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『イノセント・ガーデン』 オフィシャル・インタビュー

2013-06-07 更新

パク・チャヌク監督


イノセント・ガーデンsatsujin
© 2012 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

パク・チャヌク監督

 1963年、韓国、ソウル生まれ。映画監督、脚本家、プロデューサー。現代の映画界に欠かせない逸材の一人として高く評価されている。
 ソガン大学哲学科在学中に映画クラブを設立、映画評論に取り組む。2000年、『JSA』で当時の韓国歴代最高の興行成績を記録する。2003年には、『オールド・ボーイ』でカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞、世界にその名を知られる。続く『親切なクムジャさん』(05)では、ヴェネツィア映画祭のコンペ部門で受賞、ヨーロッパ映画賞にノミネートされる。2009年、『渇き』でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞する。2011年、全編をアップルのアイフォンで撮影した短編『Night Fishing』(原題:Paranmanjang)で、ベルリン国際映画祭金熊賞(短編部門)を受賞する。
 その他の監督作は、『復讐者に憐れみを』(02)、オムニバス映画『もし、あなたなら ~6つの視線』(03)の『N.E.P.A.L. 平和と愛は終わらない』、オムニバス映画『美しい夜、残酷な朝』(04)の『cut』、『サイボーグでも大丈夫』(06)など。

 『オールド・ボーイ』『渇き』など、あらゆるタブーとバイオレンスを描きながら、抒情的な美しさをもたらす作品を作り続け、全世界で高い評価を受けている韓国映画界の奇才・パク・チャヌク監督が、ハリウッドからのオファーを受けて完成させた最新作『イノセント・ガーデン』。「プリズン・ブレイク」で主演のウェントワース・ミラーが、自身の名を隠して執筆し8年の歳月をかけて完成した脚本に惚れ込み、初めてアメリカ映画を手がけた監督のインタビューが届いた。


どうして『イノセント・ガーデン』を初のアメリカ映画に選んだんですか?

 実は、アメリカ映画を作ろうと決めていたわけではなかった。どんな言語を使うかに関係なく、すばらしい脚本が手に入るのを待っていたところだった。もちろん、自分でも脚本を執筆しているが、時には、他の人が書いたものに取り組んでみたいと思う。本作は、あの当時受け取った脚本の中で一番の可能性を感じたものだった。これだけの力を持った脚本だったら、英語とかフランス語とかどんな言語でも、世界のどこでも映画にできると思っていた。


ウェントワース・ミラーが書いた脚本は、まさにあなたがこれまで描き続けてきた複雑な愛情についての話で、まるであなたに撮ってもらえるのを待っていたのかとさえ思えます。初めて脚本を読んだ時の感想を教えてください。

innocentgarden そういう風に多くの人から言ってもらっているが、私が思うに、この作品は余白の多いシナリオだった。特にアメリカの脚本は大体どの監督が作っても大体同じような作品になるのではないのではないか、というものが多い。それがいいとか悪いということではなくて、彼が書いたものは余白の多い脚本だった。監督が自分の想像力を発揮して色々と満たしていける要素がとても強かった。だから、どういう想像力で満たしていくのかというのは私の演出によって変わっていくし、他の監督が撮ったとしたら別のものに生まれ変わっていたと思う。言い換えると、こういった脚本こそ本当にやりたいと思えるような、監督の息のかかったものになりそうなものだという印象を持った。


本作はどういうタイプのストーリーですか?

 多少ひねりの加わったラブ・ストーリーだと言いたい。本作ではセクシュアリティが重要な役割を担う。チャーリー叔父の兄への愛情、インディアに対する愛、その愛が変化する対象。インディアが抱く父、母、叔父チャーリーへの愛、エヴィの他の3人に対する愛情において。要するに、本作に登場する3人の主要キャラクターと4人目のキャラクターである父リチャードは互いに、愛と憎悪の気持ちを抱き、とても複雑でゆがんだ関係を築く。その一部は近親相姦のようなものであり、単なる見せかけの部分もあるし、愛が憎しみに変わるところもある。ひどく複雑に入り組んでいるが、基本的にはラブ・ストーリーと言えるものだ。


本作にとってキャスティングはどれほど重要でしたか? ミア・ワシコウスカにニコール・キッドマン、マシュー・グードの3人のキャストについて教えていただけますか?

