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『夕凪の街 桜の国』インタビュー

2007-08-09 更新

佐々部 清監督


夕凪の街 桜の国yunagi
© 2007「夕凪の街 桜の国」製作委員会
配給:アートポート

佐々部 清監督

 1958年山口県下関市生まれ。
 84年から映画やテレビドラマの助監督として、崔 洋一、和泉聖治、杉田成道、降旗康男らに師事。
 2002年には監督デビュー作『陽はまた昇る』で日刊スポーツ大賞石原裕次郎賞、03年には『チルソクの夏』で日本映画監督協会新人賞を受賞。以降、『半落ち』(04)、『四日間の奇蹟』(05)、『カーテンコール』(05)、『出口のない海』(06)と、次々と意欲作を発表。
 本作の後は、吉田拓郎のフォークソングをモチーフとした『結婚しようよ』の公開が控えている。



 太平洋戦争末期に出撃した特攻隊員の悲哀を描いた『出口のない海』から1年。実力派・佐々部 清が再び戦争の傷痕を描いた『夕凪の街 桜の国』が公開される。昭和33年の広島から平成19年の東京へと巡る被爆者家族の物語は、静かな語り口の中に平和の尊さと暴力や差別への怒りを描いた感動作。佐々部 清監督自身が本作に込めた想いを熱く語ってくれた。


『夕凪の街 桜の国』は、前作『出口のない海』に続き太平洋戦争に関わるテーマですが、この時代に特別な興味をお持ちなのですか?

 いいえ、本作も前作もオファーを受けた中から選んだ作品なので、自分が原作を捜して撮った作品ではありません。ただし、もし映画の神様がいらっしゃるとしたら、“こういう作品を撮りなさい”と言われたのかなと思います。


『夕凪の街 桜の国』というタイトルを最初に聞いたとき、どんな印象でしたか?

 正直に言うと、最初に原作の漫画を読む前には、「原爆か、被爆か、重いな」と。1年間人間魚雷の映画(『出口のない海』)を撮っていたのに、またこれからの1年間重いテーマをやるのはちょっと……という気持ちは確かにありましたが、タイトルの綺麗さと、こうの史代さんのお書きになった原作の温かさとほのぼのとした柔らかさから、ちょっと違うことがやれるかなと感じました。


最近は漫画を原作とする作品が増えていますが、監督は漫画を読まれますか?

 僕は、高校生ぐらいで漫画を読むのを止めました。アニメ映画を見たのも『火垂るの墓』ぐらいかな? 毎年のように公開される国民映画みたいなすごいアニメ作品を子どもに連れられて観に行くぐらいで、自分から映画館に行ったことはほとんどありません。どちらかというとアニメは苦手ですね。


では、久々の漫画との出逢いでしたね?

 そうですね。ただ、この原作は漫画ですが、文学ですよね? 哲学的というか、“漫画の粋を超えた作品だ”と読んだときに思いました。


同じ映像作品である漫画を映画化するにあたり、プラス面やマイナス面は感じましたか?

 原作の絵にはあまり囚われないで映画作りをしようと思っていたのですが、美術・衣装・メイクのスタッフにとっては、原作の漫画が持っている雰囲気が大きな指針になったのではないかと思います。ただし、それをやりすぎると自分たちの想像がなくなってしまうので、原作の絵には囚われすぎるなと口が酸っぱくなるぐらいスタッフに言い続けましたが。例えば、漫画のままの衣装を用意したとすれば、我々が撮る意味がなくなってしまいます。小説以外の原作で撮るのは初めてでしたが、僕が「囚われるから原作は見るな!」とまで言ったので、スタッフは戸惑ったかも知れません。


映画も原作と同じ構成、流れになっていますが、この点については?

 最初は、『夕凪の街 桜の国』というタイトルが出て、“桜の国”をベースに“夕凪の街”を回想で描こうと思いました。割と普通に考える手ですが、最初の本作りでそういう構成でトライしてみると、“桜の国”に“夕凪の街”が回想で入ってくるというのは何だか心地良くないのです。壮大なことが出来そうだなと思ってスタートしたのですが上手くいかず、結局2~3ヵ月もの間、脚本の国井 桂さんとなんだかんだやっていました。その頃、突然僕が、「メインタイトルが最後に出る映画はだめですか? メインタイトルの『夕凪の街 桜の国』が最後に出て、最初は“夕凪の街”が出て、真ん中に“桜の国”が出てくる映画は駄目ですか?」と言うと、最初は皆唖然としていましたが、「面白いかも知れない、それが一番原作に立ち戻ることができ、上手くいく方法のような気がする」ということになり、そこからは割とさっと進めることが出来ました。最後のほうは原作を相当変えて、映画的に“夕凪の街”から“桜の国”に抵抗なくリンクするよう変えたつもりですが、結局、原作に立ち戻ったことが上手くできた原因ではないかと思います。


前半の舞台である昭和33年の広島を再現するため、苦労したことはありますか?

