インタビュー・記者会見等、映画の“いま”をリポート!

Cinema Factory

Cinema Flash




広告募集中

このサイトをご覧になるには、Windows Media Playerが必要です。
Windows Madia Player ダウンロード
Windows Media Playerをダウンロードする

舞台挨拶・イベント

トップページ > 舞台挨拶・イベント > 『タリウム少女の毒殺日記』早稲田大学上映会+公開対談

『タリウム少女の毒殺日記』
早稲田大学上映会+公開対談

2013-06-21 更新

土屋 豊監督、林 真理(工学院大学教授)


<h3>『thallium

配給:アップリンク
2013年7月6日(土) 渋谷アップリンクほか全国順次公開

 2005年にタリウムによる母親毒殺未遂事件を起こして世間を騒がせた「タリウム少女」をモチーフとした映画『タリウム少女の毒殺日記』が、7月6日ついに公開となる。本作の公開を前に16th metaPhorest Seminar 『タリウム少女の毒殺日記』上映会+公開対談が、早稲田大学 先端生命医科学センター(TWIns)にて開催された。

 本作監督の土屋 豊との対談を行ったのは、科学論・生命論が専門家の工学院大学教授である林 真理(はやし まこと)。このテーマに興味のある観客が詰めかけ、上映後のトークショーでは、本作をバイオメディア・アートの観点から紐解き、メディアリテラシーから生命倫理にまで触れる、濃い内容の対談となった。観客からも質問や、否定的意見も飛び交い、アツいひと時となった。

【metaPhorest Seminarとは?】

生命や生命科学の文化的・歴史的な側面に関する研究者やアーティストを招き、「アートにおける生命表現」や「生命科学の文学史」などに関する、第一線の研究や取り組みを紹介している。


林 真理教授: もともとこの時代で科学的な概念が変わっていくのに興味がありましたので、IPS細胞や遺伝子組み換えが対象として取り上げられている本作に興味がありました。本作で少女は人間と動物を同じモノと見ていますが、人間と動物は違い、人間にはダメで動物にはOKというのはおかしいと思います。人間は特別に自由、人権をもっているからというのは、私たちが作り上げた環境です。生物と人間の境界線を示されたから、自分の意志でコントロールしているだけです。

土屋 豊監督: タリウム少女は、その(生物と人間の)境界線を提示しています。

林 真理教授: そうやって提示するのであれば、彼女自身が自分をコントロールするのは矛盾するのでは?

土屋 豊監督: 少女自身も、自分で自分をコントロールすることの、そのもの自体のあやふやさはあります。だがあやふやでは終わりたくなかった、やりきろうという覚悟がありました。

林 真理教授: プログラムの対義語は、途中で「物語」から「神様」に変わります。日本でいう日常用語的な「神様」という意味で使われているからしっくりきますが、これが海外だったら大変かなと。非常に日本的な、子供に何か説明するときのような意味合いで使っていたのが印象的でした。

土屋 豊監督: ロッテルダム映画祭の観客から、「(自国では)身体改造やDNAを変えることという考え方が認知されていない。日本では認知されているんですね」と言われました。また、宗教的な観点からの生理的な違和感や、ちゃんと考えた上での観念的な違和感はあったと思います。そんな抵抗は感じました。

林 真理教授: 身体改造アーティストの方は与えられた身体のプログラムを改変していこうという主体的な自己として捉えられました。でも体って自分の思った通りにはならないと思います。思った通りにならないから、面白いわけですね。


(オフィシャル素材提供)


関連記事

Page Top