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『恐るべき子供たち 4Kレストア版』
オフィシャル・インタビュー

2021-09-29 更新

中条省平(フランス文学者・映画評論家)
横井和子(字幕翻訳者)


恐るべき子供たちosorubeki
©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms
配給:リアリーライクフィルムズ

 フランス公開70周年を記念して修復された『恐るべき子供たち4Kレストア版』。10月2日(土)の公開を前に、本作日本語字幕監修の中条省平氏と字幕翻訳担当の横井和子氏の2ショット・オフィシャル・インタビューが到着した。

 1920~1950年代、『美女と野獣』『オルフェ』など詩・小説・絵画・演劇・批評・映画などマルチな才能を発揮し、時代の寵児となったジャン・コクトーと、スタジオ式の撮影スタイルとは距離を置き、俳優たちの演技はもちろん、街頭、自宅、公共の施設など、即興性を重んじた撮影方法を敢行、以後の映画界に大きな革新をもたらし、後には、『サムライ』や『仁義』などに続くフイルム・ノワールのスタイルを確立していったジャン=ピエール・メルヴィル。

 まだ監督デビューしていなかった若きフランソワ・トリュフォーは、この映画を25回も観たとメルヴィルに告白し、後には「コクトー最高の小説が、メルヴィル最高の映画となった」と絶賛している。クロード・シャブロルも、『いとこ同志』に本作撮影のアンリ・ドカエ(ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』)を迎える際に「『恐るべき子供たち』と同じ様に撮って欲しい」と懇願したそうだ。ヌーヴェルヴァーグの胎動は、この作品を起点に既に始まっていたのである。

 美しくも危険な姉弟を演じた俳優たちも素晴らしい。姉を演じたニコール・ステファーヌは、あのロスチャロイルドの家系で育った。弟役のエドゥアルド・デルミットは、コクトーに「彼は私にとって“美”そのもの」と言わしめ、彼の寵愛の下に生涯を送った。

 日本語字幕は今回の公開を機に一新された。『燃ゆる女の肖像』の横井和子氏が翻訳を担当し、小説版『恐るべき子供たち』の翻訳者でもあるフランス文学者・映画評論家の中条省平氏が監修を担った。古典と現代の表現の絶妙のバランスが、今回の新訳では遺憾なく発揮されている。

 また最新の4K映像は、コクトーとメルヴィルが拘った美術や撮影のディテールが、深みのあるモノクロームの映像の中にクリアに表現されており、その再現性は圧巻というほかない。


コクトーはどのように評価されていて、本作の原作『恐るべき子供たち』は、コクトーの作品の中でどのような存在ですか?

中条省平: 例えば、日本人がよく知っている、『私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ』というコクトーの詩は、現代社会でどう生きるかとか、人間はいかにあるべきかといった大問題はどこにもありません。でも、すごくフランス的なエスプリの利いた見立てがある。コクトーは詩人としては優れているけれど、王道のリアリズムを無視しているため、大方の文学好きからは、 “ちょっと洒落たことを洒落た言葉で言う文学者”というふうに見られがちなんですね。
 コクトーが『恐るべき子供たち』を書いた1920年代は、第一次世界大戦で世界が初めて無差別の殺戮と暴力を経験して、モラルがことごとく崩壊してしまった時代です。コクトーは、その崩壊の後で青年たちが生きていくにはどうするのかと問いかけた世代で、その問題に対応しつつ自分なりの世界を作っていた。その意味合いが一番よく分かるのが本作です。一方、日本人はコクトーの軽さが大好きなんですね。本作は、コクトーがエスプリに満ちた言葉の技術に長けている詩人だという側面と、ギリシャ悲劇のような骨格正しいドラマも語れるという物語作者の側面が融合しています。コクトーの中で一番よく読まれている作品なのは、ギリシャ悲劇にも比較できるような物語性がはっきりと出ているからではないでしょうか。コクトーの中でも、最も人気があるし、最も一般に受け入れられやすい作品だと思います。


osorubeki

お二人とももちろん原作をフランス語で読まれていますが、コクトーの特徴・魅力はどのようなところにありますか?