 本作は3人で構成され、この3人がほとんどすべてのシーンの原動力となっている。屋敷を除けば、他に見るものはあまりない。大がかりなカー・チェースのようなものはないし、本作では最初から最後まで、この3人の役者の顔を見るシーンばかりだ。だからこそ……もちろん、キャスティングが重要でないような映画など存在しないが、本作ではキャスティングは特に重要だった。そのため、我々はすばらしい役者を慎重に探した。とても運が良かったのか、脚本が良かったせいか、最高の役者を起用できた。そうならずに、キャスティングがぴったりこなかったら、私はおそらく、本作を諦めていただろう。観客は何も見るものがなくなってしまうからね。

innocentgarden 二コールは演技をする機械のようなものだ。もちろん、彼女は私が見ていない所で準備や練習をしているのだろうが、詳しい指示を出さなくても、あるいは、ほんのいくつかキー・ワードを出しただけで、彼女はわけなく理解してしまう。少なくとも私が見ている限りではそうだった。それだけではなく、すべてワン・テイクのうちに、彼女はいくつもの違った雰囲気や人格を続けて演じ分けることができる。彼女があれほどさまざまな演技をたやすく、ごく自然にやってのけたので本当に驚いた。

 ミアの演技はとても統制されて抑えたものだ。普通、彼女ぐらいの年齢の役者は強い表現を使いすぎたり、感傷主義にとらわれたり、過剰に演技をしてしまうことが多いものだ。なぜなら、若い人たち熱心に欲しているからだ。注目されて演技が上手いと賞賛されたいと思っているせいだ。でも、ミアは驚くほど抑えた演技をする。必要でない時にはあまり見せすぎず、代わりに感情を隠すことで、観客の好奇心や注意をとらえるやり方を知っていると思う。

 マシューは本作でとても暴力的で邪悪なキャラクターを演じているが、彼が生まれつき持っている魅力や好感を抱かせる天真爛漫なところ、子供のような、いたずら好きな子供のようなところは、彼のキャラクターにまさにぴったりだった。一見すると、マシューはいたずら好きな少年とか、冗談好きな人に見えるが、いったん演技を始めると、実は賢い計算をし、キャラクターや作品を理性的に解釈していることが分かるんだ。


韓国と比べてアメリカで監督する上での本質的な違いは何ですか?

 とても実際的な例をあげたほうがいいだろうね。プリ・プロダクションと実際の製作に関して、韓国ではもっと時間をかける。一方で、アメリカではポスト・プロにとても長い時間をかける。韓国映画を作る時には、セットではとてもリラックスした状況で進めていく。役者やスタッフと話し合いをしながら各ショット、各テイクを撮影し、一緒に編集までやることもある。私はそういうゆっくりしたやり方を楽しんでいた。それに比べて、アメリカでは何もかもとてもあわただしく、急いでいて半狂乱に近いから、慣れるまでは苦労した。最後には、そういうふうにすばやく進めるのも時にはいいかもしれないと思うようになった。ペースが徐々にクライマックスに達し、だらだらとすることなく、勢いに乗って進めることができるからね。2つのやり方には賛否両方あると思う。

innocentgarden 商業映画を作る過程というのは、時期や場所にかかわらず、基本的に妥協の連続だ。すべてが妥協によって決定されるプロセスだ。一定の条件のなかに自分の望むものをマッチさせなければならない点や、基準のレベルを下げることなく、質を変えて、もっとよいものに変換させることで調整ができるかどうかという点に問題がある。今回の経験を通してそういう問題に対処できるように努力したし、何も失ってはいないと確信している。

 韓国での大勢の人が集まってテイクを見ながら、一緒に編集をしつつ、次をどう撮影するか話し合いながら進める方法は、必ずしもいいとは言えない。このやり方だと、時には他の人の意見にそそのかされて、間違った判断をしてしまうこともある。このやり方ではペースが落ちるし、体力を消耗するから、結局、役者は演技のエネルギーを使い果たすことになる。これらは反対意見の一部だ。従って、どんな環境でも、その環境や状況のメリットを見つけて、それに焦点を絞ることが大切だ。


