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『クライマー パタゴニアの彼方へ』トークショー

2014-08-20 更新

デビッド・ラマ&平山ユージ

クライマー パタゴニアの彼方へcerrotorre

配給:シンカ
8月30日より新宿ピカデリー他全国ロードショー!
© 2013 Red Bull Media House GmbH

 8月30日より新宿ピカデリー他全国ロードショーとなる『クライマー パタゴニアの彼方へ』の日本公開を記念して、本作に出演しているデビッド・ラマが急遽、オーストリアから来日し、日本におけるクライミングの第一人者である平山ユージが出迎え、二人の熱い“クライミング“トークが行われた。


日本の印象はいかがですか?

デビッド・ラマ: とにかく日本に来ることが出来て、嬉しいです。この映画をみんな楽しんで欲しいです。


日本のクライマーの印象は?

デビッド・ラマ: 私の友人でもあり、尊敬もしております平山ユージさんです 強いだけではなく、美しいクライミングが魅力的でした。


 平山ユージが登場。


当時のデビッドの印象はどんな感じでしたか?

平山ユージ: ワルガキですね(笑)。動物のようなしなやかなクライミングが印象的でした。


デビッド・ラマがセロトーレに挑戦すると聞いたときはどう思いましたか?

平山ユージ: 太平洋の風と、大西洋の風が混ざり合う場所で、非常に過酷な気象条件のセロトーレでフリークライムをするなんて、本当に頭がおかしいと思ってました(笑)。


無謀とも呼ばれるチャレンジをなぜやろうと思ったんですか?

デビッド・ラマ: 不可能と言われたのでチャレンジしました。誰もやったことないというのはそれだけチャンスがあるということです。当時は、セロトーレは登頂不可能な山と呼ばれていましたが、自分には出来ると思っていました。


本日は8月11日で、2年後の2016年から祝日に制定されることが決定されましたが、お二人にとって山の魅力とはなんでしょうか?

cerrotorre平山ユージ: たくさんの緑ですね。都会でアクティブに汗を流すことはできますが、自然の中で汗を流すことが出来るのは何よりも魅力的です。

デビッド・ラマ: 同感です。山は大いに遊べる場所です。そして自分にとっては、自分の夢を叶える場所です。山を見たときに自分はコースのラインが見えるんです。他の人にはそのようなラインが見えないんですが、自分が切り開いて登頂に成功したら、他の人にも見せてあげることができるようになります。これは、一つのアートの形でもあるかなと思います。


お二人から日本での公開を楽しみにしている方へメッセージをお願いします。

hotroad平山ユージ: デビッドが不可能を可能にするから魅力があると言ってましたが、不可能とされていた山が可能になっていく様を楽しんで欲しいです。

デビッド・ラマ: 自分が何かをしようと思った時に最初に抱いたビジョンをぶれずに、持ち続けそれをやり通すということを、この映画を観てもらえれば感じとってもらえると思います。今回のチャレンジも沢山の障害をクリアして成功させることができました。でもこれは普段の生活でも同じだと思います。何かを難しいと思わずにチャレンジしていって成功することが成長にも繋がりますし、最初のビジョンをぶれずにやることが大事だと思いますし、それは非常に価値があることだと思います。


【デビッド・ラマ PROFILE】

 1990年オーストリア出身。クライミング界の若き天才。
 ネパール出身の山岳ガイドの父と、ウィンター・スポーツの地として有名なオーストリア・インスブルック出身の母を持つ。2005年にユースの大会でワールド・チャンピオンになると、弱冠15歳にしてシニアのワールド・カップへの出場を特別に許可される。1年目のシーズンでは、史上最年少で世界王者の栄冠を手にすると、その後も勢いは止まらずヨーロッパのチャンピオンシップで2つのタイトルを獲得。
 本作では″セロトーレ″南東稜のフリー化に挑む。

【平山ユージ PROFILE】

 1969年2月23日東京都出身。日本のプロ・フリークライマー。
 15歳からクライミングを始め日本国内の難関ルートを次々に踏破。高校在学時、既に日本のトップクライマーの仲間入りを果たす。
 17歳でアメリカ合衆国へ渡り、半年間フリー・クライミングのトレーニングを積んだ。19歳の時に単身フリー・クライミングの本場ヨーロッパへ渡り、フランス・マルセイユを拠点に数々の国際クライミング・コンペに出場し、1989年のフランケンユーラ・カップ優勝をはじめ上位入賞の好成績を残す。


(オフィシャル素材提供)



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