このサイトをご覧になるには、Windows Media Playerが必要です。
Windows Media Playerをダウンロードする
2016-03-24 更新
ペネロープ・スフィーリス監督&アナ・フォックス
ペネロープ・スフィーリス監督
1945年12月2日生まれ。
移動カーニバルを率いた両親とともにアメリカ南部、中西部を転々とする生活を送る。のちにカリフォルニアに移り、オレンジ・カウンティで10代を過ごす。高校を卒業後、デニーズやアイホップなどでウェイトレスの仕事をしながら映画学校で学ぶ。
UCLAにて映画を学んだのちにテレビ番組の制作、撮影、編集に関わるようになり、1974年、自身の音楽ビデオ制作会社ROCK'N REELを立ち上げ様々なアーティストのライヴを撮影。ロサンゼルスで音楽ビデオに特化した初の会社であった。
1981年、ロサンゼルスのパンクロック・シーンをとらえたドキュメンタリー映画『ザ・デクライン』で映画監督デビュー、批評家から絶賛を浴びた。そのパンクロックへの興味は持続し、1983年にはB級映画の帝王ロジャー・コーマンのもと、『ザ・デクライン』の劇映画版ともいえる『反逆のパンク・ロック』を発表、B級作品ながらもアメリカ郊外の馴染めない若者たちのリアルな姿をとらえ、シカゴ映画祭で受賞するなど一部で高い評価を得た。
その後映画『スパイナル・タップ』の監督を打診されるも断り、チャーリー・シーン主演の『ブロークン・ジェネレーション/撲殺!射殺!極限の暴力少年たち』、アクション映画『激突 特捜コマンド!恐怖の救出指令』などを手掛ける。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやFEARのリー・ヴィングも出演したパンクスのロード・ムービー×現代の復讐ウェスタン『N.Y.バッド・ボーイズ』の後、マイルズ・コープランド率いるIRSレコードの呼びかけにより『ザ・デクライン』の続編『ザ・メタルイヤーズ』制作を決意、前作から約7年を経て、パンクスが駆逐され、派手な衣装を身にまとったヘヴィ・メタルの面々が闊歩していたロサンゼルスのストリートの模様を映像におさめた。
1992年、米国のテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の人気コーナーを映画化したコメディであり、キャリアで初のメジャースタジオ作品となった『ウェインズ・ワールド』が興行収入1億ドルを突破する大ヒットを記録、一躍ハリウッドのトップ監督に躍り出る。
その後はTVコメディ「じゃじゃ馬億万長者」の映画版『ビバリー・ヒルビリーズ/じゃじゃ馬億万長者』やウーピー・ゴールドバーグ、メル・ブルックス、ダリル・ハンナ出演の『ちびっこギャング』などコメディ作品を連発。しかし98年、ふたたびライフワークともいえる『ザ・デクラインⅢ』を発表、路上生活をおくるガターパンクスのリアルな生態をとらえ、以前の『反逆のパンク・ロック』のドキュメンタリー版ともいえる内容は様々な映画祭で高い評価を得る。だが正式な劇場公開を模索するも、興味を持ったすべてのディストリビューターから同時に前二作の権利譲渡を求められ、これを断ったことにより、『ザ・デクラインⅢ』は一切公開されずに終わった。
2001年にはオジー・オズボーンとともに1999年OZZFESTの模様を追ったドキュメンタリー『WE SAVED OUR SOULS FOR ROCK'N'ROLL』を完成させるも、音楽の権利処理のトラブルによりお蔵入りとなった。以後はテレビ作品などを多く手掛けている。