横井和子: 映画でも使われているナレーション部分の美しさはすごく感じました。「フランス語は綺麗」とよく言われますけれど、コクトーの言葉は本当に綺麗です。

中条省平: ヴァレリーは“詩とは、その場でダンスを踊ることだ”と言いました。それに対して散文とは、“ある場所からある場所に進むこと”です。散文という、本来であれば、物語を筋道立てて語って、始まりから結末まで真っ直ぐに歩いて行くべき芸術の中で、コクトーが書く小説は、小説でありながら、ところどころで踊りを踊っている。そこが面白いんですね。『恐るべき子供たち』の映画版も、トリック撮影を使ったりして、1シーンごとに見事に踊っていると思います。
 また、コクトーのフランス語は非常にすっきりとしたフランス語なんです。だからといって、フランス語の表面だけを辿ればその意味がちゃんと分かるかといったらそうでもない。だから、難しい言葉ではないのに意味やイメージの喚起力が豊かなんですね。そのフランス語の面白さを、日本語に直すというのは、すごく難しいことです。


中条先生は最近カミュの『ペスト』を翻訳したり、『恐るべき子供たち』を中条志穂さんとご一緒に光文社古典新訳文庫で翻訳したり、今回の4Kレストア版の日本語字幕の監修をしています。また、横井さんは今回の4Kレストア版の日本語字幕を担当されていますが、コクトーの作品の翻訳をする上でこだわったことをお教えください。

横井和子: 字幕って短くしなくてはいけない。でも、詩人の言葉を短くするのは難しい作業でした。“小説は読み返せるけれど、字幕は読み返せない”というのもあり、どんどん流れていく中で観客を置いてきぼりにしてはいけない。イメージを壊してはいけない部分との隙間を縫っていくような感覚を、本作ではいつも以上に意識しました。

中条省平: コクトーの言葉は難しいわけではないけれども、含蓄が深いんですね。その個性を日本語でも出したいと思いました。コクトーの言葉自体は平明なので、日本語に訳された際に、分かりにくい詩的な文章になっていたらダメだと思うんです。訳文では、コクトー独特の明澄なスピード感を出したいなと思いました。


小説の翻訳と字幕翻訳ではどういう違いがありますか?

中条省平: 映画では小説より言葉がかなり減っていて、字幕はさらに減っていく。小説の翻訳では、フランス語の文かりにくいところを日本語で説明しなくてはいけないから、翻訳は原文より長くなっちゃうんです。ですから、横井さんのお訳しになった日本語字幕を拝見して、自分の翻訳の経験はまったく役に立たないなと思いました。全然次元の違う作業なんですね。

横井和子: 日本語字幕は、1秒4文字までしか読めないので、字幕翻訳の基本は、『要約』『抜粋』『言い換え』の3パターンです。


日本語字幕の例を挙げると、旧字幕では、「彼女は舌を出し のろいをかけるように注意深く ゆっくりと その箱を宝物に加えた」となっていたところを、新字幕では、「注意深く ゆっくりと 缶を引き出しにしまう姿は ろう人形に針を刺し 呪いをかける女のようだった」となっていました。

中条省平: 「~のように」という比喩の部分は、切っても意味が通じるので、「ろう人形に針を刺し」の部分を削れば、字数は得しますよね。しかし、「ろう人形に針を刺し」を入れて、他の部分を切るという選択を横井さんはなさった。その結果、豊かなイメージの感じられる表現になったのではないでしょうか。

横井和子: 「舌を出し」というところを抜いたのは、映像になかったからです。ここは原作から引用されているナレーションですが、舌、出してる?と思ってしまいそうだったので、「ろう人形」のほうを入れました。

中条省平: なるほど。「ろう人形に針を刺し」というのは言葉だけに出てくる比喩なので、映像で、ろう人形に針を刺す女を映すわけにはいきませんものね。


旧字幕では、「不気味な手を洗った」としていたところを、横井さんは「その恐るべき手を洗った」としていて、私にはしっくりきたのですが、フランス語では、"terrible”とは言っていないですよね?

