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故・佐々部清監督への手紙『歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねて』公開

2021-10-07 更新

歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねてhyoryu-post
©2021 Team漂流ポスト

 親友であった佐々部清監督ロスにジタバタする升 毅。震災被災地岩手、故郷山口、遺作鹿児島……佐々部監督のこころの風景を訪ね、人々と泣き、歌い、語る、升の飾らない姿にほろっとさせられ、いつしか生きる力、人生を楽しむ力が再びわいてくる――『歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3・11をたずねて』は、悲しみを知った人々に寄り添い、何はともあれ、明日も生きていこうと思わせてくれる映画だ。本作は10月8日(金)よりフォーラム盛岡先行上映、16日(土) 渋谷ユーロスペース他全国公開となる。


● 震災ボランティアを経て

 東日本大震災から10年。岩手県陸前高田市で、返事のこない手紙を受け取り続ける「漂流ポスト 3.11」。野村監督は震災ボランティアを経験。大切な人を亡くし、悲しみを抱えた人々の“心の拠り所”として存在する「漂流ポスト」の活動に感銘を受け、2016年から取材を続け映画化を決意。山奥の「森の小舎」で、一人静かに手紙を受け取り続けるご主人の赤川勇治さん。そして被災地の人々の心は――。


● 佐々部監督が急逝

 もともと、陸前高田市をメイン舞台にした劇映画を企画していたが、初めての劇映画プロデュースゆえ、資金繰りや内容の折り合いが上手くいかず、監督する予定であった佐々部清氏と話し合い一度企画をストップ。しかし、これまでの取材内容を生かしドキュメンタリー映画として再出発。佐々部氏からの応援も受け、野村プロデューサーが初監督として再び企画をスタートした矢先、佐々部清氏が急逝――。
 漂流ポストのテーマに寄り添いその姿を追おうとしていた者が、一転「手紙を書く」立場の人間になった。


● 再出発

 悲しみに暮れ悩み抜いた結果、自分たちの今の姿を正直に描こうと決め、そして、佐々部監督の盟友、俳優:升 毅氏が合流。気鋭の撮影監督:早坂伸氏も共同監督として参加、佐々部組俳優部の伊嵜充則、三浦貴大、比嘉愛未、中村優一らも出演、岩手、山口、そして鹿児島への旅路を瑞々しい映像美で映し出す。
 「亡き人へ手紙を送る」ことの真の姿と、佐々部清が被災地で撮ろうとしていたもの。
 升毅が自らの孤独と向き合い、「生きること」への答えを探す旅に出るドキュメンタリー。


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● 漂流ポスト 3.11とは

 岩手県陸前高田市の「森の小舎」に実在する郵便ポスト。ご主人の赤川勇治さんが、震災遺族の“心にしまわれたままの悲しみ”が「手紙を書く事で癒されれば……」と思い立ち受付を始めた。
 亡くなった大切な人への想いを綴り、漂流ポストに手紙を宛てる。やがて震災以外にも同じような気持ちを抱えた人たちに情報が広がり、全国各地から手紙が届くようになる。現在も大切な人を亡くした人々の心の拠り所となっている。


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佐々部清監督プロフィール

 1958年山口県下関市出身。2002年『陽はまた昇る』で監督デビュー。以降、映画『チルソクの夏』、『半落ち』(日本アカデミー賞最優秀作品賞)ほか、映画・TVドラマ・舞台などで多数の作品を手がけ、2016年公開の映画『八重子のハミング』ではプロデューサーも務めた。2021年より公開の『大綱引の恋』が遺作となった。

 大切な人に想いを届けたい。
 そんな気持ち受け止める「漂流ポスト 3.11」に出会い、今は書くことが少なくなった「手紙」というものに改めて魅力を感じました。
 作品を準備する中で自分自身が「大切な人との別れ」に遭遇し自らも漂流ポストに手紙を書く立場になりました。その真摯な思いを映像に残すべく、俳優の升 毅さん、撮影の早坂伸さんと1年間旅をしてきました。
 師匠である映画監督の故・佐々部清氏に届けたい、私なりの手紙とも言える映画です。
 亡き人を想い、語りあい、言葉を綴った心の旅路をお届けします。

