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2019-05-18 更新
五十嵐 匠監督
五十嵐 匠監督
1958年9月16日、青森市生まれ。弘前高校、立教大学文学部卒。
大学時代、シナリオセンターに通う。岩波映画・四宮鉄男監督に師事、助監督として修業する。
テレビ番組ではTBS「兼高かおる世界の旅」制作を手掛け、アラスカをはじめ、世界各国を回る。映画では主に人物に焦点をあてた作品づくりに取り組んでいる。
主な監督作品:『SAWADA 青森からベトナムへ ピュリツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』(97)、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(出演:浅野忠信、99)、『みすゞ』(出演:田中美里、01)、『HAZAN』(出演:榎木孝明、南果歩、03)、『アダン』(出演:榎木孝明、古手川祐子、05)、『長州ファイブ』(出演:松田龍平、06)、『半次郎』(出演:榎木孝明、AKIRA[EXILE]、10)、『十字架』(出演:小出恵介、木村文乃、富田靖子、永瀬正敏、15)。
小学校の校庭に必ずと言っていいほどあった金次郎像。薪を背負って勉学に励んだあの少年が、その後、600以上の村の復興を手がけたことをご存知だろうか? 映画『二宮金次郎』を手掛けた五十嵐 匠監督のオフィシャル・インタビューが到着した。
前作の『十字架』を茨城県筑西市で撮影した時に、筑西市の教育長から「二宮金次郎がこの町を復興させた」と聞きました。僕は幼い頃薪を背負っている金次郎像しか知らなかったので、金次郎が生まれた小田原だとか、亡くなった日光に調査しに行ったら、身長が180cm以上で、体重が90kgの大男だったと知ったり、人間的に非常に魅力的だったので驚いて、映画にしようと思いました。
二宮尊徳(※金次郎は57歳から尊徳と名乗った)の独自の手法・報徳仕法が一番如実に出ているのは、小田原藩の桜町領の復興時だったからです。
尊徳には4つ思想があって、「至誠、勤労、分度、推譲」とあるんですけれど、今回の映画では、身の丈を知って生活するという意味の「分度」を主に取り上げています。今のこの国の「もっともっと」という世界とは真逆なんですけれど、僕はその失われた部分に興味があったので、今の日本で忘れられている「分度」というものを映画化しようと思いました。
幾つか作品を観たんですが、作品を観た印象よりも、会った本人の印象のほうが強いです。実際頭が切れる方で、小田原の隣の秦野出身ということもあり、会った時に「役者生命を懸けたい」と話して下さったので、ある意味彼に賭けてみました。
相当作り込んできていました。クランクインは成田山新勝寺で金次郎が21日間断食をしたシーンだったんですが、彼が7kg位体重を落として、目の下にクマができて、あばらが浮き上がっている状態を見た時に、この人は懸けているんだなと感じました。彼は実は金次郎を演じるために一度体重を増やしていたんですけれど、断食のシーンからの撮影になったので一旦痩せて、その後1週間で体重を戻したので、大変だったと思います。
相当調べたんですけれど、金次郎は年が離れていた前の奥さんと流産などもあり、別れているんです。なみさんに関して言うと、非常に古風な、旦那さんを立てて、必死になって付いていくという姿は資料に幾つかありました。600以上の農村は金次郎さんが復興したと思われているけれど、奥さんのなみさんの力はすごく大きいと思います。金次郎の家計簿も残っているんですが、1回結婚に失敗したというのもあるだろうけれど、金次郎はなみに対して、おしろいを買ってあげたりと、結構ケアをしていたようです。
豊田は下級武士、つまり侍でした。小田原藩から依頼されて、金次郎さんが復興している桜町領に上役で行っているんです。なので、「邪魔をする」というよりも、「公務員としての彼のやり方を一生懸命やることによって、金次郎とぶつかってしまう」ということなので、「敵役」というより、単に「仕事をするやり方が違った」と捉えて描きました。ラストのテロップ部分も資料に残っています。
五平は名前だけは資料があるんですが、資料はあまりないんです。柏田(道夫)さんの脚本では五平はあまりクローズアップされていないですけれど、背中が曲がっていたり、天涯孤独だったりというのは、僕がフィクションとして作ったものです。「幼い頃から天涯孤独だったけれど、心の底は非常に純粋」というのが好きなので、ドラマチックに描きました。体つきですが、調べて、「カルシウムを取らず日に当たっていないと背中が曲がる」ということが分かりました。
成田山のロケ地は、本当に成田山の僧侶たちが修行をした場所なんです。あの修行した場所は今は使われていないんだけれど、そこで撮影させて欲しいとお願いしました。水をかぶる水行場のシーンがありますが、実際に二宮がやっていた場所なので、実際の場所に役者さんを置くことで、彼がどう変わっていくかに監督として興味がありました。
日光の部落には、「二宮堀」と呼ばれる二宮さんが作った用水路が今もあるんです。日光、小田原の生家、桜町領など実際の場所で撮影しています。
クライマックスの雨のシーンの撮影は、結構時間がかかりました。放水車を2台呼んだんですが、放水車で使う水は、下の沢の水なので、すごく冷たいんです。役者さんたちはずぶ濡れになって頑張りました。その後、その田んぼの持ち主の焼き芋屋さんが来て、皆で笑ってホクホクしながら食べたのがいい思い出です。
そういう時代で、今は座っている金次郎や宇宙を飛んでいる金次郎の像があります。明治時代に明治政府が“働きながら勉強する”という金次郎をうまく使ったんです。今回の映画は少年時代も描きつつ、金次郎が青年時代に何をやったかをメインに描いています。少年時代の金次郎像をとっかかりにして観ていただき、最終的に青年期のことを分かっていただければいいと思います。
二宮金次郎というと、薪を背負って本を読んでいるイメージだと思うのですが、本当の二宮金次郎のすごさだとか革命家の部分は、青年期にどんどん農村を復興させていったところにあります。復興のモデルとして、金次郎が百姓の方々にモチベーションを与えたり、やる気を起こさせたりする姿を見ていただければと思います。
(オフィシャル素材提供)