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『リング・ワンダリング』
トークイベント

2022-02-25 更新

宮台真司(社会学者)×金子雅和監督

リング・ワンダリングringwandering ©2021 リング・ワンダリング製作委員会
ムービー・アクト・プロジェクト
渋谷シアター・イメージフォーラムにて大ヒット公開中、ほか全国順次公開!

 渋谷シアター・イメージフォーラムにて大ヒット公開中の金子雅和監督の最新作『リング・ワンダリング』のトークイベントが2月23日(水・祝)の映画上映後に実施され、社会学者の宮台真司氏と金子雅和監督が登壇した。


ここではないどこかへ、今ではないいつかへ、連れ出され解放される

 金子監督の初長編で「白鹿様」と呼ばれる鹿を駆除するために追う男の苦悩を描いた『アルビノの木』も好きだという宮台氏は、監督第二作目『リング・ワンダリング』の印象を聞かれ「前作はストーリーというよりもモチーフを重視しているので、分からない人には分からないだろうと思った。今回は相対的なモチーフに加えて、SFやホラーのようなジャンル的な色彩があり多くの人に受け入れられると思ったが、これだけお客さんが来ているのを見るとそうなんだろうと思った」と満席の会場を見渡し、前作と比較しながら感想を述べた。

 金子監督が「『リング・ワンダリング』というタイトルもあり、円環する構造なので、もう一度観たくなるようで、リピーターが非常に多いですね」と伝えると、宮台氏は「タイム・ループものはオンライン・ゲームでも流行っていて、人気のあるモチーフだと思う。それは人を連れ出す力があるから。それが大事なポイント。ここではないどこか、今ではないいつか。つまり、ループものが示唆するのは、今は単なる今ではない。ここからここではないどこかへ出かけるように、今から今ではないいつかに出かける、そういう誘いがある。人々は連れ出されて解放される。連れ出されるためには、“世の中つまんねえな”と思っていることが大事。そういう人は連れ出されやすい」と分析。


ここはどういう場所なんだ?という問題意識

 さらに、東京の地中に埋もれた記憶が重要な題材となっている本作と関連させて、宮台氏は今いる場所がどういう土地であったかという意識が人々にどのように生じてきたかを論じる。「ピクミンブルームという、ポケモンGOのような位置情報ゲームがあるんです。例えば、アウシュヴィッツでそのゲームをやると、その場所が時間の蓄積で成り立っているということが浮かび上がる。あと、2000年代半ば、中沢新一さんの『アースダイバー』という本が、古地図ブームとシンクロする形で出てきた。あるいは、セカイカメラ(2014年終了)というスマートフォン・アプリ。カメラをかざすとその土地に関わるタグが出てくる。そういう流れの中でこの映画を観ると、今世紀に我々が、何を求めて、何に飢えているのかがよく分かる。“ここは一体どういう場所なんだ?”という表現が大きく登場したのは、1964年頃、僕も読んでいた古賀新一と楳図かずおの連載漫画だった。例えば当時、団地に住むでしょ? 団地は土地にゆかりのない人が住むよね? ですからそこがどういう場所なんか全然分からない。何かを動かしてしまったり、蛇を踏んだりしたことから不思議なことが始まるっていうような話。60年代の団地ブームと呼応して、ここはどういう場所なんだ?という問題意識が広がった。そこから時を経て2000年代半ばから今にいたるまで、“今はいつ?”“ここはどこ?”という感覚が出てきたのは、社会意識論を考える上で非常に興味深い」。


現代と過去が地層のように同じ場所に堆積しているイメージ

 宮台氏から前作にはなかった時間というモチーフが本作に加わった理由を聞かれた金子監督は「普通は現代と過去は遠く離れているように認識していると思うのですが、自分は、まず現代があって、過去が地層のように同じ場所に堆積しているとイメージしていて、そのように時間を認識している。この映画では、主人公が過去に迷い込むけど、タイムスリップする大きな仕掛けがあるわけではない。過去の人や物が実はここにあるのに、普段は見えていないのだけど、ふとしたきっかけで波長があってしまえば、その人たちが見えるということがあると思う。そういう認識で映画を作ってみたかった」と、過去から時間が地層のように積み重なっていると、時間に対する独自の感覚を明らかにした。