監督・プロデューサー 野村展代

野村展代 プロフィール

 1973年、埼玉県出身。短大を卒業後、生命保険会社勤務を経て演劇と映像の現場でアルバイトの後、映像制作会社に入社。TVドラマ、CM、プロモーションビデオなどの制作に関わる。映画『群青色の、とおり道』(2015年、佐々部清監督)、『八重子のハミング』(2016年、佐々部清監督)を製作。東日本大震災復興応援で福島県いわき市、岩手県陸前高田市、宮城県石巻市に通っている。


【インタビュー】

映画化へのプロセス

 短大を卒業後、生命保険会社で2年間会社員をし、舞台演劇の手伝いのアルバイトから制作会社に入社し、APを経て30代中盤より小規模の映画や深夜の連続ドラマ等のプロデューサーをしていました。
 37歳の時(震災が起きる半年ほどまえ)、激務でうつ状態になり所属制作会社も経営不振に。退職し3年間、業界を辞めていました。
 その後は派遣の事務職をしながら企画書を書き、被災地ボランティアを始めました。40歳の時に派遣先でお世話になっていた会社に映像制作部を持たせてもらえることになり、映画業界に復帰。
 そこで初めて受けた映画の仕事が『群青色の、とおり道』で、佐々部監督に出会い意気投合。『八重子のハミング』製作に繋がりました。
 『八重子のハミング』公開中から、私の持ち込み企画として、岩手県陸前高田市を舞台にした劇映画を企画していましたが、私の力不足で資金調達や内容への協力がうまく得られず、2019年暮れに劇映画は断念。野村が監督するドキュメンタリーに方向転換し、佐々部監督も応援してくれていました。
 佐々部監督が亡くなる前に進めていた山口県下関市が舞台のオリジナル脚本も、プロット作りを一緒にした作品で、亡くなる寸前までメールでやり取りをしていたところに、映画に登場する西村プロデューサーから佐々部監督急逝の連絡が。その日のうちに下関へ向かいました。
 2020年8月に独立開業し、株式会社スパイスクッキーの代表取締役となり、48歳にして初監督を務めることとなりました。


升さん、早坂さんに声をかけた経緯

 俳優の升 毅さんは、『群青色の、とおり道』、『八重子のハミング』の頃から𠮟咤激励下さり、日頃から頼りにさせていただく存在でした。撮影の早坂 伸さんは、劇映画の企画段階から協力して下さっていて、同い年ということもあり、いろいろと相談に乗っていただきながら、ドキュメンタリーに方向転換後も引き続きサポートして下さいました。佐々部監督が急逝後は「その意思を引き継いだ作品作りをしたいね」と3人でよく話していましたが、私自身の心が参ってしまい……。新しい作品作りをする元気がなく、しばらくは静かにしていました。
 が、コロナの影響も受け、今まで生きていた世の中が大きく変わったことを感じ、その混沌としたエネルギーを作品作りに向けようと立ち上がりました。佐々部監督が生前に言っていた「何を撮るのかではなく、何のために撮るのか」という言葉を改めて考えたのです。再び東北へ行こうと決め、作品作りへの思いを共にする升さん、早坂さん、野村という新体制で臨みました。


グリーフケア(死を悼む)について

 私はグリーフケアの専門家ではないのですが、被災地ボランティアの時に聞いた言葉がずっと忘れられません。「どうして欲しいって、いろいろと皆さんが助けてくれるんだけど……、何が欲しいかと言われれば、あの時の暮らしを戻して欲しい」とある被災者の方に言われ、本当に何もできずに、ただただお話しを聞き、出てくる言葉を受け止めることしか出来ませんでした。聞いてくれるだけでも慰めになる、とも言っていただけましたが、この映画は人々の話を聞いて回る升さんが「生きる」ことを考える内容ですので、慰めのその先にある「希望」を感じていただけたら嬉しいです。グリーフケアは、慰めがその人の中で「生きる強さ」に変わっていくものだと感じています。


升 毅 コメント

 人は生まれ・育ち・出会い・ハグクミ・愛しあい……そして別れる。生まれきたものは多くの人や物、出来事と出会い、別れとも出会う。絶望や苦しみからの解放、病気・災害など不慮の事故、突然死……出会いにいろいろなカタチがあるように、別れのワケも様々。
 「歩きはじめる言葉たち」の撮影では大きな災害や、様々なカタチで大切な人を失った思いをこころの言葉、文字にした言葉、無言の言葉……たくさんの言葉の中で、別れの悲しみや苦しみ、絶望とどう向き合い、寄り添い、これからを生きていくのか……そんなことを目、耳、肌……五感を通して感じてきました。
 出会いは選ぶことが出来るが、別れは選ぶことが出来ない。
 様々な別れのコトバの旅を、映画館でご一緒しましょう。


