2007-08-04 更新
デイヴィッド・リンチ監督
デイヴィッド・リンチ監督
1946年1月20日生まれ。モンタナ州ミズーリ出身。
幼い頃から画家を志し、高校卒業後、ボストン美術館付属美術学校に入学。中退してヨーロッパへ留学するがわずか15日で帰国し、フィラデルフィアのペンシルバニア・アカデミーに入った。そこで制作したアニメーションの短編を認められ、AFI(American Film Institute)の奨学金で34分の16ミリ『グランドマザー』を監督する。
70年にロサンゼルスに移り、AFIの援助を得て72年から5年がかりでモノクローム作品『イレイザーヘッド』(77)を完成させた。この作品がカルト的人気を集めて高く評価され、メル・ブルックスが『エレファントマン』(80)の監督に起用。アカデミー賞®8部門ノミネートとなり、世界的に大ヒットして、一躍脚光を浴びた。
その後『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』の監督オファーを断り、途中降板したアレハンドロ・ホドロフスキーに代わって大作『デューン/砂の惑星』(84)を3年半かけて映画化し、俳優としても出演。
90年に監督した『ワイルド・アット・ハート』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。TVシリーズでは、日本でも一大ブームを引き起こした「ツイン・ピークス」(89~91)で驚異的な人気を誇り、後に映画『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』(92)を監督した。
『ロスト・ハイウェイ』(96)など不条理で異様な世界を描き、常に観客の注目を集めるが、1999年には小さな新聞記事から着想を得たハートウォーミングな感動作『ストレイト・ストーリー』で世間を驚かせ、主演のリチャード・ファンズワースはアカデミー賞®の主演男優賞にノミネートされた。
そして、ナオミ・ワッツとローラ・ハリングを起用した『マルホランド・ドライブ』では、2001年カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞、アカデミー賞®の最優秀監督賞にノミネートされ、世界中の映画祭で絶賛されるとともに、世界的な大ヒットとなった。
初長編映画『イレイザーヘッド』から30周年となる2007年、究極のリンチ・ワールド『インランド・エンパイア』が日本解禁! 現実と映画がその境界を失い、観る者を夢の中へと引き込むような映像の魔術、映画的言語を存分に駆使した本作について、デイヴィッド・リンチが大いに語った。
<インタビュー1>
もちろん、完璧なまでに道理にかなった映画のはずだよ。
いや、むしろ印象だ。断片をどう組み合わせるかによって知的な満足感を得るものと、それを印象として捉える作品があるが、この映画は印象のほうだ。
どんな映画も観客を未知の領域に誘ってくれるものだ。だから観る者は、直観力を駆使することを恐れてはいけない。とにかく感じ続けること。内にある知識を信じることだね。シネマはかくも美しい言語だ。あなた方には言葉の才能があるだろう。しかしシネマは言葉を超えたものだ。シネマと音楽は似ていて、美しく知的な旅が出来るものなんだ。言葉なしに語りかける。素晴らしい……。だから、映画を観ることで違う世界を開き、ぜひ体験してほしいと思うんだ。
何を見ても心の中で何かが起こるものだね。でも、映画の場合は観たものだけを信用しないで何故か内容を理解したがるものだ。表面的なストーリーであれ何であれ。でも私たちは、より多くを理解する可能性を持っている。本当は、全てを理解しているかもしれないが、それを言葉にするのが難しいのかもしれない。言葉にできなくても内面では理解しているはずだ。人間は自分で思っているよりも多くのことを理解しているものなんだよ。人に話したりするときに、自分が思っているよりもたくさんのことを理解しているのに気づいたりすることがあるだろう。でも観客のために自分の作品をいじくり回すようなことをしたら、作品は台無しになる。私は、自分のやりたいようにやるだけだ。その先は分からないが……。それは覚悟しなければならない。とにかく自分のアイデアに忠実にやるだけだね。
