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記者会見

トップページ > 記者会見 > 『The Cut』第71回ヴェネチア国際映画祭 公式記者会見

『The Cut』
第71回ヴェネチア国際映画祭 公式記者会見

2014-10-03 更新

ファティ・アキン監督、タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、ヒンディ・ザーラ
マーディク・マーティン(共同脚本家)、アレクサンダー・ハッケ(音楽)ほか

thecut


1915年に始まったと言われるオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を背景に、辛くも生き残ったアルメニア人男性が娘たちを探し求める過酷な旅を描いた『The Cut』。難しいテーマに挑戦した異才ファティ・アキン監督の本作は第71回ヴェネチア国際映画祭でコンペティション部門に選ばれ、公式記者会見では監督をはじめ、スタッフ・キャストが出席した。


 会見が始まる前、ファティ・アキン監督自ら、共同脚本を務めたマーディク・マーティンを「この方は『ミーン・ストリート』や『ニューヨーク・ニューヨーク』、『レイジング・ブル』の脚本家だ」と紹介し、記者席から歓声と大きな拍手が贈られた。マーディク・マーティンが脚本に携わったのは『レイジング・ブル』以来、実に34年ぶりだった。

マーディク・マーティン: 私は、カリフォルニアのUSC映画芸術学校で教授を務めながら、ゆったりと年金生活を送っていたんだが、そこからまたこの身を無理やり引きずり出すことにした。ファティとの仕事を断ることなど私には出来なかったよ。これまで誰一人書く勇気のなかった物語を生み出そうというのだからね。


人道に関する映画を創ることについて、どのようにお考えですか? 人道をテーマにした場合、時には命の危険に及ぶこともあるのでは?

ファティ・アキン監督: 僕は心に訴えかける映画を創りたいんだ。芸術というのは命を懸けるだけの価値があると思っている。7~8年前からこの映画に対するリアクションには心の準備をしてきた。覚悟はできている。何があっても全く驚かない。それほど深刻な話じゃないんだが、実際に脅迫は受けた。でもまあ、ものすごく悩ませられるのでなければ別にいいんだ。映画に対する、それほど重要ではない小さなリアクションだと考えている。


どの程度、現実からいわば“剽窃”していますか? 例えば、石鹸工場の主人オマール・ナスレディンはユダヤ人を助けたシンドラーのような存在ですね? 彼のみならず、非人道的な虐殺が行われる中で、危険を冒してもアルメニア人を救う兵士などが登場していました。

ファティ・アキン監督: まずはマーディクに答えてほしい。

thecutマーディク・マーティン: この質問に先に答えさせてくれてありがとう。これは真実の物語だ。現実の人生が反映されている。ただ一人の人物からというわけではないが、脚本を書き進めながら、様々な人々の体験を組み合わせ、一人の人物に集約した。私は芸術のことは頭にはなく、ただひとつの物語を語りたいと思ったんだ。ずっとそうしてきた。例えば、ある男が妻のところに帰ってきて、どのようにしてレイヨウを殺したかを語り始める。これが前置きとなる物語だ。そして一人の男の物語が始まる。ファティともこのようにして物語を創っていった。彼のアイデアと私のアイデアをまとめ上げる作業は素晴らしく上手くいった。

ファティ・アキン監督: マーディク、どうもありがとう。彼は僕の師なんだ。USC映画芸術学校で教えを受けた。
 僕は友人数人と共に、主人公が辿る道を実際に旅した。シリアのアレッポから旅を始めたんだが、コンサルタントや歴史家など大勢の方々に出会い、随分助けていただいた。彼らに「この映画の主人公のような人々を、どういう場所で匿えただろう?」と尋ねたところ、大勢の人々がパン屋で匿ってもらったと言っていた。パン屋だったら周りにいくらでもパンがあって、匿われた状態でも食べるものには困らないからね。スープ工場だったらスープを飲めただろう。僕は、アレッポに実在するスープ工場にも行ったんだ。100年以上も続いている工場だ。こうした場所を実際に訪れることで、主人公がどのようにして生き延びたのかを想像することができた。

マーディク・マーティン: 脚本家は机に向かったまま物語を創っていると考える人も多いと思うが、私たちは物語を語る上で常に最良の方策を探り続けた。一つひとつのことが何を意味しているのか、どうしたら真実らしく見えるかを話し合いながら創り上げたんだ。真実を語る物語にすることだけを考えた。100年後も人々は、私たちが創り上げた物語を信じられるに違いないと思っている。私が関わった作品の多くは100年後も生き残っていると信じているんだ。答えになっているかな?