升 毅 プロフィール

 1955年、東京都出身。映画やTVドラマにおいて、独特な存在感と演技力で幅広く活躍。佐々部監督作品には『群青色の、とおり道』より参加し、自身初の主演映画『八重子のハミング』がロングランヒット。映画『大綱引の恋』、TV『沙粧妙子―最後の事件―』(CX)、『ショムニ』シリーズ(CX)、『素敵な選TAXI』(KTV)、『イチケイのカラス』(CX)など。


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撮影・共同監督:早坂 伸 コメント

 予期しない永遠の別れは、遺された人たちを困惑させる。
 例えば、何気ない日常のこと。例えば、感謝の言葉。
 それらを直接伝えることは未来永劫出来ない。
 気持ちをどうすればいいのか。自分の胸の内に静かに横たえればいいのか――。

 ――手紙がある。
 その届かない手紙を受け入れる場所がある。

 升 毅さんとその“聖域”を目指した。極めてプライベートな心の軌跡の映画です。


早坂 伸 プロフィール

 1973年、宮城県出身。日本映画学校(現・日本映画大学)で撮影を担当した卒業制作作品『青~chong~』(李相日監督)が、ぴあフィルムフェスティバル2000にてグランプリ他4賞を獲得して劇場公開される。以降、フリーの撮影部として映画、CMに多数携わる。株式会社キアロスクーロ撮影事務所を設立。日本映画撮影監督協会(JSC)所属。代表作として『BORDER LINE』、『リアル鬼ごっこ』、『結び目』、『nude』、『俺はまだ本気出してないだけ』、『愛の渦』、『アリーキャット』、『生きる街』、『blank13』、『惡の華』、『架空OL日記』、『NO CALL NO LIFE』 など。佐々部清監督作品は『群青色の、とおり道』、『八重子のハミング』、遺作となった『大綱引の恋』を担当している。


<登場人物>

西村祐一

 株式会社オフィスen代表取締役。映画『八重子のハミング』プロデューサー。佐々部清監督の高校時代からの親友。山口県下関市在住。

 「佐々部がいたからいろいろなものを見ることが出来たし、いろいろな人との出会いがあった。本当にありがとう」


佐々部京子

 佐々部清監督の妹。佐々部氏が顧問を務める「下関海峡映画祭」などにボランティアスタッフとして参加。兄の活動を故郷で応援し続けてきた。

 「ほんとに……会いたいですやっぱり。会いたい」


赤川勇治

 約40年前に岩手県に移住。震災後に陸前高田市広田町に「漂流ポスト 3.11」を開設し、全国各地から届く「亡き人へ送る手紙」を受け取り続けている。

 「手紙ってね、魔力を持ってるんですよ。ペンを持って書こうと思いますと、ペン先に必ず相手の顔が浮かぶんですよ。それだけでもなんか良かったような気がするんです」


村上知幸

 岩手県陸前高田市役所に勤務。地域振興部観光交流課長兼スポーツ交流推進室長。震災発生当時、自らも被災しながら市職員として市民のために奔走した。


鈴木英里

 立教大学を卒業後、東京の出版社を経て故郷の大船渡市にUターン。祖父が創業した気仙地方(大船渡市、陸前高田市、住田町)の地域紙「東海新報社」で現在、代表取締役を務める。


古山昭覚

 陸前高田市広田町の臨済宗妙心寺派慈恩寺の副住職。毎年、漂流ポストへ送られてくる手紙供養を行っている。


川上宗勇

 浅草の永傳寺住職。被災地研修の一環として漂流ポストを訪れてから後、仲間と共に赤川氏を東京から応援し続けている。

 「悲しみを抱きしめたまま生きていく」
 人が一人、生きる時、必ず想いというものがあります。
大切な人を失い、関わりが切れてしまう……その寂しさと不安は誰もがいつか経験すると同時に、耐え難いものと感じるでしょう。大切な人の存在、想い、言葉を求めて心が漂う。そして漂う間に、その人を知る人や同じ境遇の人たちと出会い、いつの間にか共に歩いている。かの人の想いと自身の想いを巡らせ、受け止め、そしてつないでいく。漂う。目の前の過酷な現状に流されてしまう自分自身。そんな時、漂流ポストがそっと背中を押してくれる。漂う。それは悲しみを抱きしめながら、新しい自分自身と出会う大切な時間なのでは。「言葉が歩きはじめる」とは、大切な人の想いを自分自身に宿し、顕し(あらわし)、限りある人生を精一杯生き抜いていくことだと私たちに伝えてくれている。


