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トップページ > インタビュー > 『線路と娼婦とサッカーボール』チェマ・ロドリゲス監督 インタビュー

チェマ・ロドリゲス監督 インタビュー

2007-12-21 更新

彼女たちは、自分たちの権利回復を訴える手段としてサッカーを選んだのです

線路と娼婦とサッカーボール

チェマ・ロドリゲス監督

1967年スペイン生まれ。17歳の頃から世界各地を旅し始め、これまでに訪れたのは100ヵ国以上。その経験を活かしてトラベル・ライター、作家として活動し、人気を得る。1999年からはドキュメンタリー作品の監督として活動を開始。劇映画の脚本も執筆するなど、多彩な活動を続けている。

配給:アートポート
配給:アニープラネット
12月22日よりシアターN渋谷ほか全国順次公開

 世界各国を訪れた経験からドキュメンタリー映画作家として活動しているスペインのチェマ・ロドリゲス監督が、グアテマラの貧民街に生きる娼婦たちのサッカー・チームの姿を描いた『線路と娼婦とサッカーボール』を携えて来日した。南米の片隅の街で起こった娼婦たちの活動について、世界中を放浪した視点から語ってくれた。

-----この作品で取りあげたグアテマラ・シティの娼婦たちのサッカー・チームについて知ったきっかけは?

 個人的な事情から、グアテマラ・シティには15年ほど前から頻繁に訪れていたが、3年ほど前にグアテマラのストリート・ギャングについての本を書こうと思ったんだ。そこでストリート・ギャングの取材を始めたが、取材を通じて耳にした線路脇の地域に住む娼婦たちがサッカー・チームを作ろうとしている話に興味を持ち、ストリート・ギャングの本は後回しにした。さっそくスペインに戻って3000ドルのビデオ・カメラを買い、再びグアテマラに戻ったわけだ。

-----この映画の撮影を申し込んだ時、彼女たちはどんな反応でしたか?

 それまで彼女たちを取材したマスコミの扱い方が酷かったので、最初は非常にネガティブで、説得をするのには非常に時間がかかったね。私は、彼女たちの人間的な部分を撮りたいと一貫して言ってきた。彼女たちの小屋の中でいつも何が行われているのかは、皆が知っているので取りあげる必要はない。あくまで彼女たちの人間的な部分が知りたいということを、彼女たちだけではなく家族とも一緒に過ごしながら、少しずつ理解してもらったんだ。

-----撮影場所はかなり治安が悪そうですが、撮影中に怖い思いをしたことはありますか?

グアテマラ・シティの線路(リネア)一帯は、売春のだけではなく武器や麻薬の売買が常に行われている地域なので暴力沙汰が絶えないんだが、私たちは政府や市役所などの当局ではなくこのあたりを仕切っているギャングの許可を取ったので、彼らが守ってくれたおかげで危険な目には会わなかったね。

-----この映画の撮影日数はどれぐらいですか?

 撮影前のプリ・プロダクションで6ヵ月かかったが、この期間中に少しずつ彼女たちの信頼を得ることが出来たんだ。その後の撮影自体には約2ヵ月かかり、百数十時間分のビデオを撮った。その後約1年間グアテマラに残り、編集して仕上げたよ。

-----映画に登場する娼婦の皆さんはこれまでの人生で皆虐げられてきたようですが、そんな彼女たちの心を開くのに苦労した点は?

 彼女たちはこれまで虐げられてきた経験を誰かに聞いてほしがっていて、それを吐き出すことによって癒されるわけだ。私自身も、その話を聞くことによって癒される面もあったね。このように、お互いがセラピストのようになったわけだ。撮影の時に難しかったのは、彼女たちの心を開くことよりも、当局との対立だった。私たちはポルノ映画を撮っていると思われていたので、素材を没収されたこともあった。それまでの取材には好奇の目や蔑んだ視点からのものが多かったので、彼女たちのマスコミとカメラに対する不信感さえ除けば、後は難しくなかったね。

-----なぜ、彼女たちはサッカー・チームを結成することを選んだのですか?

 自分たちの権利回復を訴える手段として何が良いのか考えて、サッカーを選んだのだと思う。普通なら、彼女たちがグアテマラ・シティの中央広場で何かを訴えてもすぐに警察に排除されるだけで終わってしまうが、何とかして人の好奇心や注目を集めるためにサッカーを選んだんだ。その結果、サッカーをすることによって、それまでとは違った形でマスコミが彼女たちを追い始めた。CNNまでやってきたんだ。彼女たちは皆同じ場所で商売をしているので、野蛮な方法でお客を取り合うこともあるライバルだったが、サッカーという競技を通じて知った団結や強調といった行為が新鮮だったようだね。

-----映画の最後ではこのサッカー・チームは自然消滅してしまったと紹介されていますが、そのあたりの事情を説明していただけますか?

