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トップページ > インタビュー > 『once ダブリンの街角で』グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ 合同インタビュー

グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ 合同インタビュー

2007-11-15 更新

once ダブリンの街角で

グレン・ハンサード(右) 、マルケタ・イルグロヴァ(左)

配給:ショウゲート
11月3日(土・祝)、渋谷シネ・アミューズほか全国順次ロードショー
(C)2007 Samson Films Ltd. and Summit Entertainment N.V.

ある日、ある時、ダブリンの街角で、穴の空いたギターを奏でながら歌うストリート・ミュージシャンと若いチェコ移民の女性が出会い、心を通わせた二人からメロディーが生まれていく――。音楽によって結ばれた男女のほのかな愛と友情の物語『once ダブリンの街角で』の公開を前に、アイルランドで人気を誇るバンド、ザ・フレイムスのフロントマンであるグレン・ハンサードと、彼のソロ・アルバムでもコラボレーションしているチェコのミュージシャン、マルケタ・イルグロヴァという主演の二人が来日、合同インタビューで話を聞いた。

-----まずは、ご挨拶をお願いします。

グレン・ハンサード:来てくださってありがとうございます。東京に来てまだ2日目なので、あまり良く眠れていない状況なんだ。時差ボケが残っているので、まだ疲労感を覚えている。でも日本に来られたことはとてもうれしいし、出会った方たちも良い方々ばかりなので、楽しんでいるよ。東京は想像していた場所とは違っていたけど、来られたのは本当に素晴らしい。この映画は世界で注目を集めているので、世界中を旅できるのはとても楽しいよ。東京でも公開されるのでここに来ることができたのは、本当にうれしい。
マルケタ・イルグロヴァ:まず最初に、日本語が話せなくて私たちは申し訳ない気持ちでいることをお伝えしたいわ。私は旅をするのが大好きなんだけど、どこに行っても必ず新しい言葉を学ぶようにしているの。でも日本に来る前は本当に忙しくて、勉強する時間が全くとれなかった。だから、皆さんには本当に申し訳なく感じているわ。私にとって英語は母国語ではないし、皆さんにとってもそうだと思うから、英語で話すのはとても変な気分なの。でも、ありがたいことに通訳さんがいてくださっている。この映画を宣伝するために日本に来られたことをとてもうれしく思っているわ。

-----お二人が出会った経緯をお聞かせください。

グレン・ハンサード:マー(マルケタ)とは6年前に出会った。その頃彼女はまだ13歳で、僕は彼女の父親と知り合いだったので、家に泊まらせてもらっていたんだ。当時、僕はホーム・レコーディングという形でバンドの曲作りをしていたんだけど、たまたま彼女はピアノが弾けるということで、あるとき弾いてもらったら、すごくうまかったんだよね。でも、譜面がない状態で演奏したことがなかったので、即興のやり方も勉強してくれて、彼女は本当に素晴らしかった。そのうち、一緒に歌ってくれるようにもなり、とても勇気ある行動だったと思うけど、チェコなどでコンサートをやるときには、ピアノと歌で参加してくれるようにもなった。
 それで、今回監督を務めた友人のジョン・カーニーがこの映画に出演してくれる女性を探していると聞いたときに、彼女を薦めたんだ。

-----グレンさんは今ではアイルランドの大スターですが、元ストリート・ミュージシャンということで、撮影で久々にストリートに立って歌われた感想をお聞かせください。

グレン・ハンサード:確かに、僕は5年間ほどストリート・ミュージシャンをやっていた。学校の先生がたまたまDJもやっている人だったんだけど、僕が授業に集中できないのを見かねて、「君はあまり知性を使っていない。君はボブ・ディランのアルバムで誰が演奏しているか言うことはできても、ルート9が何であるかも分かっていないだろう?そんなに音楽が好きなのだったら、いったん学校に来るのを止めて、ストリートで音楽をやってみたらどうだ?でも1年後に戻ってきたら、何か理由を見つけて学校を卒業できるようにしてあげるよ」と言ってくれたんだ。それで13歳から、僕はストリートで音楽をやるようになった。町で果物売りをしていた母もOKしてくれたんだ。僕にとっては目が開かれるような経験だったね。世の中のことが良く見えてきた。その頃僕は絵描きの女性と一緒に住み始めるようにもなったんだけど、彼女はとても優しくしてくれたね。
 そんなわけで今回、映画のためにストリートに戻るというのは僕にとって、とても自然なことだった。違和感は全くなかったね。ここ数年、僕のバンドは2万人規模の大きなコンサートなども開くようになったけど、逆に僕にとってはストリートに戻ってプレイするほうが楽だった。だから、すごく楽しめたよ。

-----撮影中、大変だったことはありますか?