臼井正明

 株式会社シネムーブ代表取締役。佐々部清監督の映画『チルソクの夏』をはじめ、佐々部氏をデビュー当時から支え続けたプロデューサー。


佐々部昭美

 佐々部清監督夫人。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)時代、俳優として佐々部組に参加。

 「佐々部がいたので家庭も明るかったし、私も18の時から40年近く一緒に、明るく照らしていただいてたなっていう……思いがあります。だから太陽のような人でしたね」


水津 勉

 株式会社巌流本舗代表取締役。佐々部組のクランクイン時は必ず下関銘菓「巌流焼」が現場に届く。熱烈な佐々部ファンとして、応援し続けてきた一人。

 「涙もろいんですけど、カメラ自分でスタートかけて、カットかけてそこでボロボロ泣いてるっていうところ、寂しがりやで明るいのが好きでっていうお方ですから、お別れの会をほんとに実現できるのであればほんとに明るくやりたいなということは思ってます」


伊嵜充則

 1977年、東京都出身。俳優。子役からドラマデビューし、黒澤 明監督の『夢』、『八月の狂詩曲』に出演。佐々部監督作品には舞台『黒部の太陽』より参加。その後、映画『出口のない海』、『夕凪の街 桜の国』など佐々部作品に多数出演。


津田寛治

 1965年生まれ、福井県出身。北野 武監督の『ソナチネ』(93)で映画デビュー。以降、映画やドラマに多数出演。2002年、森田芳光監督作『模倣犯』で第45回ブルーリボン賞助演男優賞、08年に黒沢 清監督作『トウキョウソナタ』で第23回高崎映画祭最優秀助演男優賞、21年には村橋明郎監督『山中静夫氏の尊厳死』で第30回日本映画批評家大賞主演男優賞を受賞。その他の出演作に、『シン・ゴジラ』(16/庵野秀明総監督)、『名前』(18/戸田彬弘監督)、『HOKUSAI』(21/橋本一監督)など多数出演。最新作は、第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品『ONODA一万夜を越えて』(10月8日公開)、故・小野田寛郎役で主演。佐々部組は『カーテンコール』(05)、『ツレがうつになりまして。』(11)、『六月橙の三姉妹』(13)、『種まく旅人夢のつぎ木」(16)などに出演。

 「自室で作品を観終わったあと、窓外に見える空を見上げてしばらくボーっとしてしまいました。
 自分にとって大切な映画監督が亡くなってしまったあと、その軌跡を追って旅する俳優の物語。その監督は僕にとっても大切な人だったから、一緒に旅をしたような気分になって、しばらく椅子から立てませんでした。
 そしていつの日か、僕も監督に手紙を書きたいと思いました」



ファクトリー・ティータイム

 佐々部清監督の突然の訃報にはわたしも少なからずショックを受けた。送り出されてきた作品やブログ日記から、温かく人間味あふれる監督だと感じていたけれど、このドキュメンタリーを拝見して、監督と出会った多くの人々がどれほど監督を慕い、その喪失の深い悲しみに耐えながらも、なんとかその意と想いを継承しようと模索していることを知って心揺さぶられた。
 行き場のない喪失感に苦しむ人々の悲しみを静かに受け止めてくれる「漂流ポスト」に、皆から託された手紙を届ける監督の盟友・升 毅さん。「監督とひと言だけ言葉を交わすことができたら何て言いますか?」と聞かれたとき、目を閉じて長い沈黙の後に言葉を絞り出した升さんの、俳優としてではなく生身の人間としてのその表情から、横溢する悲しみが画面を通して心に雪崩れ込んでくるかのようだった。でも、升さんが綴った言葉のように、寂しさを抱えながらも、今は亡き人と送った幸せな時間を思い出しつつ、わたしたちは毎日を生きていく――それこそが一番の供養であり、生きている者の務めなのだとあらためて思わせてくれた美しい作品だった。
 佐々部監督もあちらの世で、ニコニコと微笑まれていることだろう。(Maori Matsuura)


(オフィシャル素材提供)



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