映画監督にとっては、自分の作品がきちんと意味をなすことが大切だ。自分にとって完璧に意味をなし、受け容れることが一番大切なんだよ。その一方で、観た人にさまざまな解釈が生まれることは覚悟しなければならない。人生と同じだよ。一つの物事に対して、人それぞれ様々な考え方があるということだ。
実は、順番は全くでたらめに撮ったんだ。最初は一体どのシーンを撮っているのかも分からなかったくらいだ。そのように不可思議な方法でこの映画の撮影を進めたんだよ。私の映画の作り方は現在の科学と原理は同じで、まずは発見をし、その存在証明をし、そこで一体化する。そこでみんなの心も結ばれるんだ。一つのアイデアがもう一つのアイデアと結びつき、最初は私自身さえ当惑させてしまうんだが、オリジナルの脚本というものはこのような方法で生み出されていくのだと思っている。最初にアイデアが浮かび、3分の2ほど撮ったところでまた新たな展開が生まれていく。そして、半分撮り終わったところでまた新たなアイデアが生み出されていく……。そしてある日、このすべてが一体化し、結びつき、ストーリーが生まれていくんだ。それはとても抽象的なストーリーかもしれないし、表向きには完結しているストーリーかもしれない。本来は脚本を書くときにそういう過程を辿るものなのかもしれない。しかし、私はあえてこのプロセスを撮影の中に持ち込んでみた。先ほど述べたように、私自身が一体どの方向にストーリーが向かっていくのかが分からないままシーンを撮っていったんだ。そして少しずつ進めていくうちに、私の中でも秘密が明かされていくわけだよ。
言葉で説明できたらいいとは思うが、映画は説明を受け付けないものなんだ。映画が主役であり、言葉ではないから。
ストーリーはとても大切だ。ただストーリーやその構造には表現者によって違いがあるというだけだよ。ストーリーを決めるのはアイデアだが、今回の映画はストレートなストーリーではなく、むしろ抽象的なストーリーで、これもアイデアが決めたことなんだ。
同じシーンでも声の調子や強弱が違ったりするが、それはまるで音楽のようなものなんだ。何を語るかも大事だが、どう語るかもまた大事なことだ。個々に独自の感覚があるが、私は私の感覚を用いる。俳優たちは、素早くそれをキャッチしてくれた。彼らには、ジェスチャーや短い言葉で意思の伝達をしていたんだ。それはただ一つの正しい道を、歩みながら正すという感じだった。そこにたどり着いてようやく最後に気づくようなやり方だ。
撮影が中断したこともあったし、数ヵ月撮り続けることもあったので大変だったかもしれないね。それに俳優たちは、自分たちがどういう役を演じているのか、出来上がるまで分からなかったかもしれない。しかし、私は常に俳優たちの役のことが頭にあったし、脚本として描いたアイデアも多くあった。撮影の後半、終り近くなった頃には、お互いに分かり合えるようになっていたから、そのまま続けて撮り続けていったんだ。
自分で上映される映画館を見たり、オーナーと知り合ったりすることでよりコントロールが可能だし、試行錯誤が可能なんだ。最初の週末の(数字的な)プレッシャーもないし、アクションを起こしたら、そのリアクションを確認して、別の方法や可能性がないか探したり、自分で多くが学べる。以前ように他人に任せてしまう方法とは違って、失うものがないんだ。
ローラ・ダーンほど、ひとつの映画作品の中でこれほど美しく変化してくれて多くの素晴らしい瞬間を生み出してくれる人はいないと私は思っている。彼女は圧倒的に素晴らしい。彼女との仕事は最高だった。僕が2回以上起用した役者は、自分の分身か、ミューズのいずれかだ。今回の映画も近所に越して来たローラと道で会い、何か一緒にやりたいねと話したことがきっかけで始まったんだ。