グレン・ハンサード:バンドがみんなに知られる存在になってしまったので、通りすがりにみんなが写真を撮ろうとしたり、撮影カメラのほうを見てしまったりということがあったのは大変だったね。声もかけられたし。だから、通りの反対側にカメラを隠して見えないようにして撮影をしたりした。撮影許可を全く取っていなかったということもあるけど。そんなわけで撮影は大変だったけど、僕自身に関してはそんなに大変ではなかったし、とても楽しめたんだ。

-----限られた資金で、撮影期間も非常に短かったということで、とても濃密な時間を過ごされたと思いますが、いかがでしたか? 思い出に残っているシーンについてもお聞かせください。

グレン・ハンサード:金銭的および時間的に制限されていると、人は一層クリエイティブになれると思うんだ。全く選択の余地がないからね。 17日間という短い撮影期間で、新しい曲も必要だったので、朝6時から夜7時まで撮影をして、その後は曲も書かなければならなかった。すごく濃密な時間だったね。そんな風に時間が限られているときは、例えば音楽業界だったら、アルバムの発表パーティの日取りを先に決めてしまうのが一番良いのかもしれない。その日に向かって必死に仕上げようと頑張るからね。時間と金銭的な制限があれば、逆に人は信じられないくらいクリエイティブな力を発揮するものだよ。たとえ貧しくてお金がなくても、母親は1週間分の家族の食料を何とかしたりするみたいにね。今回の映画も同じことだった。僕らには金がなくて、曲が必要で、何かを間違えてる時間などなかったんだ。だから、何もかもうまくやったよ。そうする他なかったからね。
 映画の撮影中に起こったことで印象に残っていることが一つある。僕がストリートで歌っているときにお金が盗まれるシーンで、撮影中は、道路の向かい側にある家のドアの影にカメラが隠されていて、もちろん一般の人たちはそのことを知らないわけだ。僕の周りでうろちょろしていた男がお金をとって逃げようとするシーンを撮っていたときに、ある男性が俳優を追いかけていって股間を思いっきり蹴り上げたんだよ(笑)。やられた彼も殴りかかっていったので、僕が止めに入って「映画の撮影をしてるんだ!」と言ってしまったんだ。すると監督のジョンが出てきて、「グレン、なんで言ってしまうんだ!撮影してたのに……」と、逆に怒られてしまった。でも、これはみんなに対して無責任なやり方だったと思うね。一般の人たちは何も知らなかったわけだし、演じている俳優にとっても危険な状況だった。結局、撮影するたびに、盗む役の彼が誰かに追いかけられたりしたので、このシーンは3回撮影するハメになったよ。

-----素敵な曲がたくさん使われていますが、曲作りに関してエピソードがあればお聞かせください。お二人で作った曲はどのように生まれたのですか?

マルケタ・イルグロヴァ:曲作りというのは科学ではないので、説明できないわ。曲作りの決まりごとといったものはないから。いつだって曲は違った状況、違った形で生まれてくる。心から生まれてくるものでなくてはいけないし、知性も大切。撮影の状況は本当に混沌としていたけど、自分が生きている一瞬の流れの中でひらめきがあったりして、そこにリアルなマジックがあったと思うの。アートというのはそうした状況からこそ良いものが生まれるものなのじゃないかしら。心で生まれるもので、論理じゃないわ。そうやって曲が生まれていったのは素晴らしい体験だったけど、インスピレーションがどこから来たのかを伝えようとすると、それは自分自身でも分からない。グレンと一緒に作っていったけど、それぞれがどれくらいの割合で……ということも言えないわ。
グレン・ハンサード:心臓(ハート)は単に血液を押し流す器官で、人はそこに感情を読み込みがちだけど、頭も重要な部分だ。その頭とハートは全く交感していないもので、ほとんど共通性のない二つの身体器官のようにも思える。曲作りというのはとても奇妙なもので、それは例えば、全く会話をしない状況にある兄弟が一瞬だけ話すような機会があったときにも似て、その互いの距離感が良いエモーション、良い曲を生み出すんじゃないかと思うんだ。今回の映画でいえば、恋人がどこか遠くに旅立ってしまって、新しい人と出会ったとき、恋人との関係は壊れてしまうのか修復されるのかは分からないわけで、曲を作るには自分がその状況にあると想定して考えるしかない。曲はそうした中から生まれてきたりする。トム・ウェイツがうまく言っているんだけど、「良い土の中に自分自身を置いて、その土に水をやり、窓辺に置いて日に当て、そこで何かが育つのを見守るしかない」と。曲作りというのは基本的に、そういうものだと思うよ。

-----【ネタバレ注意!】二人は想い合っているのに、あくまでプラトニックな関係でいようとしたことについてはどう思われますか?