 宮台氏も同じく過去の記憶がレイヤーのように積み重なっていると語る。「僕は59年生まれだが、東京オリンピック、大阪万博を経て、オイル・ショックで日本は沈没し、70年代後半で復興する。いろいろなことを経験している。今日はお台場に行って、そこが刑場だった記憶は僕にはないけど、埋め立て地だったことは記憶している。僕には記憶が堆積しているのでいろいろなレイヤーが見える。僕はどちらかと言うと今を生きてなくて、過去の堆積を生きている。金子監督は44歳なので時間の堆積を気にしながら土地を歩く世代ではありますよね? 中学に入った頃に寺山修司が監督した『田園に死す』という映画があって、東京が舞台なんだけど、最後に書き割りみたいに背景が倒れると青森・津軽の風景が表れる。当時は明示的に、東京は田舎者の街であり、田舎者が突っ張っているだけていう感覚を強く持っていた。今その感覚を持っている人はないと思う。東京と地方にはそんなに違いはなく、違うのは経済格差で、人間関係も時間間隔も全く違わない状況なので、若い人が『田園に死す』を見ても分からないかも。で、少し時代が戻りつつあるのが今なのかな?と思う」。


現実がつまらないと感じている人々に向けた映画

 時間のレイヤーという言葉を受けて金子監督は「前にも宮台さんはレイヤーとおっしゃてて、宮台さんがお好きなシーロ・ゲーラ監督の『彷徨える河』も時間のレイヤーを意識した作品で、僕も大好きな作品。本作を作っているときもどこかで『彷徨える河』のイメージがありました。あと、デヴィッド・ロウリー監督の『ア・ゴースト・ストーリー』も映画評を書いておられましたが、あれもしっくり来た作品で、宮台さん取り上げる作品が自分の好みと合致していて不思議でした」と伝えると、宮台氏は「それは、金子さんが今ここがつまらないと思っているから、ああいった作品が好きなんだと思う。僕は本当につまらなくて……。その感覚がどれくらいあるかで、映画の享受だけでなく、政治的な態度や性愛的な態度にも関わってくる。“リア充”という言葉は違うと思う。現実がつまらなくて恋愛や性愛にコミットするのは日本的な伝統。そういう観点があるのに“リア充”と言ってしまうのはどうかなと思う。ここにいる人たちは現実がつまらないと感じていると思うんですよね(笑)。だから同士の感覚を抱きます。『リング・ワンダリング』はそういう方々に向けた映画ですね。そういう映画が増えたらいいと思うので、金子監督には期待せざるを得ない」とエールを送った。


次回作の主人公は明治時代の日本画家

 最後に、宮台氏から期待を込めて、次回作の構想を聞かれた金子監督はすでにシナリオ制作も進行しているという次回作について語った。「『リング・ワンダリング』の劇中漫画の中の世界観のような作品で、時代設定は明治19年。日本画家が主人公。日本画というのは、天然の鉱石から色をとって、獣の骨や皮を煮詰めた膠(にかわ)を繋ぎにつかってるんです。絵を描く際に、命や自然が密接に関わっているのが面白いと思った。軍需のために鉱山開発も進んでいる時代で、主人公の男が自分の芸術と世の中の動きに翻弄されながら生きていくという物語です。SFではないけどフィクションで、『アルビノの木』や本作とも関連してきます」。

 それを受けて宮台氏は「明治時代は今ここよりはるかに充実していて未来があった時代だと思う。現代は見たいところだけ見る、ある意味ハッピーな時代。ネットで繋がっているとはいえ、見たいところしか見ていないので、実は閉ざされた世界にいるのではないかな?」と締めくくった。



(オフィシャル素材提供)



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