彼に英国訛りがあることや、そもそも彼のことをよく知っていて、今回の役とマッチしたからだ。彼の全体像から、このキャラクターをうまく演じることができるだろうと確信したからだよ。
ダンサーが踊るクラブでたまたま私たちが撮影中だったところへ、奈江が出演中の役者に会いに来たんだ。彼女が日本人の女優で、とても演技力があると聞いていたので、あのシーンを着想したとき、彼女を思い出し連絡先を探したんだよ。奈江はビューティフルな演技をしてくれた。台詞を完璧にこなしたし、あのシーンでの話し方、演技を私はとても気に入っている。
一連の俳優やカメラの人たち(註:リンチ監督は独自に“カメラ映像ギャング”と呼んでいる)など映像関係者にポーランドの映画祭で会い、親しくなったんだ。そして再度訪問したときに、ポーランドで撮影できないか打診した。すぐには決まらなかったが、いろいろなやりとりがあった後、シーンを書きロケ地を見つけたんだ。ワルシャワやそのほかの都市で、役者を見つけ、シーンの脚本が翻訳され、その晩には撮影していたよ。
みんな素晴らしい人たちだったと思う。ポーランドで、ピーター・ルーカスと知り合ったが、朝食のときふと彼をローラ・ダーンの役の夫役に起用したらどうかと思いついたんだ。撮影は、ロサンゼルスで始めたが、とても素晴らしい仕事ぶりだった。他にも、チャーリーとクリストフという2人のいい役者がいた。彼らについてはとても満足していて、映画祭に行って以来ポーランドには5~6回も行っているんだ。
それは説明はできない。
ナオミ・ワッツ、ローラ・ダーン、スコット・コフィーだ。
ないね。普通の夢を見るよ。でも白昼夢を見るのは好きだね。それは空想という意味だが。
フィルムでもいろいろなことが可能になったが、非常に時間と金がかかってしまう。デジタルの場合は時間が短く、コストも削減でき、どんなアイデアでも実現可能なんだ。映像、特殊効果など、全てを可能にしてくれるたくさんの機能やツールがあるので、デジタルはとても良いと思っている。またフィルムでの撮影では多くのクルーが必要だし、セッティングに時間がかかりすぎる。デジタルの場合は時間がかからないので、現場のムードが変わらないうちにどんどん撮影を進めていけるんだ。
今回はソニーのPD150を使用したが、本物と同じイメージを再現できるのはもちろんのこと、モニター画面上でカラー修正できることが素晴らしいね。すべての色を処理することが出来るんだ。画面を2等分して、2種類の処理をして比較したり。今は、従来よりも多くの操作が更に可能になった。自分の思いのままに操作して、映像を見てから色を修正することもすぐに出来るのだから、フィルムに比べて操作性が抜群だ。音楽はもはや全てデジタルなのだから、映像もそうなるだろうね。私は今後はデジタルでしか撮らない。アルケミストという解像度を上げるボックスがあるが、高い精度が得られるので、もうフィルムに戻る気はないんだ。
「Ghost of Love」と「Walking In the Sky」を歌っているが、私は歌手ではないので、電子的にかなり処理をしているんだよ。音楽は大好きで、自分のスタジオを作り、実験的な用途に使っている。そうやって映画をミックスダウンすることは非常に重要だ。映画のサウンドとは、映像と音楽が一体となって動き続けるというもので、両者は結婚していると言えるほど重要な関係なんだ。この映画の中でも様々なサウンドが使われているが、それぞれの瞬間にとってそれぞれのサウンドがとても重要だ。サウンドがどのように導入され、作用し、去っていくか。これは全部アイデアに基づいている。今後は吹き替えというスタイルはなくなっていくだろうね。吹き替えは映画の魅力を損なうものだ。字幕とサウンドトラックが連動していけば、非常に美しい作品になるはずなんだ。