この映画はあたかも、2つの映画が一つになっている印象を受けました。また、主人公はアメリカに渡りますが、アルメニア人とアメリカ先住民は、それぞれがさらされてきた暴力の歴史において対比されているように見えました。そのことについて語っていただけますか?

thecutファティ・アキン監督: 僕は、特にトルコの人々とある種の考え方を共有したかった。だから、主人公や物語に対する「共感」という感情をかき立てざるを得なかったんだ。主人公の国籍がアルメニアであるということで共感を抱くのがとりわけ難しい人々が、彼の思いを理解し自分自身を重ね合わせられるよう、僕はトリックを利用した。自己同一化の境界を広げさせるために、僕が採用した方法のひとつがアメリカ先住民虐殺を描くことだった。アルメニア人虐殺の事実を否定している人々に理解を促すひとつのきっかけとしてね。彼らもその瞬間は主人公と心を重ねられるのではないかと思った。
 2つの映画が一つになっているように見えたということに関しては、僕はできる限りジャンル映画の手法に従おうとした。映画を創る者として、可能な限り多くの人々にこの映画を観てほしかったので。最後のほうで、虐殺から生き残ったアルメニア人たちが今度は、トルコの兵士たちに石を投げるね。この時点で映画の中心から敵役たちが消える。でもこの映画はただ単に主人公と敵をめぐる物語じゃない。生き延びること、探し求めること、見出すこと……さまざまな要素が詰め込まれている。僕には語りたいことが山ほどあるんだ。重要なことに集中しなくてはいけないと、マーディクが僕を導いてくれた。彼に何度も言われたよ、「一度に焼く肉が多すぎてはいけない」と。


これまで何故、アルメニア人虐殺は映画で描かれることがほとんどなかったのでしょうか。

ファティ・アキン監督: この質問に関しては、僕の友人でアルメニア人でもある俳優のシモン・アブカリアンに答えてほしい。

thecutシモン・アブカリアン: 質問に答える前に言わせていただきたいのは、ファティのこの映画はまさしく、アルメニア人がずっと待ち望んでいたものに他ならなかった。それまでは誰もが「1本でもいいから、いつになったらアルメニア人虐殺についての映画が創られるんだ?」といつも言っていたものだ。とにかく長い時間が必要だった。虐殺後の第一世代はただひたすら生き延びなくてはならず、第二世代は生活しなくてはならず、第三世代はただ反発した。さらには、アルメニア人虐殺に対する認識を再確認する作業も必要だった。私が思うに、このようなテーマを扱う場合、1本の映画では十分ではない。何本か創られなくてはならないだろう。また、トルコ政府はアルメニア問題に関して映画でどのような語られ方をされるか、十分自覚している。トルコの圧力団体は可能な限り、この種の映画には干渉してくる。アナトリアで生きる人々については、描くべきことなど大してないかのように見せかけたいわけだ。こういう形で介入されてきたことも、アルメニア人虐殺をテーマにした映画が創られなかった理由だろう。


主人公は信仰を失いますが、そのほうが観客の共感を得られやすいと考えての選択ですか?

ファティ・アキン監督: 僕のアイデアはこうだった。主人公の旅はさまざまな村、国を巡るという地理的なものだけではなく、魂の軌跡でもあってほしかった。この物語のどこかに光を灯したかったんだ。非常に信仰心の強い人物が、その人生において大きな悲劇に遭って信仰を失うけれども、その長く厳しい旅を続けるうちに、ある種の聖性、希望を見出していく。希望があるとき、それは何かしら聖なる形をとることがある。それが主人公の辿った魂の軌跡なんだ。宗教のドグマから自らを解き放った後、神秘的な感覚に襲われる。宗教を巡るこのような心の旅は僕自身、経験したことがあるんだ。そうしたこと全てを主人公に投影したいと思った。


主人公の妻が口ずさみ、他のシーンでも聞こえてきた歌は、何か特別な意味があるのですか?

