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『英雄の証明』現役高校生への特別授業

2022-03-13 更新

堀 潤(ジャーナリスト)

英雄の証明ahero ©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production ARTE France Cinema
シンカ
4月1日(金) Bunkamura ル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテにて公開

 マスコミに「英雄」と大々的に取り上げられ、その後SNSで広まった噂によって状況が一変する事態に陥いる主人公の姿を描く『英雄の証明』を通して、ジャーナリストの堀 潤が、東京都西高等学校の現役高校生21人とソーシャルメディア、マスコミ報道のあり方についてディスカッションを行った。


 事前に映画を鑑賞した生徒たちに堀は「僕は12年間NHKにいました。もっと自由に公平中立に世の中の情勢を伝えたいなと常に思っています。メディアで取り上げるニュースは、いつもそういうわけではないですよね。多様なニュースを世の中に広めるために、もっと皆さんと一緒に考えていきたいので、ぜひ今日は力や知恵を貸してください」と自身の経歴を交えて挨拶し、本作の感想を聞かれると「淡々と今の社会情勢を伝えているなと感じました。翻弄されている周囲の人々、主人公がいい時は近づいてきて、悪い時は離れていく、本当にこのリアルな社会の在り方を監督が伝えようとしていると感じました」と語った。

 続いて、堀が大学で学んでいたプロバガンダについて説明。「人々の心の中にあるメッセージを、知らず知らずのうちに一つの方向に誘導する。これは戦争の時はすごく利用されています。自分たちは“正義”で、相手が“悪”なんだと思い込ませるためにいろいろな方法をとる。映画も音楽も使う。今だったらSNSも使う。人々の心をいかに揺さぶって自分の思い通りにするのかなんです」と話し、「今はSNSがあります。本作の中でも主人公が“金貨を返した”と聞くと良い人と思われ、しかし違う情報で“本当は返していないんじゃないか”という噂が広がると急にそれを疑いはじめる。でもそれは人間の本当の姿を描いていると思います」と、メディアによって拡散された主人公のささやかな善行が、SNSで広まったある噂をきっかけに疑惑に変わるという本作で描かれている人間の心理を語る。

 生徒から「主人公の息子が吃音症なのに矢面に立たされて状況を説明させられたり、チャリティ協会の方に、主人公の婚約者が主人公の名誉のために“そういうことにしておいて下さい”と頼んだら承認されて、その後SNSで発信されるというシーンがありました。事実は事実なんですが、演出が入っているとも言えます。そういう演出が入った事実とどう向き合っていくべきなのかということを、この映画で考えさせられました」と、本作の感想を言われると、堀はとても感激した様子で、「本当にそうですね。僕も同感です。そういう社会のあり方をどうやって変えていけるかなと思いながら、日々取材をしています。人々はこういった複雑で淡々とした事実よりも、感動するとか、もしくは納得がいくというストーリーに引き寄せられていく」と、情報の広がりかたで人々の感情が変わっていくと話し、「事実じゃなくてもそこに重きを置かれていない場合もある。こんなに怖いことはないですよね」と立ち止まって考えていくことが大事だと語る。


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 「僕は事実を時間をかけて伝える必要があると思ってテレビ局をやめたんです。ニュース番組は時間が決まっているから、全部のニュースを伝えることができない。だから見てもらうために過激なストーリーを作ることが目的となってしまう。どういうシーンが一番共感を得るのかと考えるようになってしまう。だから被災地に行くと涙を流している人にたくさんのカメラが集まってしまうんです」と、知らず知らずのうちに備わってしまっている固定観念の罠を自覚することが大事なことだと忠告し、今のマスコミの情報の伝え方に言及する。


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 さらに、「取材でいろいろな現場を訪ね歩いてみると、そこに100人いれば、100通りのものの見方や考え方ある。だからどこかだけを切り取って、これが正しい、これを選択しようというのは非常に偏ったことだと思います。個々の参加が必要なのです。今までのメディアの時代とSNSのある時代の大きな違いは、その参加ということです。SNSなら個人も参加できる。そうなった時に初めて伝える側も、自分が見ているのは非常に偏った世界観だったのかもしれないと考えると思います」と語り、「怖いから、面倒臭いから、対立したくないから自分で声をあげるのを諦めてしまう。もし誰かが言ったことに反対していても、やっぱり大変そうだからと何も言わず黙ってしまう。沈黙してしまうことは大きな声を出しているほうの人に加担していることです。沈黙していたら民主主義が終わってしまう。民主主義の話の時に“権利”の話がよく出てくる。“自由”を主張するなど。でも“責任”という言葉はあまり出てこない。“自由”と一緒に“責任”についても考えなくてはいけない。また一方で頑張って声をあげている人もいるんですよね。そう思うと、僕も『違うと思います』と意見を言わないことは無責任だと思っています。そういう人を支えるのも民主主義の参加の仕方のひとつです。いろいろな立場で語れば、みんな違う意見がある。間違っていることもある。でも、『私はこうです』と言って、大きな圧力にみんなで対抗していくべきだと思う」と、今の情報化社会でどのように振る舞うべきかのアドバイスをもって、本日のイベントは終了した。



(オフィシャル素材提供)



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