なお、デクライン3部作の再公開やDVD化は世界中から求められ、特に2000年代以降DVDが普及してからの要望は激しさを増した。様々な権利処理や素材収集など監督自身で3部作復活へ動いてはいたが、最終的に実現にこぎつけたのは監督の娘であるアナ・フォックスである。アナが他の企画や作品を手掛ける前に必ずやり遂げなければならない仕事として3部作復活を監督に進言、膨大な実作業含めてアナがこの仕事を牽引し、2015年6月に米国で待望のBD発売となった。
他に類を見ない3部作構成で、「史上最高の音楽ドキュメンタリーのひとつ」として世界的に高い評価を得ている、『ザ・デクライン』シリーズ。≪西洋文明の衰退≫という意味を持つこのシリーズは1981年~1998年にかけてのロサンゼルスの音楽シーンにフォーカスしたロック・ドキュメント。
本作のペネロープ・スフィーリス監督、そしてアメリカでデクラインシリーズの再上映やオフィシャルのブルーレイ、DVD発売のプロデューサーであり、監督の娘でもあるアナ・フォックスのインタビューが到着した。
ペネロープ・スフィーリス監督: 「デクライン」シリーズのDVD化に取りかかるまでにすごく時間がかかりました。それは私がこの3作を宝物のように大事にしていて、もし実現するなら完璧なものにしたい、またもの凄い労力が必要になると分かっていたからです。まあ、要するに完璧に出来ないのではないかという恐怖心と、作業量に対する恐怖心ですね、ここまで時間がかかってしまったのは。
でもShout!Factory社の協力もあり、思い通りに完璧なものを実現できてすごく嬉しく思っています。また熱心なファンからの要望はずっと知っていましたし、もっと早く正規リリースを実現出来なかったことはみんなにお詫びしなければなりません。他の映画企画に取りかかっていた時期もありつつ、完全なる完璧を実現することにナーバスになっていました。何年も待ってもらったファンの方々、本当にすいませんでした(笑)。また正規リリースが無い時期は多くのブートレッグ盤などが存在していて、ひどいクオリティでこれらの作品を観てもらいたくなかったので海賊盤撲滅も大変でした。まあ、いろいろと本当に大変でしたが、すべての作業も終わったいま、ホッとしています(笑)。
ペネロープ・スフィーリス監督: 本当に肩の荷が下りた感じで、多くのファンもポジティブな声が多くて安心しています。多くの人からDVDというメディア自体は死んだと言われていて少し心配したりもしましたが、今回のデクライン3作でそうではないことも分かりました。もしあなたがファンで、自分のコレクションとして手元に置いておきたいと思うなら、それを手に入れるものです。「デクライン」に関してはそのようなファンが多く、とても感謝しています。
この正規リリースのプロジェクトが成功したことは私の人生にとっても大きな意味があります。劇場での上映も続いてくれることを願っています。今まで全米の25ヵ所くらいは上映に私も参加しました。また日本で上映されることに興奮しています。今回の2Kスキャンで作られたデジタルマスターはオリジナルの35mmプリントよりもクオリティが高いと思いますし、アメリカでの素材への反応も信じられないくらい良好です。
ペネロープ・スフィーリス監督: 一作目はほとんど知り合いでした。ダービー・クラッシュとは友達でしたし、XやFEAR、CIRCLE JERKSも皆友人でした。BLACK FLAGはリーダーのグレッグ・ギンのところに行って映画に出演してもらえるように懇願しました。でも彼のガールフレンドがその現場を見ていて、何か私がグレッグを誘っていると勘違いしたらしく、怒って私の背後から掴みかかってきたけどグレッグが事情を説明してその場がおさまった、ということもありました(笑)。
