2021-10-17 更新
升 毅、野村展代監督、笠井信輔
俳優・升 毅が、親友であった故・佐々部清監督のこころの風景を訪ね、人々と泣き、歌い、語るドキュメンタリー『歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねて』。10月16日(土)、ユーロスペースにて初日舞台挨拶が2回実施され、升 毅、野村展代監督、笠井信輔が登壇した。
<トーク内容 朝の回>
野村展代監督: 最初は劇映画で佐々部清監督が撮る予定でした。しかし資金繰りでストップ、私がドキュメンタリーを撮るということで佐々部監督には背中を押してもらいました。撮影を始めて20日後佐々部監督が急逝、私たちはそのままをドキュメンタリーで撮ることになりました。あらためて升 毅さんが合流することに。
升 毅: 僕と野村監督、早坂カメラマンの、佐々部組の同期3人の想いが映画になりました。劇映画の時は、漂流ポストの赤川さんの役を演じる予定だったので、とつぜん、手紙を出す立場になりました、複雑な想いです。
野村展代監督: この映画は、佐々部監督への手紙と思って作りました。
升 毅: 長い時間、便せんを前にして悩みました。佐々部監督への手紙は「2軒の店でまた会いましょう」というような内容になったのかな」。映画に登場する川上住職の言葉「悲しみを抱きしめて生きていく」の言葉にも救われました。
手紙を出す立場になりました、複雑な想いです。野村展代監督: 漂流ポストの手紙をたくさん読みました。ふつうの会話に胸が打たれました。
升 毅: 手紙の変化が伝わってきました。僕たちもそうなっていくのかもしれない。
野村展代監督: 親友同士だった佐々部監督と升さん、おじさん二人が仲良く、カラオケしたり、仕事したり楽しそうな姿を見るのが好きでした。そのイケオジの素敵な場面を見ることがなくなってしまいました。
升 毅: 65歳だからイケオジイだよ(笑)。佐々部監督がいなくなってしまったことを抱きしめながら、みんなで話せることを、佐々部監督に感謝だね。あのとき言っておけばよかった、とか手紙を書きはじめるきっかけになりますね。
<トーク内容 夜の回>
笠井信輔: 佐々部監督と仲良くさせていただいた一人です。手紙を投函する立場になってしまったこと、驚きました。
升 毅: 佐々部組のみんな、手紙を書けるのかな、と思いましたが、みんな勇気を出して佐々部監督への手紙を書いてくれました。とても複雑な気持ちで読みました。
笠井信輔: 升さんの佐々部監督への手紙の言葉「大好き」に心打たれました。
升 毅: (涙声で)一言で、というと……シンプルな言葉がでてきました。
野村展代監督: 升さんがまだ泣いてしまう……。泣いている姿も撮ろう、と思いました。
笠井信輔: 升さんと佐々部監督の関係性が示していますね。佐々部監督の思い出は?
升 毅: 恩人です。40年俳優人生で初の主演映画『八重子のハミング』。佐々部監督を男にしたい、と思いました。映画の撮影が終わってからも二人で映画館の舞台挨拶周りをしました。
笠井信輔: 佐々部監督は西城秀樹さん「傷だらけのローラ」をカラオケでよく歌うと聞いていますが、この映画では野口五郎さんの歌を?
升 毅: スナックのママが五郎ファンなんです。
笠井信輔: 歌声はなかったようですが……。
野村展代監督: すみません……大人の事情です(笑)、有名な曲なんで……。
笠井信輔: 升さんのモノローグ、素晴らしかったです。あの文章は、心の声に合っていましたね。
升 毅: 自分の気持ちを書いて、それを野村監督に見ていただいて、気持ちで撮りました。
野村展代監督: 佐々部監督だったら、俳優の意図をくみ取る方だったので真似してやってみました。
笠井信輔: 佐々部監督への想いとともに、普遍的な物語になりました。最後に佐々部監督の肉声を入れましたね。
野村展代監督: 佐々部監督からのお返事という意味で入れたかった。升さんが、佐々部監督への手紙をうまく書けなくて……それについて、佐々部監督なら「升さん、ずっとつらかったよね、それでいいよ、OKだよ」って言ってくれるんじゃないかと。
升 毅: (涙声)野村監督ずるいな。佐々部監督、いないのに、一緒に撮ってる、という気持ちがあった、あの声を聞けてとても嬉しかったです。
(オフィシャル素材提供)