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舞台挨拶・イベント

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『ザ・スクエア 思いやりの聖域』トークイベント

2018-04-14 更新

庭師:村雨辰剛(むらさめ たつまさ)

ザ・スクエア 思いやりの聖域thesquare

配給:トランスフォーマー
ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ他4/28(土) 全国順次公開!
© 2017 Plattform Produktion AB / Société Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS

 第70回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝き、本年度アカデミー賞®外国語映画賞にノミネートされた映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が、4月28日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ他全国順次公開される。監督は、『フレンチアルプスで起きたこと』で世界を沸かせたスウェーデンの若き鬼才リューベン・オストルンド監督。このたび、本作と同じくスウェーデンからやって来たゲストを招いてのトークイベントを実施した。登壇したのは、スウェーデンに生まれ現在は日本に帰化し、イケメンすぎる庭師として話題の村雨辰剛(むらさめ たつまさ)氏だ。


 満席の場内にゲストの村雨辰剛氏が現れると、客席からは大きな拍手が沸き起こった。村雨氏は、スウェーデンに生まれ、日本に帰化して庭師になるという変わった経歴を持つ。「こんばんは。お招きいただきありがとうございます」と流暢な日本語で挨拶。「久しぶりにスウェーデンの映画を観ました。すごくインパクトがありましたね。スウェーデンは、福祉社会といったような視点でメディアに取り上げられることが多いから、そういう印象があると思います。ただ、理想的な社会であっても、それを実現しようとした時に、それに伴って起きる問題や解決しないといけない問題がある。それを面白く取り上げてくれている作品だと思いました」と、またしても完璧な日本語で感想を述べ、以降も最後まで日本語でトークを続けた。

 本作では、思いやりの心を持つことがテーマの1つになっている。スウェーデンからやって来た村雨氏は、どんな時に日本で思いやりを感じるかと聞かれると、「たくさんありますが……」と前置きし、「庭師は絶対に、10時と3時にお客さんからお茶を出していただけるんです。“無理しないで、休んでね”と言ってくれて。毎日、思いやりを感じますね」と庭師ならではの経験を嬉しそうに語った。さらに、スウェーデン社会の思いやりについては、「スウェーデンでは仕事に子供を連れてくるということが、当たり前のこととして許されている社会。特に誰も何も思わないし、暖かく見守りますね」と、子育てをする親を自然に支える社会の在り方を語った。ちなみに、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』にも、美術館での会議に男性スタッフが子供を連れて参加している場面がある。このように、本作は良い面も、そうでない面も含め、スウェーデンという国のありのままの等身大の姿を映しているのだ。

 ここで気になるのは、村雨氏がどういう経緯で日本に来て、帰化をされたのかということ。「小さい時から、違う文化の中に飛び込んでみたかったんです」と振り返り、「歴史がすごく好きで、長い歴史がある国に行きたかった。それで自然とアジアに興味を持って、中国や韓国や日本に関心が出てきた。日本は歴史の中で孤立された状態にあったからこそ、日本にしかない文化がたくさんある。そこにとりわけ惹かれました」と日本への想いを語った。

 続いて、「来日した時は、やりたいことというよりも、とにかく自分にできることを、能力を生かして試してみようと思った。生活に慣れてきてから、自分のやりたいことをやろうと思った。22歳くらいで若かったから、日本の徒弟制度――伝統的な親方と弟子の関係が残っているところに飛び込んでみたかった」と、庭師という職業を志したきっかけを明かし、気になる名前についても話は及んだ。元はビョーク・ジェイコブ・セバスチャンという名前だったという村雨氏。

thesquare 「日本に長い間住んで、日本の伝統文化に携わって仕事をするなら、日本人としてやるほうがいいと思ったんです。それで、力士が親方に名前をつけてもらうみたいにしたいと思って親方に頼んだら、イヤだって断られたんです(笑)。責任が重すぎるって。でも、親方のお父さんが“村雨”にしたらどうだと言ってくれた。“今まで見てきた苗字で、一番印象に残っている苗字だ”と。それで、下の名前は私が辰年生まれなので、辰を取って、親方が“剛”と書いて“ごう”と読むのですが、その漢字を調べると“まさ”という読み方もあると知って、その2つを組み合わせて辰剛にしました」とその由来を披露した。

 一般的な日本人以上に日本の伝統文化に精通しているように見える村雨氏だが、久々に観たスウェーデン映画だという『ザ・スクエア 思いやりの聖域』にはとにかく“スウェーデンらしさ”を感じたと言う。「スウェーデンにいた頃に観たスウェーデン映画は、物事を包み隠さず、そのままに見せ、そして毒がある作品が多くて、私はそういう部分にスウェーデンらしさを感じていました。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』も、スウェーデン独自のセンスや表現方法が描かれていて本当に面白かったです」と、その国をよく知るからこその愛情深く暖かい言葉で作品の魅力を語り、トークは幕を閉じた。


【村雨辰剛/庭師】 プロフィール
 1988年7月25日、北欧スウェーデンに生まれ育つ。
 幼い頃から英語が得意で外国に興味を持つ。スウェーデンとなるべく違う環境と文化の中で生活してみたいと言う気持ちがきっかけで、日本に興味を持ち日本語を勉強し始める。やがて日本語の上達と共にその気持ちはいつか日本で日本人として暮らしたいと言う目標に。
 高校を卒業すると、特技である語学能力を活かし日本で語学(スウェーデン語や英語)の教師として働き始め、同時に外国人事務所にスカウトされ、CM、PR、通訳や翻訳の仕事をこなす。
 23歳の時にもっと日本古来の文化と関わって仕事がしたく、造閏業に飛び込み見習い庭師に転身。26歳の時に念願の目標であった帰化許可を得て、日本国籍取得と村雨辰剛に改名。のちにテレビ番組などでも紹介される。



(オフィシャル素材提供)



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