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『名付けようのない踊り』
外国特派員協会記者会見

2022-01-25 更新

田中 泯、犬童一心監督

名付けようのない踊りunnameable-dance ©2021「名付けようのない踊り」製作委員会
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2022年1月28日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9、Bunkamuraル・シネマほかにて全国公開

 『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『のぼうの城』などで知られる犬童一心監督が、世界的なダンサーとして活躍する田中 泯が世界を巡りながら踊る姿と生き様を追った、映画『名付けようのない踊り』が1月28日(金)より公開となる。この度、外国特派員協会で記者会見が開かれ、田中 泯と犬童一心監督が登壇した。


 本編上映後、興奮冷めやらぬ観客から大きな拍手で迎えられた田中 泯と犬童一心監督。まず最初に、田中は「皆さんにお会いして、お話するのを楽しみにしていました」と少し緊張した面持ちで、犬童監督は「小さい頃から外国特派員協会で行われる記者会見をかっこいいと思っていたので、今日この場に立ててとても嬉しいです。母親にも知らせたいと思います」と茶目っ気たっぷりに挨拶をし、会見が始まった。

 田中がポルトガルで踊る際に、犬童監督を誘ったことが制作のきっかけとなった本作。犬童監督は2年間に渡り、約30もの田中の踊りを追いかけ続けたということで通常の映画作りとの違いを尋ねられると、田中は「僕自身は映像に踊りを映すということに疑問を持っていました。僕の踊りは、その場での1回限りのものなので、そのまま映像化しても、その時々の空気は伝わらない。犬童監督が編集をすることによって、踊りを再構築してくださいと伝えました。僕自身は踊りを踊る人間としてカメラの前に居ただけです。普段の撮影と違い、よーいスタートもなければ、NGもありません」と振り返る。犬童監督は「どういう映画にしようか決めないで、ひたすら泯さんの踊りを追い掛けました。その後に、シナリオを書いて、踊りを組み直しました。その際に大切にしたのは、自分が実際に泯さんの踊りを実際に観に行った時の時間感覚です」と説明。また、犬童監督は撮影中、田中へのインタビューを一切行わなかったと振り返り、「泯さんの踊りは即興なので、パッションや野蛮さで動いていると思われがちだが、泯さんはいつも言葉でものすごく考えている方。踊ったダンスのことについて質問をすると、言葉で説明されてしまうと思い、あえて尋ねないようにした」と、制作意図を明かした。

 田中の幼少期のパートを山村浩二によるアニメーションで表現したことを尋ねられると、犬童監督は「山村浩二さんは日々ひとりで1枚1枚アニメーションを描いている。泯さんもひとりで農業をしながら、自分の踊りと向き合っている。日々時間をかけながら積み上げたものが、作品に繋がってく姿が似ていると感じた。山村さんなら泯さんに拮抗できるのではと考え、アニメーションを依頼しました」と回答。

 犬童監督は「この映画は“田中 泯”という人に対して興味を持つきっかけになって欲しいなと思って作りました。だからぜひ、泯さんにいろいろと聞いてみて欲しい。泯さんがどう答えるのかを横で聞くのが楽しいんです」と会場に呼びかけると会場から次々と田中への質問が飛び交う。そんな中、田中は「ボス、この会見時間を延長できませんか?」と司会に直談判をするほど、活気のあるやりとりが行われた。


unnameable-dance

 外国人の参加者から、田中のダンスを観ていると空間の使い方が日本的だと思うがどういう様式を意識しているのかと質問された田中は、「多分、日本の10世紀から17、18世紀ぐらいまでに出来上がった日本的なものという文化はいまだに伝統として残っているが、明治以降の日本の文化は急速にヨーロッパやアメリカの文化と懸命に混ざっていったので、もはや“日本特有”と呼べるような文化の思考は、無いと思っています。世界には様々な文化があり、言葉と共に発展してきましたが、言葉が生まれる前の“沈黙”という文化は間違いなく世界共通。人間は一つの種。私たちはホモサピエンスです。その身体の生んだ文化の一つして、踊りはある、そういうふうに考えることはできないでしょうか? つまり、日本人が踊るから日本的と捉えられるのではなく、ひょっとしたら世界中の誰の中にでもある空間性に、気がついていないだけかもしれない」と回答。


unnameable-dance

 また、踊り終えた後に発した「海に沈んでいくような感覚」とはどういうものなのか、を尋ねられると「“無”というものを僕は信じておらず、そういう境地になりたいとは思っていません。死ぬ直前まで大騒ぎな奴でいたいし、破裂するぐらいに自分の中を、感覚を満たして満たして、世界と触れ合って生き続けたいと思っている。私というものが、どんなに満たされ膨れ上がっても、この身体からは出ていけない。このままいくと粒子化して沈没してしまいそうだ……という想いを、表現したのだと思う」と振り返った。

 ダンサー・田中 泯を追いかけ続けたことで学んだことや発見したことを尋ねられた犬童は、「泯さんはよく、言葉が生まれる前はみんな同じ感覚で生きていて、そこにダンスが生まれたのではないかと言いますよね。僕は言葉が生まれる前の状態というものを今まで考えたことがなかった。国や人種が違っても、言葉が生まれる前はみんな同じ感覚だったのだろう……と感じるようになった」と思いを巡らせる。

 最後に田中は「犬童監督はこの映画を通して踊りの映画を作りたいとおっしゃってくれた。今や僕の踊りの仲間なんです。踊りを習い始めたころ、踊りは言葉で言えないことをやっているんだと言われたが、踊りの技術って何だろうと思うようになった。世界では、技術を繋げることが踊りだと思われているが、でもそれって半分じゃないの?本当の踊りの“始まり”ってそうだったのかな?と思う。始まりを失った踊りは、木で例えればほとんど枝の状態、あるいは葉っぱの状態。僕は世界中で協力して、踊りにもう一度“根っこ”を付けたいと思っています。そのためにはこの映画がいい例なんです。この映画を基にして、どんな人ともいくらでも踊りのディスカッションができる。そういうふうにして死ぬまで時間を使いたいと思います」と思いの丈をぶつけた。



(オフィシャル素材提供)



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