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『タッチ・ミー・ノット
~ローラと秘密のカウンセリング~』
アディナ・ピンティリエ監督よりコメント到着!

2020-07-04 更新

タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~tmn
© Touch Me Not Adina Pintilie
配給:ニコニコフィルム

 第68回ベルリン国際映画祭 金熊賞〈最高賞〉&最優秀新人作品賞受賞作品『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』が、7月4日(土)に渋谷・シアターイメージフォーラム他全国にて公開となる。「仮設の映画館」にてオンライン先行公開中。公開にあたって、アディナ・ピンティリエ監督のコメントが到着した。また公開初日、2日目、各回上映後には監督・キャストによる特別インタビュー映像も上映される。


アディナ・ピンティリエ監督 日本公開へのコメント

 大変な時期ではありますが、私の大切な『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』が日本で公開されることをとても嬉しく思っております。
 いま世界は、多くの偏見に直面し、他者をますます恐れるようになっていますが、この映画は自分とは異なる存在である他者と「友好的になる」ことを提案しています。私たちの日常の出会いの中で、力関係が現れ、他者に対する不寛容さの問題が出てきたり、ネガティブなレッテルを貼られたりすることがよくあります。また、異なる身体や異なる思想を持っているという理由だけで、偏見的な見方をされることが頻繁に起こります。しかし、この映画が私たちを共感の練習へと誘い、他者の皮膚の中に身を置くことで、何かを変えてくれるキッカケとなることを願っています。


著名人感想コメント

乙武洋匡氏(作家)

 静謐な環境で交わされる言葉。一枚ずつ剥がされていく心のヴェール。
 まるでカウンセリングを受けているかのような不思議な体験だった。


河瀨直美氏(映画監督)

 誰かと触れ合うこと、重ねること。それはとても勇気のいることだ。
 やがて、登場人物たちがコミュニケーションを持つことを、裸で成そうとする行為は、リアルで生々しい。
 カメラを通してでしか接触できなかった世界が色づき始める頃、彼らの人生の色とりどりが観てとれて、心がざわめきだす。


大久保佳代子氏(タレント)

 人に触れたくなったし、それ以上に触れて欲しくなった。
 信頼できる人に「私の裸を見てほしい」。
 50歳に近づいた今、自分の身体とセクシャリティにきちんと向き合わねば。
 なんとなく諦めてしまうのは、自分の身体に申し訳ない。


三浦瑠麗氏(国際政治学者)

 この映画を観ている125分間は観客にとっての癒しのプロセスだ。
 なぜ性によって傷つくのか。
 多くの場合、私たちは自分自身によって、植え付けられたタブーによって傷ついている、とトランスジェンダーのハンナや、障がいをもつクリスチャンは教えてくれる。
 自らを包む固い殻が、自分を守るためではなくて感情や欲望を抑圧しているからなのだと気づいたとき、ローラもわたしたちも自由になる。
 映画はやさしく、少しずつわたしの心と体の中に入ってくる。
 双方向で対等な監督の作品づくりにヒューマニズムをみた。


牧村朝子氏(文筆家)

 正直、「また“障害者や性的マイノリティに学ぶ自分らしい生き方”みてぇな映画に当事者枠からお墨付きコメントもらおうとしてんの?」って警戒感MAXで観ました。もしそれ系の映画だったら推薦コメント出さないんですけど、違ったわ。
 安心できる場所で、休憩とりつつ観て欲しいです。
 この映画、観る人をこそ映します。


斎藤 工氏(俳優・映画監督)

 コロナ禍により人と人は引き離された、コロナウィルスは人が人に触れることを遠ざけた、そんな今だからこそ本作の訴えが猛烈に痛烈に己の皮膚に伝わってくる。


有村 昆氏(映画コメンテーター)

 この映画により「感動ポルノ」と言われていた時代は完全に過去のものになるであろう。
 LGBTやポリティカル・コレクトネスの進化させた一本!
 リモートの昨今、人の温もりを感じた。