 ウチのチームは美術が優秀ですから任せておけば何とかなると思っていましたが、予算には限りがあります。でも、バラックの街並みだけはキチッと作らないと“夕凪の街”を上手く語れないと思っていたので、あのオープンセットは予算が許す限り縦の構図がとれるモノを作って欲しいと頼みました。台本を読んでこの構図は縦だと思っていたので、奥行きを作りたいという理想を持っていたからです。お金をかけられる全精力で、横幅はどうでも良いので、縦の構図を作るようリクエストし、美術はそれに応えてくれました。


“夕凪の街”の銭湯では、大きな火傷の後が残った人が当たり前のように入浴していましたが、スケールの大きな戦闘の場面より遥かにリアルに戦争の恐ろしさが伝わってきました。監督は、こういったシーンをどのような気持で撮っていたのですか?

 銭湯のシーンはほぼ原作のまま撮ったのですが、累々と黒こげの人が横たわる川のような被爆直後のシーンは一切止めようと決めていました。最初の脚本のときには、これをやらないと駄目かな?と思っていたのですが、今までに何かで見た記憶の中にありそうですし、人間と人形を混ぜて川に100体並べたところで、どれだけ強いインパクトが与えられるだろうか?と思いました。広島の平和記念館の資料館で、被爆された方たちが目の当たりにした被災直後の絵がいっぱい展示されていたのを見たとき、この絵だけで被爆直後は充分語れると決めたのです。でも、昭和33年の中にもそういうものを少し見せたくなり、それには原作にある銭湯のシーンが一番効果的かなということであれを入れたのです。
 また、“桜の国”になって、若い女性2人(田中麗奈・中越典子)がラブホテルのサラダボールみたいな浴槽に入っているシーンが出て来ます。被爆から60年後に、被爆者の子孫である麗奈ちゃんがケロイドも何もない綺麗な体でラブホテルの浴槽を使っている姿と対比できると良いとも思いました。その程度の表現でいいのかなと迷いましたが、こういう撮り方だと日常生活に混ぜて観客に提示でき、原作のテイストにも通じるのであのようなシーンで表現したつもりです。


昭和33年と言えば「もはや、戦後は終わった」と言う人たちも出て来た時代ですが、同じ年を舞台にあのような内容を見せられたことには大きなインパクトを感じました。

 昭和33年は僕が生まれた年です。原作は舞台が昭和30年ですが、原作が出てから3年経っていたので、現代に合わせるため舞台を3年後にずらしました。同じ昭和33年を舞台にした大ヒット日本映画がありますよね? テレビが来て、家族全員が喜んでいたその同じ年に、広島ではこんな現実が、こういう家族があったのだということも対比しやすいと思ったんですね。高度経済成長を迎え、東京タワーが建てられた、ほのぼのとした幸福いっぱいの、同じ日本の昭和33年にこういう現実があるということを、映画を観た人に伝えやすいかなと思ったので、昭和33年という設定は悪くないなと思いました。


田中麗奈さんと麻生久美子さんのキャスティングの理由を教えて下さい。

 まず、僕は“桜の国”がなかったら、この映画を撮るつもりはありませんでした。“夕凪の街”だけでも1本の映画として成立しますが、“桜の国”がないとこの映画を撮る意味がないと思っていたのです。ですから、まず“桜の国”の七波役を決めないといけない。この役に、田中麗奈さんの名前がプロデューサーから出ましたが、僕も『がんばっていきまっしょい』や『はつ恋』を見て良い女優さんだと思っていましたし、“桜の国”の舞台に合った現代に生きる等身大の女優さんだなと思いました。それに、麗奈ちゃんはずっと映画で仕事をしている点も良いですね。そういうことで麗奈ちゃんが決まったら、今度は麻生君が演じた皆実役を決めるわけです。原作にはないですが、映像として皆実と七波を会わせたかったんですね。二人とも狸顔より狐顔ですが、麗奈ちゃんが平成の代表の顔だとすると、儚げで切なくて昭和を彷彿とさせてくれる、古くさいのではないですが昭和顔の人が良いなと思いました。そうなると、もう僕の中には麻生久美子さんの名前があり、一度お会いした上で決まりました。


堺 正章さん、吉沢 悠さん、伊崎充則さんも良い持ち味の演技でしたが、起用された理由は?