グレン・ハンサード:プラトニックでいるということがこの映画では大事な点だったんじゃないかな。それこそが伝えたいことだったと思う。二人は出会って助け合うようになるわけだけど、ロマンティックな関係になる必要はなかった。逆に、そうしないからこそロマンティックな状況が生まれたんだ。ジョン・カーニーの最初の脚本にはキス・シーンが書かれていて、つまり一度だけキスをするという意味で『Once』(原題)というタイトルにもなったわけだけど、僕らはみんな反対したんだ。マーの役はとても繊細な女性で、家族もいるのだから、キスをするべきじゃない。男のほうはもちろんしたいわけだけど、彼女の思いを尊重する。彼女は本当に誠実に生きている女性だから、実際にそうしてしまったら、何かが変わってしまうんじゃないかな。実人生においては、僕たちはその後、キスをしたけどね(笑)。
マルケタ・イルグロヴァ:私も彼に賛成だわ。これは基本的に友情を描いている物語だと思う。二人の間に愛情は通い始めるけど、ロマンティックな愛にまでは至らない。私が演じたキャラクターはそういうことをしない女性だと思うし、やってしまったら彼女にとっては間違いを犯したことになるんじゃないかしら。家族がいるのに、別の男性と一時的な関係を持つなんて、彼女にとってはあり得ないことなのよ。それに、男女が出会って最後には結ばれるなんて、映画にはよくあるけど陳腐だわ。現実では必ずしも、愛する人と結ばれるわけではないし。私たちはこの映画にリアルさを出したかったのであって、ロマンティックな物語を作りたかったわけじゃないの。

-----お二人はミュージシャンですが、音楽の魅力とは何でしょうか?

グレン・ハンサード:それは、何故花が太陽に惹かれるのかと聞くようなものだね(笑)。音楽は今も、夢の世界のものだと言えるかもしれない。芸術に関していうと、まず映画は金がかかる。絵もそうだ。でも、曲作りはただで出来るし、誰でも出来ることだと思うんだ。毎回演奏するたびに違っているしね。録音するとなるとまた状況は変わってきて、飛んでいる蝶を捕まえて標本にするようなもので、音楽を表現するには最悪なやり方だと思うね。それは “死”を意味している。たまに純然たるマジックが生まれることもあるけど、ほとんどは死体を見せられるような状況になってしまう。ただ、音楽の魅力は何かというと、そこには完全な自由があるということだ。レコードというものが生まれる前は、ミュージシャンは世界を旅して、毎回違う演奏をしていた。それをその場で楽しむ人たちがいて、その瞬間の音しか成立しないものだった。ほんの100年ほど前に録音する技術が生まれ、家で音楽が聴けるようになってしまったけどね。  僕は、良い音楽は時間を止めることができるし、時間から逃れることもできると信じている。それだけでも価値があるね。音楽とはとても素晴らしい夢のようなもので、そこに魅力がある。他の何よりも魅力があると思う。ただし、女性は別だけどね(笑)。
 監督のジョン・カーニーはミュージシャンでもあるわけで、彼はとてもシンプルな決断を下した。多くの映画ではムードを生み出すために音楽が使われてきて、40~50秒にわたって断片的に曲が流されたりするわけだけど、ジョンが下した決断というのは、曲を全部使うか、さもなければ全く使わないかということだった。だから、この映画は音楽へのリスペクト自体が違う。勇気ある決断だったと思うよ。時に音楽は、宣伝のためだけに使われることもある。石鹸を売るためだけに存在していたり、この間日本のある大型電器店に行ったけど、3秒くらいのポップ・ジングルみたいに歌が流れているのも聞いた。それは、音楽の使い方として最も醜い方法だと思うね。そういうものは無くなってほしいけど、そう思うのは純粋すぎるのかもしれないし、実際には難しいことだろう。でもジョンは、ラジオで曲が始まったら、それを聴き終わるまで家から出ないというタイプの人間なので、音楽に対して深い敬意を抱いているし、そうした態度は映画に対しても同様だ。それと、彼がこの映画で下したもう一つの決断は、僕らがライブでやるということで、それは本当に素晴らしいアイデアだったと思う。
マルケタ・イルグロヴァ:私も彼と同じような考えを持っているわ。音楽というのは、あらゆる言語を超越するものだと思う。音楽があれば、言葉無しでもコミュニケーションできる。私たちは世界で同じ言葉を使っていないし、言葉が分からないことでコミュニケーションがとれなかったり、たとえ言葉は通じても感情的に理解し合えないということもあって、人とコミュニケートしようとしたときフラストレーションを覚えることがあるけど、音楽は言葉が分からなくても人に何かを伝えることができる。今回も英語がおぼつかない女性の役だったけど、音楽を介してコミュニケーションがとれるという状況が生まれたわけよね。そうしたアイデアには共感できるし、楽器がコミュニケーションのツールとして存在するということは確かに言えると思うわ。

ファクトリー・ティータイム

寒々としたアイルランド・ダブリンのある街角で出会った、夢を抱きながら毎日を懸命に生きている男女のささやかな心の物語だが、世界中のどこに生きている人々も自分の身に置き換えて、こんな出会いがしたいと思える心揺さぶる佳品だ。ここに登場する音楽にはまさに魂がこめられている。彼らの心の声がストレートに伝わってくる。グレンが誇らしげに語ったように、こういう音楽の使われ方をしている映画は確かにまれだ。
ちなみに、映画の中で心通わせた二人は実生活でも同様のようで、思いっきりラブラブ光線を飛ばし合っていたということも付け加えておこう。
(文・写真:Maori Matsuura)


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