志茂田景樹氏(作家)

 リアルな息を呑むシーンに、隠れていた真実があらわになる。
 その真実の凄みに言葉を喪失した。


髙嶋政宏氏(俳優)

 性癖とは全てを超え全人類に平等に与えられた権利。
 マイノリティの性。本物と役者との競演。
 人間の皮膚の超クローズアップが美しい。
 “普通なんて、知るか!”監督が、この作品に込めた奇跡が皮脂に食い込んでとれない。


武田梨奈氏(俳優)

 あるようでない壁。ないようである壁。
 スクリーンに映し出されたのは、丸裸の心と体でした。
 この映画はフィクションなのか? ノンフィクションなのか? 惑わされながらも、演者たちが叫ぶ魂を私はただひたすらに体感しました。


フィフィ氏(タレント)

 普通に縛られずに、肉体を解放して自分と正直に向き合えたら、どれだけ楽に生きられるだろうと、自分と違う誰かが自分と重なって苦しくなるのに、救われるような、不思議な感覚になる映画だった。


しみけん氏(AV男優・男女の仲研究家)

 自分が輝ける生き方を見つけた人を直視するとき、まぶしすぎて目をそらしてしまう時があります。目をそらしてしまった人はどこか「理性みたいなもの」に縛られているのかもしれません。それが性にまつわることならなおさらです。
 貴方はこの“輝ける生き方”を直視し続けることができるでしょうか?
 先ずは開始1分にて。


コトブキツカサ氏(映画パーソナリティ)

 感情にフィルターをかけて苦しむなら、解放して自由になるしかない。
 自由が冒険なら、好奇心と欲求を糧に行動するしかない。
 多様なセクシャリティを肯定する、圧倒的なセラピー・ムービーを体験しました。


ヴィヴィアン佐藤氏(ドラァグクイーン・美術家)

 トランスジェンダーのカウンセラーや、自動車椅子の方や、SM女王様など……ほとんど身近にいる方々です。
 これはマイノリティだけではなく人類共通の物語! 素晴らしかったです!!!


清水晶子氏(東京教授・フェミニスト・クィア理論研究者)

 映画において視線が欲望と重ね合わされてきたとすると、ここにあるのは、視線を、欲望すらおしとどめかねない容赦ない親密さへと繋げる試みである。
 しかし同時に、あくまでレンズを通して対象に触れるその親密さは、どこか乾いた禁欲性をも帯びている。
 裸体が溢れ返るだけの安易な近しさや退屈なエロティシズムとは一線を画し、親密さが時に突きつける居心地の悪さを見据えつつなお親密さを痛切に希求する野心作。


児玉美月氏(映画執筆家)

 映画と触覚の可能性についての挑戦的な哲学があり、自己と他者の関係についての根源的な美学がある。
 「物理的距離」がもたらされた今を生きる私たちに、映画『タッチ・ミー・ノット』は親密さを問い直す契機を与えてくれるだろう。


金子 遊氏(批評家・映像作家)

 監督らしき人物が、夢や母親とのフロイト的な無意識に潜在する葛藤を探求するというテーマの提出と、父親の見舞いに通う女性が、抑圧された性を身体接触を含めたセラピーに参加するというフィクションの物語が呼応している。
 そこに、実在する性倒錯者、障がい者など、さまざまな人物が登場し、演出された場面なのか、インタビューやドキュメンタリーなのかというあわいのなかで、主軸たるストーリーに絡んでくる。
 何よりも映画をつくっていくプロセスというものを映画内に示しながら、その場で生じていったできごとや言葉を、虚構と事実にわけることなく、オーガニックにつないでいるところにアピチャッポン的なものを感じました。映像や色彩の設計に関しても、映画というよりは現代アートにおける映像作品に近い感触をおぼえました。
 このような先鋭的な作品が、映画祭できちんと評価されるとは、ベルリンはさすがだと感心します。



(オフィシャル素材提供)



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