thecutアレクサンダー・ハッケ: 私たちは、人々にとってアイデンティティーを形作る一要素となり得るような歌を探していた。政治的な意味合いを強烈に含んだ歌というのはたくさんある。例えば、ある歌についてトルコ人は自分たちの歌だと言い、アルメニア人はアルメニアが出自だと主張するような。でも、あの歌は子守唄だ。子守唄というのは独特の心理的効果を生み出すもので、世界中のどの国のものであっても、メロディーはどれも似ている。つまり、子守唄はあらゆる人々に共通の思いをかきたて、自分はどこかに帰属していると感じさせ、自分の家にいるような懐かしさを覚えさせる。こうした感覚を引き起こすのが子守唄だ。音楽というのは自分自身を確認できる最良の道を示すものだと言えるのではないかな。だから私たちは子守唄を選んだんだ。子守唄は自分自身の母親とつながるものだからね。


メインの言語として、どうして英語を採用したのですか? 映画を売るためには必要なことだったのかもしれませんが、真実味が薄まる恐れはあったのでは?

thecutファティ・アキン監督: 僕はヒップホップ・カルチャーの中で育った人間なんだよ。僕たちが常に避けているのは、映画を売るために何かをすることだ。英語を採用したのはマーケティングのためじゃない。まず第一に、僕はアーティストだ。監督として自分が撮影しているもの全てをコントロールしたい。台詞も同様だ。ベルトルッチの『ラストエンペラー』は英語だった。ポランスキーも『戦場のピアニスト』を英語で撮ったね。僕もこのやり方を取り入れたまでだ。撮影に集中しているとき、「そのアクセントは違う!」と言語トレーナーに中断されるのはまっぴらだ。僕は一度イタリア語で映画を撮ったことがあるので、自分がコントロールできない言語で映画を撮るのがどれほど最悪かよく分かっている。2001年に撮った『Solino』という映画のことだけど、つまり、僕にはすでにこうした経験があったんだ。だから今回は英語でやろうと決心した。

thecut それに、もしもアルメニア語でやっていたとしたら、どこのアルメニア語にすべきかまで考える必要があった。というのは、東アルメニア語と西アルメニア語があって、かなり違いがあるんだ。だから大きな混乱を招いていただろう。二つの異なった言語と言ってもいいくらい違っているんだ。それに、もしも西アルメニア語を採用していたとしたら、キャスティングできる俳優はごく少数だ。でも僕は、何としてもタハールに主演してほしかった。彼こそが僕の求める俳優だったんだ。彼がアルジェリア人であろうと、フランスで育っていようとそんなことは関係なかった。だから、英語で撮影することにしたんだ。
 また、俳優について話しているので、付け加えたいことがある。僕はキャスティング・ディレクターに心から感謝したい。とても素晴らしいキャスティングをしてくれた。ベアトリーチェ・クリューガーさん、お立ちください。それにもう一方、お立ちいただきたいです。僕の偉大なる撮影監督、いつもそばにいてくださったライナー・クラウスマンさんです。

シモン・アブカリアン: 一言だけ付け加えさせていただきたいことがある。正当化するわけじゃないけど、このことだけは言っておきたいんだ。この映画が英語で創られたからといって、アルメニア人たちが気を悪くしたということは一切ない。むしろ、自分たちが英語を話してる!と大喜びだったよ(笑)。


ファクトリー・ティータイム

 36歳までにベルリン、カンヌ、ヴェネチアの三大映画祭で賞を受けた異才ファティ・アキン。ユニークなの感性とストーリー・テリングで常にその新作が世界の映画ファンに待ち望まれている監督が、自らテーマとしてきた「愛・死・悪」3部作の最終章となる本作を撮り上げ、第71回ヴェネチア国際映画祭に招かれた。トルコ系ドイツ人でありながら、秘められていたトルコの黒歴史のひとつとも言えるアルメニア人虐殺をこの映画によって世界に知らしめた監督。生存者である主人公の娘たちを探す旅が多少冗長にも思えたものの、現在の不穏な国際情勢の中でこの衝撃的な史実に光を当てた勇気には頭が下がる。40歳を超えた監督が次のどのようなテーマを探っているのか、興味が尽きない。

(取材・文:Maori Matsuura、photos:71th Venezia Film Festival official materials)



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