二作目は娘のアナがかなり関わっています。アナは当時事務所で働いていて、17歳だったけれど、どのバンドに声をかけるかなど手伝ってもらって、よく一緒にライヴハウスにも出かけました。でも彼女はライヴハウスで母親に会うのは嫌だっただろうし、私も親として娘がライヴハウスのカオスの中にいるのは嫌でしたね。
三作目はほとんど知り合いに出演してもらいました。なので出演者に関しては私の知り合い、ということが大きかったと思います。
ペネロープ・スフィーリス監督: FEARですね。撮影中に起こったあの喧嘩です。3作に収録されたすべてのバンドはみんな撮影にとても協力的でした。みな映画に出演したい、という気持ちがあったので。もし非協力的なバンドがいたとしても、私はそのバンドを追いかけたりはせず、次のバンドに集中していたでしょう。一作目の撮影中に喧嘩が始まったとき、始めはこのまま撮影を続行できるか分かりませんでした。でも次の瞬間、この喧嘩もある意味ドラマチックかもしれない、と思い、そのまま撮影して本編に入れました。結果的にうまくいったと思います。
ペネロープ・スフィーリス監督: まず、『反逆のパンク・ロック』の企画自体はロジャー・コーマンのアイデアではありません。『ザ・デクライン』の経験上、そしてまわりからもパンク・ロックを題材としたドキュメンタリーはほぼ劇場で上映することは出来ないと言われていたので、ならば同じ題材の劇映画の脚本を書こう、ということで始まったのが『反逆のパンク・ロック』でした。そして幸運なことに、インディペンデントの出資者であったバート・ドラギンから製作費の半分を捻出してもらえることになりました。バートは最高な人物で、彼から半額をもらった後に、残りの製作費をなんとかしようと思って脚本を持ってロジャー・コーマンを訪ねました。ロジャーはOKしてくれて残りの半額を出してくれましたが、少し条件がありました。それは、10分おきにセックスかバイオレンスのシーンが無ければ成功しない、ということでした。ですので脚本をリライトしました。結果、元の脚本の予定からは若干セックス、バイオレンス・シーンが増えています。
ペネロープ・スフィーリス監督: ポールが『ザ・メタルイヤーズ』のプロデューサーとして素晴らしい人たちを紹介してくれました。後に『リトル・ミス・サンシャイン』を撮るジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリスです。彼らとは今でもとても仲の良い友達です。彼らはメタルシーンについて私よりもユーモラスな視点で見ていました。私は自分の性格もあり、もっとシリアスなトーンを求めていましたが、彼らはもう少し面白おかしくしたがっていました。私も作品自体はとてもファニーな映画だと思いますが、MEGADETHが出演してくれたことでとてもシリアスなトーンにもなっています。彼らの歌詞と音楽がそうさせるのです。
でも映画に出演してくれたすべてのバンドのことがとても好きです。当時は娘のアナが事務所で働いていて、インタビュー等の交渉やブッキングを行っていました。我々はAEROSMITHやオジー、POISON、そしてレミー! レミーに神の祝福がありますように。そしてKISSのジーンやポールなどのビッグ・ネームたちに出演してもらえて本当に幸運でした。GUNS'N' ROSESに関しては予定していた撮影の前日にマネージャーが撮影のセットを下見に来ました。でもその時に彼はすでにGUNS'N' ROSESのマネージャーとしてホットな存在で、どうなるか分からない映画に出演するというリスクを負いたくないという考えを持っていて結局キャンセルされてしまいました。バンドのメンバーとはすでに会っていて皆出演するつもりで考えてくれていたのに、マネージャーの独断によって話が無くなってしまったのです。でも私はぜんぜん平気でした。結果的にMEGADETHが出演してくれたんだから!