中条省平: “terrible”とは言っていないけれど、使われている“effrayant"は、“terrible”の言い換えといってもいい、ほとんど同じ意味の形容詞ですね。

横井和子: すごく悩んだところです。


例えば『わたしはロランス』のようなオリジナル脚本と比べ、コクトーのような古典の映画化の字幕翻訳は、やることが増えるかと思いますが、どのような準備をされたのでしょうか? 翻訳によって違いはありましたか?

横井和子: いろいろ読みました。原作があるものは原作を読みます。『恐るべき子供たち』の場合、東郷青児訳と対訳版はたまたま持っていましたが、まずは、私が過去に読んだ時には出ていなかった中条先生の翻訳版を買うことから始めました。東郷(青児)訳は昔の良さがありつつも、知らない言葉が出てきたりして、とっつきにくいところもあったのですが、中条先生の訳は『フランス文学は難しい』というのが解消されていて、すごく読みやすかったです。萩尾望都さんの漫画は結構原作に忠実なんですけれど、解釈が入っていて、ドラマチックに仕上げてあるので、とっつきやすいと思います。先ほどのコクトーの「その場での踊り」がわかりやすくなっています。黒と白の使い方が劇的で美しいです。


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映画をご覧になり、コクトーご本人が担当したナレーションの感想はいかがですか?

中条省平: プロの声優や俳優ではない、ボソボソボソボソしゃべっている素人の良さに、監督のメルヴィルの好みの感覚が出ていると思います。決して原作者が「これが私の世界ですよ」と決めつけるのではなく、たまたま居合わせた人がコメントしているみたいな距離感がとても味わい深いと思います。

横井和子: 私もすごくいいなと思いました。他のコクトーの映画も見たんですけれど、結構喋っているんですよね。コクトーが喋る、「蜘蛛の糸を繰り出すように」だとか、お母さんの葬儀のシーンのナレーションが好きです。原作だとひゅひゅっと読んでしまうところを、コクトーはそのスピードで読んでほしかったのかと思いました。


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メルヴィルが、女性のルネ・コジマを、男性のダルジュロスと女性のアガットの一人二役で起用することにこだわったようですが、原作を読んでいたお二人はどう思われましたか?

中条省平: ダルジュロスとアガットが瓜二つというのは、原作に書かれているので、演劇的に誇張したんじゃないかな。ポールが好きな人のプロトタイプ(原型)を出さなければならないので、違う俳優が演じていたらその統一感を出すのは難しいと思います。神話的に一人二役でやらせるという選択は面白いと思います。

横井和子: 私は正直、同一人物だと気づかなかったんです。(登場する少年たちの中で、女性のルネ・コジマが演じた)ダルジュロスが一番“少年”のイメージに近いと思っていました。


最後に、字幕も一新された4Kレストア版をご覧になる方に、メッセージをお願いします。

横井和子: 画がすごく綺麗で、白黒の色彩感がとてもよくわかると思うので、カラーとは違う体験ができると思います。

中条省平: ヌーヴェルヴァーグの監督たちが憧れたキャメラマンのアンリ・ドカエが撮影しているので、レストアされた画面の美しさをじっくりご覧いただきたいと思います。ヌーヴェルヴァーグの作品では見ることができない、室内場面の独特の雰囲気、閉ざされた世界を覗き見るような感覚がレストア版で強く味わえるはずです。原作そのものも、白い雪の玉で始まり、黒い毒の玉で終わるという白黒の物語です。ぜひその“白と黒の美学”を堪能していただきたいですね。



(オフィシャル素材提供)




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