靴や指輪は贈る相手のサイズが分からないとかえって嫌がられるプレゼントです。チャーリーがインディアに毎年靴を贈るというものは監督のアイデアだそうですが、それに込めた狙いは何だったのでしょうか? その他に監督のアイデアが盛り込まれている場面があれば教えてください。

 ウェントワース・ミラーが書いたもともとの脚本にあったのは、インディアは風変りな女の子で、なぜだか分からないけどサドル・シューズばかりにこだわって履いているというくだりだった。そのことを想像してふくらませて、そのアイデアを思い付いた。幼い子には “あしながおじさん”を待っているようなところがある。誰かどこかに自分だけを守ってくれる未知の存在がいるんじゃないか、と。innocentgardenこの映画の中には、自分のことを忘れずに毎年毎年プレゼントをしてくれる人がいて、自分の成長を知ってくれていて、自分の足に合った靴を毎年くれるという、そういうところを結び付けられるのではないかと思った。それを入れることによって少女の感性を生かせるし、おとぎばなしの部分を仕掛けとして入れられるという思いもあって、そのアイデアを出した。大人になってからはサドル・シューズを卒業してハイヒールを履くことになるが、それも魅力的だ。
 撮影現場では、チャーリーがインディアにハイヒールを履かせる儀式は、“戴冠式のシーン”と呼んでいた。履かせる側はまるで騎士のようにひざまづいて、女王様に王冠をかぶせるような、そんな意味合いがある。狩りの場面も新たに付け加えた。


本作にはもう一つ重要なキャラクターとして自然が役を果たしているようです。自然は、ストーリーや登場人物の両方にとってどれほど重要でしたか? また、庭に置かれている丸い石がとても印象的です。その意味を教えてください。

 確かに、本作には自然についてのメタファーがたくさんある。インディアは自分が持つ性質、その正体に気づいていない。彼女は自分の本性が分からないためにまだ混乱している。チャーリー伯父が現われて、外側から殻をつつき、彼女が殻を破る手伝いをする。結局のところ、この映画は、とてもか弱いヒナが自分の正体を知らないまま、卵の殻を破ろうと内側からつっつき、もう一人が外側からつついて手を貸している話だと言える。ヒナは最後には殻を破り、自分が猛禽だったことに気づき、大きな翼を広げて飛び立ち、ついには山から去って行くんだ。
 この映画を作るにあたって資料を色々見ていて分かったことだが、西洋式の庭園にはああいう丸い大きな石が多いようだ。卵の殻にも言えることだが、視覚的にも丸いものが有効だと思って取り入れることにした。


本作にはとても古い感じがあって、時代を超えたクォリティのようなものです。現代の映画ファンはどのように共感できるとお考えですか?

 こんなふうに説明してみようか。キューブリックや他の多くの巨匠の映画が同じ形式で作られ、新作映画として封切られたとしたら、今の観客は古い映画だと考えるだろうか? そうは考えないだろう。同じ一本の作品だとしても、今の新しい映画だったら、観客は絶賛するだろう。時代が変わってもそれほど大きな違いはないと思うが、すばらしい映画の価値は学者や批評家だけでなく、一般の観客にも分かるはずだ。だから、私は今の観客をワクワクさせることについては心配していないが、これから50年とか100年後の観客でも楽しませることができるかどうかを気にしている。


一番こだわったシーン、苦労したシーンを教えてください。

innocentgarden インディアとチャーリーのピアノの連弾のシーンを挙げよう。この映画にはふたりの肉体関係のシーンは出てこないが、その代わりと言えるのがこのシーンになっている。ただ楽しんで弾いているだけではなく、ふたりの感情、心の交流、それを超えた肉体的な交流という風に感じとってもらえるような、そういうエロティシズムを見せたかった。とても重要なシーンだが、実際演じたふたりはピアノが全く弾けなかったので、練習するためにも曲が必要だった製作に入る前にフィリップ・グラスにお願いして、先に曲を作ってもらった。ふたりはかなり早い段階から練習してくれた。その間、私は撮影監督と“どういうショットでこのシーンを撮ったらいいのか”ということを悩みつつ考えていた。曲の雰囲気に合わせて撮りたかったので、“このフレーズのところではこのアングルにしよう”とか、楽譜全体を前にしてひとつひとつ分析しながら事前に準備していたんだ。