 伊崎君は『出口のない海』で一緒にやりましたが、とても良かったのでもう1回一緒にやりたいなと思っていました。ただし、堺 正章さんの若い頃の役なので、堺 正章さんが決まらないことには伊崎さんの役も決められない。伊崎さんの身長は堺さんと同じ164~165cmですが、堺さんの演じた役が180cmぐらいの人になると「伊崎、今回は悪いな」ということになってしまうと思いながら、堺さんが決まるまでずっと待ってもらいました。堺さんのお芝居が素晴らしいことは、子どもの時からいろいろなTVドラマや映画で知っていましたが、あの役を堺さんがというのは意外だという人が多いようです。堺さんの顔を見るだけで観客はニコッとしてしまうのですが、その堺さんが映画の中で1回も笑わず、最後に娘に笑顔を投げかけたらどんなことになるのか見てみたくて最初のオファーの候補に上げ、受けていただきました。台詞が何もなくても、堺 正章という俳優さんの存在感はやはりすごいですね。
 吉沢君は誠実さの塊みたいなキャラクターです。彼に決める前に1回本人に会わせて欲しいとお願いしましたが、本当に真面目な好青年で、平成よりも昭和の真面目な青年、まんま朴訥としていて良いなと思ったので、すぐに彼にお願いしようということになりました。


この原作と出合い、映画を撮る過程を通じ、広島や原爆に対して何か新しい考えはお持ちになりましたか?

 今回の映画に限れば、僕の中で何かが生まれることはありませんでした。でも、地元の山口には回天記念館がありますし、『出口のない海』のときには何度も行きました。最後の助監督作品は高倉 健さん主演で生き残りの特攻隊員を描いた『ホタル』という作品で、知覧の特攻基地にも何度も行きました。この映画の撮影に入る前にも広島の平和記念公園の資料館に行きましたが、ここには最も自分が多感な頃に2~3回行き、映画の中で中越典子君が感じたようなことを、10代の終わりや20代の前半に感じたのです。そういったことを思い出させてもらいながら、今回の映画に取り組んだような気がします。


「この映画は日本人にしか作れない映画だ」とおっしゃっていますが、日本人以外の方がこの映画を観てどのように感じると思いますか?

 難しいですね。原爆に被爆した国は世界中に日本しかなく、ひとつの原子爆弾が60年経ってもこんなに人間を苦しめていることを切実に感じている国民は、ひょっとしたら日本にしかいないわけですから。今では多くの核保有国がありますが、核兵器保有がいかに愚かなことなのか発信できる映画にしたつもりですし、スタッフや俳優さんたちにもそういった気持ちをもってこの映画作りに参加して下さいとお願いしました。自分の映画を海外の映画祭に持っていきたいなんて今まで1回も思ったことはありませんでしたが、この作品だけは、どこかの国で、出来たら核保有国で上映して欲しいなというぐらいの思いがあるので、そういうことを感じてもらえるのではないかなとは思っています。


日本人自身も、本作や前作『出口のない海』で描かれた戦争の傷みを忘れているように見えますが?

 この国の人間にしか作れない映画を撮ったつもりなので、風化させてはいけないと思います。2~3日前に、取材の方から「被爆2世や3世の人が、こんなに苦しんでいることを知らなかった」と言われましたが、知らなかったことをちょっと知ってもらえただけでも、この映画を撮った意義があると思います。でも、被爆だけではなく、たいしたことではないように見える学校でのいじめも本人にとっては大きな傷みだったり、誰にでも抱えているものはあるのですが、(被爆により)あれだけのものを抱えてもこの人たちは毎日一生懸命生きているということを分かってくれたら、皆もう少し頑張れるかなと思います。この映画も、そのように捉えてもらえるのが一番うれしい気がします。


今年は、石原都知事の映画をはじめ、ドキュメンタリーを含めて太平洋戦争を題材とした作品が多く公開されますね?

 この映画では昭和20年は描いていません。昭和33年と現代が舞台で、特に僕がやりたかったのは“桜の国”という現代の話です。この映画では、戦争よりも、人が生きる上での差別や、それを背負わないといけないことのほうが大切なので、特攻隊の映画と同じ括りで考えられると困ってしまいますね。


『出口のない海』の完成披露試写では、ご自身のことを“ヒット作の少ない崖っぷち監督”だと自嘲気味におっしゃっていました。このように素晴らしい作品を続けて撮られた後でも、その考えは変わっていませんか?

 本当は『出口のない海』で崖っぷちを脱出するはずでしたが、更に崖っぷちが進んでしまった気がします。『出口のない海』はもう少しお客さんが入る予定だったのですが、最初の予定ほど興行成績が伸びませんでした。今では更に崖っぷちなので、この映画が興行的に上手くいかないと、いよいよ監督のオファーの数もやばくなってくるかなという感じですね。ですから、この映画は何とか当てたいと思っています(笑)。


springdays

ファクトリー・ティータイム

 前作の『出口のない海』では、正攻法で正面から特攻隊員と彼らにまつわる人たちの姿を描いた佐々部 清。ふたつの世代にまたがる原爆のもたらした影を描いた本作では、二部構成ながら1本の映画のような自然な流れで、声高ではないが切々とした語り口で被爆者の悲惨な運命を描いている。監督の意志に反し、今夏公開される戦争関連映画のひとつとして取りあげられる機会もあるようだが、静かな深い感動に包まれる作品であることは間違いない。見逃してはいけない秀作だ。

(取材・文・写真:Kei Hirai)





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