創造性やアイデアがうまく流れにのり、喜びやエネルギーが大きくなることは、創造のプロセスにおいて非常に重要で、人間の心にとってとても良いことだ。人間があらゆるポジティブな状態になるとき、自分の中に訪問できる場所がある。それは、マインド、知性を通じて超越した経験、境界線のない限りなく純粋で幸福な意識だ。誰の中にも存在する統一された場所だよ。この場所を経験することにより、幸福な意識を活性化させて育てていく。その意識、幸福感、知性が集合することにより、憂鬱、悲しみ、不安、ストレス、恐怖などネガティブな心境が徐々に退いていくんだ。そのテクニックを使えば苦しみは取り除かれ、世界を変えることも可能になる。ネガティブな心境は人の創造性を破壊するからね。超越的瞑想法を学べる場所を作りたいと思っているんだ。
もちろん絵はまだ描いているし大好きだ。映画を通して絵画が好きになったんだよ。映画が生命を救うことはないが、映画は最高の娯楽だ。違う世界へ行くことができるし、新しい発見が出来る。そして美しい作品を作ることができるんだ。
たくさんいる。イングマール・ベルイマン、フェデリコ・フェリーニ、アルフレッド・ヒッチコック、スタンリー・キューブリック、ジャック・タチ……。それにビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』は特に好きだね。あの世界の全ててが大好きなんだよ。今すぐにも訪ねたいほど。
たくさんいるが、特に好きなのはフランシス・ベーコンとエドワード・ホッパーだ。
映画祭は映画を祝福してくれる場であると私は考えている。特にヴェネチア国際映画祭のように過去に素晴らしい作品を上映した歴史を持つ映画祭はとても重要だと考えているんだ。だから私は、こんな素晴らしい賞をいただいてとても誇りに思っている。でも不思議な気分だね。昨日まで19歳の気分でいたのに、“そうか、私もこんな賞をもらう年になったのか”ということに気がついたので。
<インタビュー2>
そうだな、それはつまり、映画の中でそうした状態を取り入れることに我々が慣れていないからだ。そうする必要があっても、確信が持てないからじゃないかな。ただ、これは私がいつも言っていることだが、人は自分が思っている以上に物事を理解しているものだ。ちゃんと分かっているんだよ。それに抽象的なことを言葉にするのは難しいものだ。多くの場合、議論の余地なく直感的に分かるのであって、言葉は後からついてくる。心の内側で起こっていることと、それは似ているかもしれない。
確かにそうだね。人生は謎と抽象に満ちている。私たちはいわば、探偵のようなものだ。常に観察し、物事の意味を理解しようとしている。休むことなくね。そして時には何らかの手がかりを得て、全体が見えてくることもあるんだ。
そう、彼らとはポーランドのウーチで開催されているカメライメージ映画祭で出会った。この町は私にとって美しい場所なんだ。醜い町だと言う人たちもいるが、少なくとも私にとっては美しい。夏はそうじゃないが、冬は美しいんだよ。冬の灯り、建物や古い工場、インテリア、そうしたものは私に夢を見させてくれる。出会いがあれば別の出会いも生まれるもので、こうして私はポーランドの俳優たちとも出会い、この町でシーンを撮影するアイデアを得るようになったんだ。
私は役者たちが大好きだ。奥深く隠れているものに現実味を与えてくれる存在だからね。この映画のアイデアは、これは本物だと思える方向にボールが転がっていくようにして始まった。根本にあるアイデアを常に念頭に置きながらね。
役者と仕事をするときには、彼らとよく話をしリハーサルをする。アイデアが示すのと同じ道を彼らが辿れるように話をするんだ。我々全員が同じ道を辿れるようにね。たとえるなら、私たちは未知の町に向かって1本の道を長いことかけて、歩んでいるようなものだ。やがて私たちは、霧のはざまから町の姿をとらえられるようになるが、出発した頃はまだそれが全く見えていないんだ。
(オフィシャル素材提供)
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