居を学ぶ場を頂け、そこで芝居が楽しいなと思いました。そして高校3年生のときに大学進学するか、格闘家の道にいくか、芝居の道を選ぶか迷ったのですが、自分が一番楽しいと思えるのが芝居でした。やはり怖さはありますけど、戦隊ものが終わってからも、それこそ『ちはやふる』のオーディションを受けましたが、落とされ(笑)、半年くらい仕事がなかったんですよね。あれ、楽しいと思って決心してこの仕事で生きていくぞ!と決めて、半年間仕事がなかったときは、どうしよう……と思いました。でも先程監督がおっしゃっていたように、そこに怖さがあっても自分がやるべきことをやっていこうと思い、ワークショップに通ったり、いろいろなインプットをしたりした結果、いろいろな機会を頂けて、今ここにいます。腐らなくてよかったです、あの時」と、俳優として本格的に動き出した当時の難しさや思い出を赤裸々に振り返った。
江口は、「やっぱり現場に行って仕事を頂いたのに出来ないんですよね。でもそこには、芝居が出来ている先輩がいっぱいがいる。ちょっとくらい演技の練習をしてもすぐにできないんですね。その時には時間があったので、殺陣の練習をしたり、馬に乗ったり、ダンスの練習や発生の練習をしたり……何年間かそういう練習をしてきたのですが、“やっぱり向いてないかな”と、少し俺は腐ってたのかもしれないです(笑)。ちょっと無理かななんて思う時期もあったのですが、新しい仕事をもらって演技をすると、またちょっとチャレンジしてみたいなと思わせてくれる。面白い世界なんですよね。大変なんですけど、一つ作品が出来上がると次のことに頭が動き始めて。その繰り返しで、少しずつ自分のことを勇気づけていったという感じですね。そこまでやり続けてきたから今があるという感じなんですね」とコメントした。さらに江口は、「ちょっと勘違いするのもいいですよね。いけるかもしれない!と。今はすぐにネットで凄い才能をもった人がでてくるから、それを見て諦めちゃう気がするんですが、俺たちの時は何もなかったから、それがよかったのかもしれないですね。人と比べないのは大変だと思うけど、自分がどのように時間を使っていくかを考えていくのが一番幸せかなと思っています。自分と向き合っていくと時間が大切なんだろうな、と思いますね」と集まった人々へ向けての応援メッセージとも受け取れる熱い言葉や思いを披露した。
そして、公開を楽しみに待つファンに向け横浜は、「僕が完成した作品を観たときは、水墨画の素晴らしさを存分に伝えられるなと思いました。自分も触れてこなかったので、水墨画の魅力ってどんなものだろうと思っていたのですが、監督の演出もあってエンターテインメントとして素晴らしいものとなりました。そして作品を観ると、まわりの人への感謝の気持ちを伝えたくなりましたし、自分と向き合うことの大切さやあたらしいことへチャレンジする人へ背中を押してくれるような作品になっています。ぜひ楽しみにしていてください」とメッセージを送った。
イベントの最後には、約100名の観客と共に、劇中シーンを彷彿とさせるフォトセッションを実施。本作の水墨画監修を担当した小林東雲が描いた水墨画を手に持ち、温かい空気の中、イベントは終了した。
(オフィシャル素材提供)
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