監督が『イノセント・ガーデン』という邦題を気に入ってくださっていると聞きました。その理由を教えてください。

 アメリカで作られたインターナショナルバージョンのポスターのキャッチコピーが、“INNOCENCE ENDS”(純粋さの終わり)だった。この言葉は、この映画の特徴をうまく要約していると感じて、この映画に限らず、今までの自分の映画全てに付けられた全てのポスターのコピーの中で一番気に入ってるんだ。今回日本のタイトルに“イノセント(純粋)”という言葉が入っていて、真っ先に気に入ったことを覚えている。『イノセント・ガーデン』がタイトルになることで、“純粋さの終わり”とは真逆の意味になるから、逆説的な意味を持たせることができると思う。このタイトルを見て実際に映画館に足を運んだ人が、「これは逆説的な邦題だな」と感じてくれたら、映画を充分に理解してくれたことになるし、映画を理解する上でもこのタイトルが助けになるだろう。


ミアとマシューは二人共、セットでのコミュニケーションが素晴らしかったと言っていました。通訳を通して演出することはどうでしたか?

 ミアとマシューがそんなことを言ったなんて驚きだ。撮影中、彼らの質問に対して適切な答えが出せずに何度も大汗をかいたというのに。私はいつでも頭の中に映画全体の完全な地図を持っていると考えているが、セットに行って、役者から質問されると、びっくりして油断していたことに気づかされることもよくあるんだ。『ああ、まだ深く考えていないことがたくさんあった』と思い知らされる。だから、この点は、通訳を通してコミュニケーションをとることの良さかもしれない。困っていることを簡単に隠せるからね。

 <通訳を介すと>会話をするのに通常の2倍の時間がかかるから、大変なことになるだろうと思っていたんだ。でも、人間というのは環境に適応するものだから、結局、不必要なことを詳しく説明しなくなる。そのように意識しているからだ。最後には、普通に<通訳を介さずに>話をするのと同じぐらいの時間になる。もちろん、直接、話をすることに比べたらそれほど親しい関係にはなれないだろう。でも、優れた通訳者というのは、通訳を通して意志の疎通をしていると感じさせないものなんだ。話し合いを始めて、5分とか10分とか続けていると、同じ言葉で話し合っているような気がしてくる。

 韓国から連れてきた撮影監督は、10個ぐらいの英単語だけで、カメラから照明、グリップ・チームまで何もかも人に任せることができた。同じように、私が役者やスタッフと話している時には、お互いに教科書(脚本)を持っていて、会話はいつでもそれを中心にしているから、たやすく理解し合えたんだ。だから、通訳が訳し終わるよりも前に、分かっていることも多かったよ。


日本では「美しいけど恐い」と、メディア関係者の中では、女性のほうからの評価が際立って高くなっています。この映画をどのように観てほしいですか?

innocentgarden 『イノセント・ガーデン』は、女性に観てほしいと思って作った映画でもある。そして、私の娘がインディアと同じ18歳で、娘のことを思いながら作った映画でもある。実際、私の作品の中で一番好きだと言ってくれている。女性に沢山観てもらって、自分の成長過程を振り返ってもらえたら嬉しい。大人になるまでの陣痛は誰にもあると思うが、そういった苦しみがあったな、ということを思い出してもらえたらと思っている。人は、つい邪悪なものに惹かれる時期があると思う。この映画は、そのプロセスをまさに描いているし、キャラクターもそういい部分を随所に見せてくれる映画なので、そういった点も感じてもらえたらいいだろう。


次の作品にはどんな計画がありますか?

 素晴らしい脚本を見つけた時に、新しい映画を作る計画を立てることにしている。アメリカ映画だけではなく、韓国映画も作り続けていくつもりだが、日本とか中国とか、どこでも映画を作る気持ちでいる。


(オフィシャル素材提供)


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