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『武魂~浅井哲彦物語~』クランクイン報告

2016-09-28 更新

武魂~浅井哲彦物語~asai

© 2017『武魂~浅井哲彦物語~』製作委員会

 この度、戦後の台湾に日本の空手を広めることに尽力し、空手界のみならず各界、また多くの国に影響を与えた偉人・故浅井哲彦の10回忌を忍んで企画された映画『武魂~浅井哲彦物語~』が、9月25日に台湾の台北市でクランクインした。

asaiこの映画は、空手家浅井哲彦が残した空手家としての偉大な業績と「強さという優しさと正義」「戦わないで勝つ事ことが一番の勝利」という彼の教えを基にした、浅井哲彦とその家族の物語。

 主演の浅井哲彦役には23歳から27歳まで台湾に芸能活動の拠点を移し、台湾在時の2010年にフジテレビ・ドラマ「東京リトル・ラブ」の主演に抜擢され、日本に帰国後、世界的に活躍する韓国の映画監督キム・ギドクの2016年公開予定『STOP』の主演を務めるなど現在、日本及びアジア各国の映画・テレビドラマ・演劇・CMと幅広く活躍する中江(なかえ)翼。

 哲彦の妻・恵子役には2013年に台湾に移り、歌手、女優とマルチに活躍の幅を広げる俳優・モデルのディーン・フジオカの妹でもある藤岡麻美(まみ)恵子の兄役には2007年にCBC・TBS系列で放送された特撮テレビドラマ「ULTRASEVEN X」で主演を務めるなど活躍をし、2011年から台湾に芸能活動の拠点を移しながら10月25日スタートのTBS系ドラマ「拝啓、民泊様。」に出演する与座重理久。晩年の浅井哲彦を映画やテレビで活躍の名バイプレーヤー・本田博太郎が演じる。

 監督には連続ドラマ「警視庁鑑識班」などのテレビドラマで多くの監督・脚本を手掛け、2010年劇場公開された映画『パートナーズ ~盲導犬チエの物語~」』などの下村 優。本作の公開は2017年に全国公開を予定している。

 クランクインは台湾の台北市の市街地。撮影は、台中市、台南市で、台湾全土にてロケが予定されている。撮影期間は2016年9月25日から4週間の予定。


<中江 翼 コメント>

 この記念すべき日台合作映画において、主人公の浅井哲彦先生を演じさせていただくことは、身の引き締まる思いです。日台の友好に繋がるこの映画を全力で、体当たりで臨みたいと思っています!


<下村 優監督 コメント>

 日台合作の記念すべきこの映画を通じ、もう一度日台の国境を超えた信頼や思いやり、助け合いを描き、日台人両者が今以上に強調し、混沌とした昨今の情勢に一石を投じることが出来ればと思っています。この歴史に残る空手家・浅井哲彦を通じ、世界で共通のユーモア、強さ、そして愛を描きたいと思っています。


<浅井恵子(浅井哲彦の妻) コメント>

 この映画は、浅井が在世中に、世界中の彼に追随して全人生を空手に捧げたお弟子さんたちを取り上げて、製作しようとしていた企画です。そんな中、浅井は急遽他界し、私自身、茫然と10年を過ごしました。没後10年でようやくこの企画を立ち上げるに至りました。プロデューサーの嶋田さんと一年以上に渡り日台を行き来し、浅井の今の時代にそぐわない破天荒な部分を省いて映画における人物像を造り上げました。台湾のこの猛暑の中、ただただ良い映画を作ろうと、心血を注いで下さっている下村監督始め、スタッフの方々に心より御礼と感謝を申し上げます。


■浅井哲彦氏の略歴

 12歳の時、地元の空手道場に入門、空手家としての第一歩を踏み出す。高等学校では柔道部に入部、在学中に二段位を授かるなど、少年期より武道に非凡な才能を示した。空手、柔道の修練により、他の追従を許さない後の浅井哲彦の空手道の基礎を形成させることとなった。
 上京した浅井哲彦は、拓殖大学に進み、空手道部の中核として活躍する。
 昭和36年、今上天皇陛下天覧のもと開催された空手大会において、型、組手の総合優勝を果し、世界の空手界において、浅井哲彦の名声が轟くとともに、空手界の将来を嘱望された。
 空手界で名声を得た浅井哲彦は昭和39年世界へ向けて空手普及のため、ハワイを始めとし、台湾全土へ空手を導入、積極的に指導員を育成し、台湾空手の父と称される。更に十数ヶ国、十余年にわたる、指導の旅を続けた。
 帰国後も40年の間、海外指導を続け、生涯に70余ヵ国、その門下生は三十万人余りを数える。平成12年古い因習にとらわれることなく、時代に合致した、眞に新しい空手道を実現すべく、空手界の有志と共に「NPO法人日本空手松涛連盟」を設立、後に車椅子空手を開発し、「日本車椅子空手道連盟」を設立して、その型を作り上げ、海外普及にも励んだ。
 更に浅井は流派にこだわらない空手を目指し、空手道60年の殻を破り、「松涛流」古典型にあらゆる武術の技を取り入れた浅井空手の完成に全力を注ぎ、そして全ての空手愛好家は仲良く和気藹々と切磋琢磨を成すべく、流派を問わない「国際日本武術空手道会I.J.K.A.」をも立ち上げ、「順路」を始め、新しい42の型を創作し、積極的に海外へ浸透させた。
 浅井は海外の警察界に於いても、空手の伝授に尽力した。 スペイン警察学校、ハンガリー、東欧、カナダ、ブラジル、ハワイ、香港、アイルランド、メキシコ、チリ、ペルー、アルゼンチン、ルーマニア、等。
 浅井の理念のもと、「NPO法人日本空手松涛連盟」「日本車椅子空手道連盟」ともに、発展を続け、平成18年には、日本国内に350支部、数万人余を擁する会となっている。浅井哲彦自身においても、深く空手道を極めることで、壮年期の実践的空手から内面を重視した流麗、かつ円熟した空手道を確立した。
 「双腕を鞭のように撓らせ、予測不能かつ骨をも砕く「鞭拳」や強靭な脚力から繰り出される変幻自在の蹴り技など、類をみない、新技を常に編み出す、その姿は「空を駆けること、龍の如く、地を踏み駆ける事、虎の如し」と詠われ、数々の偉業を成す。
 2006年8月15日永眠(享年71歳)。


(オフィシャル素材提供)



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