ペネロープ・スフィーリス監督: とても面白い視点での質問ですね。これは初めて聞かれました。映画を作るとき、日が沈む直前の「マジック・アワー」という瞬間があります。その色合いはとても美しく、すべての撮影監督が大好きな瞬間です。しかしその「マジック・アワー」は長くて約4分しか保たれません。私はこのレミーのシーンではその「マジック・アワー」ショットを狙っていました。ですから昼間の映像、「マジック・アワー」の光を浴びた映像、そして夜の映像があるのです。そしてレミーと仕事をするのは最高でした。なぜ彼がそんなに最高かというと、彼のハートはまさにパンクだから。私のすべての質問に対し、彼は最高にカッコいい返答をしてくる。彼はパンクとメタルのコンビネーションにおける究極の存在。ああ、レミーに神の祝福がありますように。
アナ・フォックス: 基本的には事務所で電話の応対をしていました。当時は携帯電話もなく、一件一件ミュージシャンやマネージャーにコンタクトを取らなければなりませんでした。当時私は17歳で、この若いということがいろいろな人との関係や友情を築く上で良かったのかもしれません。みんな何故か若い女の子と話をするのが好きで(笑)、結果的に多くのビッグ・ネームの人たちともつながり、若かった私にとってはそんな大物たちとやりとりしている、ということが信じられないことで刺激的でした。実際にMOTLEY CRUEのニッキー・シックスと一時期付き合っていたこともあって母は怒っていました。
ペネロープ・スフィーリス監督: パンク・ロックの基準と倫理観が変わったとは思いません。それは不変だと思います。でもまわりの状況は変わったと思います。『ザ・デクライン』のときは一種のアートなムーブメントであり、伝統をぶち破る実験のようなニュアンスもありました。しかし三作目のときには単にサバイバル、生存競争のようになっています。『ザ・デクラインⅢ』のパンクスたちは彼らのパンク・ロックの哲学、道徳に頑なです。そしてその生き方に忠実であるがゆえに生活が困難になる。彼らはけっしてセルアウトしない。彼らは『反逆のパンク・ロック』のように同じ価値観と生き方をしている仲間で寄り添い、新たな家族というコミュニティを形成する。
何が普通ではないと思うかと言うと、たとえば『反逆のパンク・ロック』と『ザ・デクラインⅢ』を観た人が、果たして監督である私が未来を予見していたのか?という疑問を持たないのだろうか、ということです。もしくは『ザ・デクラインⅢ』のキッズたちが『反逆のパンク・ロック』を観て同じことをしたのか、ともにスクワッター・パンクス、ガター・パンクスについての映画なので。そういうことを考えないことが不思議です。
ペネロープ・スフィーリス監督: 最も好きなドキュメンタリーの一つはアルバート&デヴィッド・メイスルズ監督の『グレイ・ガーデンズ』(75)です。もうひとつは『モンタレー・ポップ』(67)ですね。『ウッドストック』(70)や『ギミー・シェルター』(70)にはそんなに惹かれません、ワイドショットが多すぎて。
ドキュメンタリー的な感覚の映画ですごく好きなのはコンスタンタン・コスタ=ガヴラス監督の『Z』(69)、後で知ったことですが監督は私の最初のいとこでした。
最も好きなドキュメンタリー監督はフレデリック・ワイズマン。彼の作品は大好きで、映画監督としてどれだけ客観的になれるかという重要なことを教わりました。ワイズマンは単にそこに何があるかを提示する、そしてそれについてどう思うかはあなたが決める。私が優れたドキュメンタリーはそういうものであると思っています。観客をある方向に扇動するようなことはしてはならない。それを愛することもできるし憎むこともできる、どちらかは関係ない。
そしてジョン・カサヴェテスは大好きです。その劇映画ながらもドキュメンタリーのフィーリングと映像スタイルを融合させたことが素晴らしい。彼の映画は脚本に基づいた劇映画であると分かっていても、とてもとてもリアルに感じる。役者の演技も素晴らしい。これらが私の好きなところです。
ペネロープ・スフィーリス監督: 『ウェインズ・ワールド』のとき、ハリウッドのメジャースタジオの幹部たちは「アメリカでの大ヒットおめでとう」と言ってくれつつも、日本では絶対に成功しないとも言われました。でも実際には成功したのです。『ウェインズ・ワールド』や「デクライン」シリーズの日本のファンの皆さんにはとても感謝しています。本当にありがとうございます。
(オフィシャル素材提供)
関連記事