 映画で描いたのは、彼女たちがサッカー・チームを立ち上げてマスコミに自分たちの尊厳の回復を訴えるまでの過程だが、あそこまで描いたことで当初の目的は達成された。マスコミ側も、あれ以上のニュース・バリューはないと評価してだんだんと解散の方向に向かっていったが、あの映画によって彼女たち自身の内部にも変化が見られたし、距離を取っていた周囲の人たちの中には彼女たちに近づいていく人も出てきた。

-----観客賞を受賞されたベルリン映画祭での反響はいかがでしたか?

 ベルリンだけではなく世界各地の映画祭に出展させていただいたが、そこでの反応は皆同じで、「感動した」と言ってくださったね。彼女たちは社会のはみ出し者だが、人の心の中に自然と入ってくるような個性の持ち主で、生き延びてゆく強さを持っている。周囲の人も映画を観た人たちも最初は半信半疑だったと思うが、自分たちとは全く異なる存在だと思っていた人たちが、同じように夢を持って笑ったり泣いたり喜んだりするという姿に胸を打たれたという話をよく聞くね。東京のスペイン・ラテンアメリカ映画祭では昨日が上映日だったが、私が本当に驚いたのは、上映終了後に日本人の観客の皆さんが予想外にも拍手をして下さったことだ。日本人とは文化が異なり、余り感情を表に出さない人たちだと思っていたんだけど、まさか日本であのような拍手をいただけるとは思っていなかったので、とても感動したよ。Q&Aでも積極的に質問をして下さったので、驚きでもあり幸福でもあったね。

-----劇映画の脚本も書かれているそうですが、それはどういったストーリーですか?

 劇映画は去年出来ましたが、これもサッカーがらみなんだ。モンゴルとサハラ砂漠とアマゾン奥地にいる3人が、どうしてもワールドカップの決勝戦が見たくて引き起こす騒ぎを描いている。もちろん、テレビで見ようとするんだけど、テレビすらない僻地でテレビを見るために画策するコメディ作品なんだ。

-----劇映画の活動も広げていく予定ですか?

 次の劇映画は来年クランクインの予定で、契約書にサインをしたばかりなんだ。アフリカに住むヨーロッパ出身の50代の男性が主人公で、彼は30年来、ちょっと変わった仕事をしている。ある時、ヨーロッパのNGOから、援助物資のトラクターをヨーロッパからアフリカのマリまで運ぶ仕事を頼まれ、息子と一緒にモロッコ、サハラ砂漠、モーリタニアを経由して届けるトラクター・ロード・ムービーだ。

-----17歳の頃から世界各国を旅行しトラベル・ライターとして活躍されてきたそうですが、そういった経験がドキュメンタリーやロード・ムービーの監督をする上で何か影響を与えていますか?

 17歳の時からたくさんの国を旅する機会があったが、いつも持っていたのは人への好奇心だ。旅先で出会った人に近づき、何とかその人を理解しようと努力してきたが、未だに人間とは理解できないものだと思う。本を書いても、ドキュメンタリーやフィクションを撮っていても、旅とは常に離れられない存在だね。現実世界にも興味があるので、これからもフィクションを撮るが、限りなくドキュメンタリーに近い内容になると思っている。

-----今回の来日は初めてですか? 日本で興味を持ったり、ドキュメンタリーを撮ってみたいものはありましたか?

 まだあまり街に出ていないので、もっと見てみたい、日本の社会に入り込んでみたいと思っている。一番興味のある場所は歌舞伎町で、表からは見えない場所で何が起こっているのか、すごく知りたいね。日本人は表面的にはすごく真面目に見えるけど、夜の世界ではどのように過ごしているのか興味があるんだ。きっと、夜の世界ではすごくラテン的なのではないかと思うので、それを知るためにももっと入り込んでいきたいと思う。

-----歌舞伎町はスペインでも有名ですか?

 歌舞伎町の話は人から聞いたんだ。日本に来てからは毎晩通っているんだけど、たぶん、ビルの上のほうの階に面白い世界があるのではないかと思う(笑)。もちろん、セックスだけではなく、いろいろなことに興味を持っている人たちがいるのではないかな? まじめな日本人の隠された部分を、ぜひ見てみたいと思っているんだ。

-----17歳の時に海外旅行を始めたきっかけは、他の国の人や文化に対する興味ですか?

 私にとっての旅とは“逃走”だ。17歳の時の最初の旅立ちは、当時の自分自身、自分自身の過去、自分の置かれた状況から逃れることから始まった。観光で行くのなら楽しいだろうが、自分探しの旅は辛かったね。自分自身を含めた人間というものを知りたいという欲望が私の行動の動機になっているが、私の旅は終わっていないし、その結論も見つけていない。だから、最大の理由は自分自身の暗い過去からの逃走だし、未だに私の旅は逃亡だと思っている。

ファクトリー・ティータイム

終始にこやかに語るチェマ・ロドリゲス監督だが、その創作意欲のルーツにはけっこうシリアスな理由がありそうだ。次回は歌舞伎町のドキュメンタリーをぜひ撮ってほしい。
(文・写真:Kei Hirai)


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